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絵画の在りか


絵画の在りか」展を見た。一瞬「絵画の在りか」の「(の)在りか」を「在りや」に空目した。「絵画在りや」。勿論「東京オペラシティ アートギャラリー」の壁に「絵画」は「在る」。しかしその「『絵画』が『在る』」という事こそが曲者だ。果たして「絵画」はどの時点から「在る」のだろうか。「絵画展」の会場で、その「在りか」の方へと関心が移ってしまった。



会場やカタログの彼方此方に「┌」「┐」「└」「┘」「─」「│」が配されている。確かに狭義の「絵画の在りか」を可能たらしめるのはそういう事ではある。サボる事しか考えていなかった1970年代の自分の学部生時代、ボール紙を材料に一夜漬けで作った「┌」「┐」「└」「┘」「─」「│」を下掲の形に壁に貼り付け、課題提出の講評会でそれを「絵画」と言い張った記憶(後に「神奈川県民ホールギャラリー」のグループ展に出す)が赤面を伴って会場で蘇ってしまった。その時の評価は最低だった。



展覧会タイトル「絵画の在りか」の英語訳は、"the way of PAINTING" とされた様だ。カタログ冒頭の堀元彰氏の同名の文章「絵画の在りか」の英訳は "The Way of Painting" になっている。紹介記事の一部には "The way of PAINTING" としているものもある。これらの大文字小文字の表記の違いから来るものは大きい様にも小さい様にも思えるものの――特にその違いについて何処かに明記されている訳でも無さそうなので、取り敢えずその違いを気にしないでおくが――何れにしても "Painting(PAINTING)" が「大文字」である事は外せない事なのだと思われる。それはカタログ文「絵画の在りか」の結論部分からも明らかだ。


そうした意味で、「何か」ではなく、「どこに」「なぜ」「どのように」という疑念のあり方が、よりしなやかに今日における絵画の存在意義や使命にアプローチできる精神態度だといえるのではないだろうか。それはまた、絵画の存在そのものを自明のものとすることで、絵画とそれを外包する社会、時代、世界などとの関係を強く求める絵画制作の方法に違いない。


ここでは「絵画の存在」が「自明のもの」であるとされているからこそ、それは大文字の "Painting(PAINTING)" になるという事なのだろうか。"the way of painting" は、数ある機械翻訳の内、Google 翻訳エンジンでは「絵画の道」、BizLingo 翻訳エンジン(富士通)で「絵の道」、Microsoft Translation 翻訳エンジン、クロスランゲージ社翻訳エンジン、The翻訳エンタープライズ翻訳エンジン(東芝ソリューション)では「絵画の方法」、Java 版多言語パターン翻訳エンジン(沖電気)では「描画の方法」と訳された。堀元彰氏の "The Way of Painting" を読む限り、それぞれ相対的に「正しい」翻訳であると言える。


堀元彰氏の文章の中で、個人的にピンを刺したセンテンスは「(絵画は)絵具という物質をイメージに変換する媒体」という「部分」だった。続く「物質性(抽象)と表象性(具象)の両面性が絵画の本質」という「部分」にはピンを刺さなかった。このカタログの "The Way of Painting" 解説文はそれ自体で一種の「知恵の輪」になっている様に思えた。こちらの「部分」を無理に外そうとすれば、あちらの「部分」が絶対に外れないという「知恵の輪」の解き方は、それぞれの「部分」に必要以上に囚われず、それぞれの「部分」を「バランス良く」注目/無視する事で、初めて「外れる」様に「出来て」いる。

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取り敢えず我々が知っている最古の絵画の一つを、先史時代の洞窟壁画であると仮定する。



先史時代にもやはり「才能の差」というものがあって、この膨大な洞窟壁画の全てを限られた「絵の上手い人」、即ち先史時代の「絵の専門家」が描いたものなのか、それとも先史時代の人が最低限持つべき生活上の心得の一つとして、誰でも等しくこのレベルの絵が描けたのかは判らない。仮に先史時代の人全員がこれを描けたとすれば、その「描画能力」の平均値は現代人全体のそれよりも遥かに高いという事にはなるだろう。



