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代表選出(第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展)

世界各地にその「名所」は存在する。


List of locations with love locks
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_locations_with_love_locks






愛の南京錠(Love padlocks)とは恋人たちが永遠の愛の象徴として南京錠をフェンスや門扉、橋などの公共設備にかける儀式であり、その対象となる場所は世界中で増え続けている。鍵をかけるためのモニュメントが特設された土地もあるが、景観を損ねるだけでなく安全性に問題が出る恐れもあることから、やはり世界各地で撤去作業が行われている。1990年代から2000年代の始めにかけてみられるようになった現象で、その起源については定かではないが、セルビアやイタリアなどでは発祥となった伝説や作品まで遡ることができる。


ヨーロッパではこの現象が2000年代初頭に始まった。例えばパリでは恋人同士の名前をイニシャルで刻んだ南京錠を橋の欄干にかけ、セーヌ川に鍵を投げ捨てて不滅の愛の誓いとした。愛の南京錠の起源については諸説あり、この儀式が行われる場所ごとに由来があるが根拠には乏しく、文献もないことがほとんどである。ローマのミルヴィオ橋での愛の南京錠の大流行は、イタリアの作家フェデリコ・モッチャ(英語版)の2006年の小説 Ho voglia di te (君が欲しい)とその映画化作品のヒットによるものである(この小説は1992年の小説 Tre metri sopra il cielo (空より3メートル高い所)の続編にあたる第2作で、1作目は2004年にイタリアで映画化され、この2作目も2007年に映画化されている。また、スペインでも映画化されており、日本でも1作目は『空の上3メートル』、2作目は『その愛を走れ』の題でDVDが発売されている)。


同様にセルビアにある橋(この習慣にちなんで「愛の橋」と名づけられたモスト・リュバヴィ)についても、第二次世界大戦以前にまで遡ることができる。地元のヴラニスカ・バニャ出身のナーダという女教師は、セルビア人士官リルジャと恋におちた。互いに愛を誓い合った二人だが、リルジャはその後ギリシャへ行き、そこでコルフ島生まれの女性と恋をする。結果的にリルジャとナーダは破局し、ナーダはこの辛い経験から立ち直ることはないまま、しばらくして亡くなった。そして恋を成就させたいヴラニスカ・バニャの少女たちは、リルジャとナーダが逢い引きに使っていた橋の欄干に自分と恋人の名前を書いた南京錠をくくりつけるようになったといわれている。


台湾の豊原駅の鉄橋には対になった南京錠がいくつもかけられている。地元では「願いの鍵」として知られており、下を通る電車によって発生した磁場が鍵に蓄えられるエネルギーを産み出し、願いを叶えるという伝説が語られている。


日本では神奈川県湘南平公園のテレビ塔をめぐるフェンスがこの愛の南京錠をかける場所として知られている。一説によるとこの習慣は1991年ごろに始まるとされるが、そもそもなぜ南京錠なのかを含めてはっきりとしたことはわかっていない。美観を損ねるという理由から公園側が撤去作業を続けたため、愛の南京錠が付けられる箇所が江ノ島に移ったといわれている。


Wikipedia「愛の南京錠」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E3%81%AE%E5%8D%97%E4%BA%AC%E9%8C%A0


例えば、或るアーティストが大量の「南京錠」を自作品に必要であると考えたとして、この「愛の南京錠」システムを採用すれば、アーティスト側の「労働」としては、特にどうと言う事も無い「フェンス」や「植木」を設置するだけで良い。即ちそこに多くの人々が「南京錠」を掛けたくなる「システム」を作り上げさえすれば、後はアーティスト側が一切「労働」する事無く、「南京錠」が幾らでも集まるという訳である。ここでのアーティストへの評価は、その「システム」への評価になる。その「システム」が上手く機能すれば、結果として世界各地の「名所」同様の「壮観」が顕現するだろう。但しその「壮観」は、「システム」を作ったアーティストを含めて、誰一人としてその「壮観」をイメージする事が出来ないという点でも、アーティストが「構想」し「労働」した結果がもたらす「壮観」とは全く意味の異なる「壮観」だ。加えてその「協働」は、所謂「協働」の概念を超えた「協働」になるだろう。誰が絵馬籤の結び付け献花を見て、そこに「協働」を想起するであろうか。但し芸術の価値を芸術家の物理的労働と結び付ける立場からすれば、それは著しく無価値なものに見えるに違いない。作品公開と同時に作品が「完成」していないと「評価」の対象にもならないイベントでは、そうしたものは「『評価』のシステム」に於いて「不利」であると看做される。