文字資料に頼る事の出来ない先史時代の平均寿命の算定には極めて困難なものがあるが(埋葬人骨から推定する事になるものの、それは統計上有効になる一定以上のサンプル数が必要になる一方で、それ以前にそれがランダムサンプルである必要がある)、仮に数多存在する説の最も若年のものを取ってその平均寿命を10代後半とするならば、洞窟壁画が現代の「中高生」に相当する者の手になるものかもしれないという仮説も成り立つ。


それはさておき、しかしこれより「古い」絵画を我々は良く知っている。しかも21世紀の所謂「先進国」に於いてすら、先史時代の洞窟絵画よりも「古い」ものが日々生み出されている事を知っている。ここでソーカル事件的な危険性を敢えて犯す事にする。それは絵画に於いても「個体発生は系統発生を反復する(エルンスト・ヘッケル)」が妥当するのではないかという「反復説」的仮説である。



その「個体発生は系統発生を反復する」という仮設に則れば、21世紀日本の「絵画の在りか」展に出品した全ての作家も、レオナルド・ダ・ヴィンチを始めとするルネサンスの画家も、先史時代の洞窟壁画の描き手も、等しく反復する「絵画発生」の「胚」の過程はこれになるのではないか。



1歳児から2歳児に掛けての、所謂「スクリブル(殴り描き)」と呼ばれる時期のものだ。勿論、先史時代の洞窟絵画の描き手やルネサンスの画家達が、この「胚」の過程を辿らなかったという想定も可能だ。彼等の幼児期には「画材」が与えられていなかったかもしれない。従って「殴り描き」をしようにも「出来なかった」のかもしれない。しかしそれでも、何らかの「尖筆」を彼等が全く持たなかったという事はかなり考え難い事でもある。


例えば、ロシアのノウゴロドで1956年7月13日〜14日に発掘された白樺文書には、「オンフィム(Онфим)」という名の13世紀の「6〜7歳の少年」が描いた「絵」が含まれていた。白樺の樹皮に「尖筆」で描かれたものである。







「児童画」に於ける今日的なプログレス・ステージで言えば、これは「殴り描き」から「前象徴期」を経た「象徴期」の「絵」に当たる事から、オンフィムが「6〜7歳の少年」であると推定された。果たしてこの中世ロシアの「6歳児」の「絵」は、21世紀日本の6歳児の「絵」と「違わない」と言って良い。



少なくともオンフィム少年と同時代の大人の描いた「絵画」と、21世紀日本人の大人が描く「絵画」の間にあるものよりは。



「児童画」の「発見」は、イタリアの考古学者であり美術史家のコラド・リッチ(Corrado Ricci:1858-1934)の「児童の美術(”L’arte dei bambini (1887)”」によってもたらされたものとされている。それ以前に「児童画」を前景化する視点そのものが存在しなかったと言っても良いだろう。


例えば「絵画の起源」について、コラド・リッチの「児童画」の「発見」から遡る事1900年前に、こういう記述がされた。


fingere ex argilla similitudines butades sicyonius figulus primus invenit corinthi filiae opera, quae capta amore iuvenis, abeunte illo peregre, umbram ex facie eius ad lucernam in pariete lineis circumscripsit, quibus pater eius inpressa argilla typum fecit et cum ceteris fictilibus induratum igni proposuit, eumque servatum in nymphaeo, ......,


粘土で肖像を作ることが、コリントスの町シキュオンの陶器師ブタデスによって発明されたのは、あの同じ土のお陰であった。彼は自分の娘のお陰でそれを発明した。その娘はある青年に恋をしていた。その青年が外国に行こうとしていた時、彼女はランプによって投げられた彼の顔の影の輪郭を壁の上に描いた。彼女の父はこれを粘土に押し付けて一種のレリーフを作った。彼はそれを他の陶器類と一緒に火に当てて固めた。そしてこの似像は、ニンフたちの神殿に保存されていたという……。



ガイウス・プリニウス・セクンドゥス「博物誌」


こうした脚色芬芬たる「寓話」に「起源」を見る事を好む人達は多くいる。「粘土で肖像(魂の容れ物)を作ること」が「コリントスの町シキュオンの陶器師ブタデスによって発明された」とするのは、勿論限定された「文化圏」でのみ通用する「寓話」だ。「大プリニウス」の言う「絵画」の「起源」にしても同様である。いずれにしても「寓話」を必要以上に学的な論証の「拠」とするのは、寧ろそれを「拠」としたい者の「欲望」こそが問われる事になるだろう――ソーカル事件の様に――。


恐らく「大プリニウス」は、彼自身の時代にも存在していたであろう「児童画」の存在を意図的に無視している。先述した様に、「児童画」は「殴り描き(1歳〜)」「前象徴期(3歳〜)」「象徴期(5歳〜)」を経て「写実期(9歳〜)」に入る(解釈者によって幾つかのバリエーションが存在する一方で、ステージが上がるにつれて相対的に文化的な影響が色濃くなって行く為に、「児童画」という「発見」そのものが文化的制約の内にあるとする見方もあるが)。「児童画」に於ける「象徴期」ステージにあるオンフィム少年の「絵」を、「影」で説明する事はかなり難しいし、同じく「絵画」の「起源」とされる事の多い「痕跡(聖骸布)」や「水面(ナルキッソス)」にも「オンフィム」は遠い。



「殴り描き」「前象徴期」「象徴期」「写実期」の「後」に「ブタデスの娘」はある。「児童画」の「後」に、「絵画」の「起源」はある。「影」を「絵画」の「起源」にしたい者にとって、恋人の影をトレース出来るまで成長した「ブタデスの娘」以前の「ブタデスの幼子」には興味は無い。「影」や「痕跡」や「水面」の前に、6歳児の「象徴」があってはならない。「絵画」で説明出来ないものは「絵画」ではない。従って「児童画」は「絵画」ではない。それは「絵画」に酷似した何かである。しかし果たしてそうだろうか。


「児童画」は大文字の "PAINTING(Painting)" には成り得ない。それは誰にも一度は訪れる(=自明)という意味で、例えば誰にとっても「特筆すべきもの」でも何でも無い "infant stage(幼少期)" が、"my INFANT STAGE" の様な形で書かれないのと同じだ。或いは "breath(息をする事)" 自体が「生きている者」にとって「極めて普通(=自明)」の事であり、従ってそれが「取るに足らない(=自明)」ものであるが故に、"my BREATH" と書かれない様なものである。即ち「絵画の存在そのもの」が本当に「自明」のものであるならば、ここは何が何でも "the way of painting" と全て小文字で書くべきところなのだが、それをわざわざ "PAINTING(Painting)" と大文字で書いているというところに、逆説的にここで言われているところの「絵画の存在」が少しも「自明」では無い事を表していると言える。意識的に「大文字」で書かれてしまう存在というのは、それ自体が「自明」でも何でも無い存在である事を表している。大文字の "PAINTING(Painting)" には「大文字でありたい(小文字に見られたくない)」という「願い」が込められている。"PAINTING(Painting)" は "painting" (例えば「児童画」)の様な「取るに足らないもの」までになれる程には「自明」ではない。


"Men han har jo ikke noget paa(でもあの人は裸だよ)"。ハンス・クリスチャン・アンデルセンの "Keiserens nye Klæder(皇帝の新しい服)」の原著に於ける子供は――多くの日本語訳(「裸の王様」というタイトルに変更されている)がそうしてしまっている様に――決して「王様は裸だ」とは言っていない。原著では「あの人」呼ばわりなのだ。或いは "han" は「あのおじさん」という訳でも良いかもしれない。「でもあのおじさんは裸だよ」。「あの人」「おじさん」という「自明」。「自明」という「取るに足らないもの」。その一方でアンデルセンは、物語に登場する市中の大人達には、「自明=取るに足らないもの」の真逆にある「王様(皇帝)」――Gud hvor Keiserens nye Klæder ere mageløse!(本当に王様の新しい服は飛び抜けて素晴らしい!)――と言わせている。アンデルセンはそうした違いをきちんと書き分けているのだ。


果たして「東京オペラシティ アートギャラリー」の「絵画の在りか」に集まった「絵画」のそれぞれは、「王様」の様な "PAINTING(Painting)" なのだろうか。それとも「あの人」の様な "painting" なのだろうか。

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「影」「痕跡」「水面」といった「絵画」の「起源」の退屈は、それらのいずれもが「目」を最上位とし、且つ起点にしようとするところにある。「スクリブル」は、何よりも「手」が主導的だ。「絵」を描く1〜2歳児の「目」は、専ら自ら動かした「手」の軌跡を追う。1〜2歳児の「絵」は、何よりもまず「運動」である。ここでは「目」は「手」の「下位」に位置している。


ここでアメリカ・ミズーリセントルイス動物園に住むチンパンジーのバクハリ(Bakhari、1998〜)と、ペンシルベニア州エリー動物園に住み続けたウェスタンローランドゴリラのサマンサ(Samantha、1965〜2012)の「絵」を提示しておく事にする。



これらの絵を2012年に展示したUCL(University College London)グラント動物学博物館の館長、ジャック・アシュビー氏は言う。


Ape art is often compared to that of two or three year old children in the ‘scribble stage’,


類人猿アートは、人間の2〜3歳児に於ける「スクリブル段階」としばしば比較される。


http://www.ucl.ac.uk/news/news-articles/January2012/270112-art-by-animals


誤解を厭わずに言えば、「スクリブル」はチンパンジーやゴリラの描く「絵」と「同じ」ものである。それは「絵」に於いて「目」が最上位に位置していないという点で「同じ」だ。但し両者の間に違いがあるとすれば、上掲「2歳児 えんぴつ」の動画中にある「しんかんせん」の言葉だろう。チンパンジーやゴリラは、自らが描いた「絵」に対して、2歳児がその「殴り描き」に見た「しんかんせん」に相当する「何か」を見る事は出来ない。少なくともそれに「しんかんせん」が現れていると「言語」化する事が出来ない。


大人は「しんかんせん」の言葉を聞いて、この殴り描きの中に何とか「新幹線」の形象を見ようとするだろう。しかし恐らくその多くは裏切られる。2歳児の言うところの「しんかんせん」は、「がたんがたん」という音と共に現れる「泡箱(霧箱)写真」に写った荷電粒子の様な「運動の軌跡」の事なのかもしれないし、事実多くはそうであったりするからだ。



「児童画」に於ける「前象徴期」や「象徴期」は、字義通りの「言語」の習得と共に始まる。即ち「非・大プリニウス」的な「絵画」の「起源」に於いて、「運動」の次に来るのは「言語」の「形象」化である。「目」はその時「フィードバック装置」として働く。堀元彰氏による「(絵画は)絵具という物質をイメージに変換する媒体」という文章は、「イメージ」とされるものが他ならぬ「言語活動」の発達によって初めて可能になるという点を勘考して初めて正鵠を射ていると言える。「言語」による「抽象」の能力を持たないチンパンジーやゴリラは、決して「イメージ」を持つ事は無い。


続く「物質性(抽象)と表象性(具象)の両面性が絵画の本質」という文章にピン刺しをしなかったのは、前段の「絵具という物質をイメージに変換する」とされる「絵画(繰り返しになるがそこで言われる「絵画」は極めて限定的な文化圏に於いてのみ有効な概念である)」の成立条件に於ける「物質性(抽象)」と「表象性(具象)」が、同じロジックのステージに存在していないからだ。それ以前に「抽象」の着地地点は――「抽象」が「言語活動」の現れである以上――単純な「物質性」とは全く異なる場所に存在する。


いずれにしても、「大プリニウス」的な「絵画」の「起源」が説明するところの「目」による「観察」によっては、「系統発生」的に繰り返される「児童画」の「形象」は生まれない。彼等は「お母さん」を見る事無く「おかあさん」を描き、「新幹線」を見る事無く「しんかんせん」を描く。この時期に「目の前にあるものをそのまま描く」という「写生」を行わせたところで、「大プリニウス」を信奉する文化圏に住む大人が期待する様な結果は決して生まないだろう。

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「目」を最上位に置かず、「手」を前面化する事を意図して描かれた「(芸術)絵画」には、例えば所謂「アクション・ペインティング」から「ボクシング・ペインティング」に至るまで様々に存在した。



しかし今ではそうした試みは「廃れた」のであろうか。「絵画の在りか」展の「絵画」の殆どはやはり「目」が主役であり、全面的に「手」から発する作品は「高橋大輔」氏を唯一の例外として存在しなかった。他にも一見すると「手」が主導的に見えるものがあったものの、しかしそれらは最後の段階で「目」を調整役としてその判断を大いに仰ぐものだった。


「絵画」であるから「目」の最上位が疑われないというのは、一見確かに「仕方の無い」話である。「仕方の無い」という意味では、時に「当然」や「問答無用」という言葉を纏いもする「自明」である。ファンタスマータ(幻影)も、アレテイア(実在)も、そしてミメティケー(模倣)も、畢竟「目」に対して言われるものだ。従って「絵画」が「目」である事が「仕方の無い」話であれば、これらのファンタスマータ、アレテイア、ミメティケーから「絵画」が常に「脅かし」を受け、何らかの形でそれらに対処する事を迫られるというのも「仕方の無い」話であるという事だろうか。


毎日毎日「手」の「児童画」を見る機会が多くなる一方で、比率的に「目」の「絵画展」を見る事が少なくなっている。「児童画」を見るというのは「発生学」の現場にいる様なものだ。一方「絵画展」は「政治学」の現場にいる様なものである。様々な「絵画」が集められた「絵画の在りか」展では、様々な「ポリティクス」を見た。「他者(他国)」との距離を常に保とうとする「国家のアイデンティティ」みたいなもの(通約不可能性)がここでは重要なものの一つとされていると改めて感じられたが故に、幾つもの「同じもの」を見たという印象を持った。「表現の自由」という言葉がしばしば言われるが、その「自由」は「通約不可能性の自由」であり、「文脈再編可能性の自由」ではない。従って「政治」を欠いている「児童画」には「表現の自由」という言葉は使われないのである。

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東京オペラシティ アートギャラリー」を出て、徒歩で「HAGIWARA PROJECTS」に行く。「paintings」という展覧会だった。こちらのタイトルは全て「小文字」である。この「即物」的表記が「美術商」らしいと思った。物質的な財の分配。展覧会名に誘われる様に、壁に掛かっている "paintings" を極めて「即物」的に見てみた。「東京オペラシティ アートギャラリー」にも出品している作家の作品が全く違って見えた。


「αM」に足を伸ばした。「重ね書きされた記憶 Vol.2 岩隈力也」。カウンターに置いてあったパンフレットを開く。宮川淳とアーサー・ダントーが引かれていた。


イマージュの問題は、根源的に、ここ、イマージュがあらわす対象の存在ではなく、いわばイマージュそのもの現前、なにものかの再現ではなく、単純に似ていることにこそありはしなかっただろうか。
――宮川淳(注:「鏡・空間・イマージュ」)


It is no mean thing for art that it should now be an enhancement of human life. And it was in its capacity as such an enhancement that Hegel supposed that art would go on even after it had come to an end.
――Arthur C. Danto(注:"Approaching the End of Art")


会場には「LAUNDRY」の「制作風景」のビデオが流れていた。「絵画(同一者=鏡)」を「聖骸布(痕跡)」にする作業の様にも見えた。しかしそれは「聖骸布」的な「痕跡」の様でありながら、当然プロセス的には別のところにあるものだ。「洗浄」は「風化」を「短縮」するやり方と言えば言えるが、同時に見る者が持つ「パレイドリア効果」の助けを借りて「風化」を留めようとするという力学には置かれている。


「芸術の終焉への道(Approaching the End of Art)」とアーサー・ダントーは言う。「芸術を作るのはもう止めよう(Stopping Making Art)」とも言う。「芸術」という「自明」が終わり、「芸術」という「自明」を作るのを止めて、そして「何か」が始まるのであろうか。その「何か」はまた、やがて「終わる」ものになり、「止める」ものになるのだろうか。


一つだけ言えるのは、「絵」を描いている幼児に対して、「えはおわったよ」とか「もうえをかくのはやめようよ」と言う事は極めて馬鹿げているという事だろう。「おとなはえがおわるっていってるよ」とか「おとなはえをやめるっていってるよ」と幼児に言っても、彼等は「絵」を描く手を止めないだろう。


「絵画展」に行っても「発生学」が頭から離れない。「政治学」より「発生学」の方が面白くなってしまったのだ。