因みに「愛の南京錠」の「世界的名所」の一つである「ポン・デ・ザール」は、「愛」の重量(推定93トン)で「崩壊」し始めたとの事である。


http://guardianlv.com/2014/06/pont-des-arts-bridge-starting-to-collapse/


「ポン・デ・ザール」で願掛けをする恋人達は、南京錠に鍵を掛けた後、その鍵をセーヌ川に投棄する。「ポン・デ・ザール」の下を浚渫すれば、泥沙に混じって大量の鍵が手に入るだろう。

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第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館の出品作家が決定した。キュレーターによるステートメントの一部を引く。


開催時の政治状況や社会的出来事を扱った作品や、多様化した手法を用いた大規模なインスタレーションによる競争は、この国際展において昨今特に目新しいものではなく、それだけではもはや驚くに値しない。


展示空間に糸を張り巡らせる大規模なインスタレーションや、ドレス、ベッド、靴や旅行鞄など、日常生活のなかで人が使用した痕跡と記憶を内包するマテリアルを用い、作品を制作するベルリン在住の塩田千春。塩田もまた、近年のヴェネチア・ビエンナーレの趨勢に沿った大規模なインスタレーションを得意とする。


http://www.jpf.go.jp/venezia-biennale/art/j/56/statement.html


ここで言われている「趨勢」は「現状」を意味するのだろうか。そしてその「趨勢」は「目新しいものではなく、それだけではもはや驚くに値しない」ものという事だろうか。「企画提案書」によれば、「近年のヴェネチア・ビエンナーレの趨勢に沿った大規模なインスタレーションを得意とする」選出アーティストの「大規模なインスタレーション」は、「観るたびに新鮮さと力強さを失うことなく、『心』に直接浸透するような静けさや美しさを合わせもっていること」で、そうした「趨勢」から一線を画す(「特筆に値する」)ものであるとも読める。いずれにしても「ヴェネチア・ビエンナーレ対策」は、例えば「企業から求められる人物像=趨勢」から演繹して行く「面接試験対策」の様なものであろうか。しかし当然の事ながら「趨勢」のその先をこそ、アーティストは切り拓いていくべきという主張もあり得るだろう。


今回の「大規模なインスタレーション」には、約5万本の鍵が必要だという。


本展の新作インスタレーションでは5万本の鍵を使用します。
皆さまやご家族、ご友人等のご不要となった鍵を下記のとおり募集いたしますので、どうぞご協力お願い申し上げます。


・鍵の形状や状態は問いません。ただし、ロックではなくキーのみを募集しております。
・不要となった鍵を無償にてご提供いただける場合に限らせていただきます。
・恐れ入りますが、送料はご提供者様にてご負担をお願いいたします。
・ご提供は、郵送、宅急便等の配送のみに限ります(お持ち込みは、お受けすることができません)。
・展覧会終了後の鍵の返却はいたしません。
・ご提供者様のお名前の掲載、受領書の発行等はございません。


http://2015.veneziabiennale-japanpavilion.jp/


「集めてみたら5万本」ではなく、「集めるべきは5万本」が公式にアナウンスされている。「集めてみたら5万本」ならば「5万本」の意味が問われる事もそう無いだろうが、「集めるべきは5万本」の場合はそうしたあり得べき問いを回避する事は難しくなる。恐らくアーティストにとってその問いは馬鹿馬鹿しいものなのだろうし、実際作品を見ればそうした問いを発する事が、問う側からも馬鹿馬鹿しく思えるのかもしれない。それが「5万本」でなければならない理由は、その「空間を詰め尽くすような」作品を見れば得心が行くとも想像される。


「募集」中の「不要」という言葉が目に止まる。しかし「不要」という言葉には幅がある。「鍵の形状や状態は問いません」とするこの「募集」では、その「不要」の解釈は応募者に任されている。「廃棄処分」は「不要」の形の一つであり、「在庫処分」も「不要」の形の一つであり、「遺品処分」も「不要」の形の一つである。ヴェネチアの5万本は「廃棄処分」と「在庫処分」と「遺品処分」が混在するものになるかもしれない。更に数万回使用した「不要」がある一方で、一回も使用していない「不要」もある。しかしそうした「差異」は、「大切な人や空間を守るという身近にあるとても大事なものであり、また、扉を開けて未知の世界への行くきっかけをつくってくれるもの」という「表象」が「解消」してくれるのだろう。


「赤」と「糸」と「舟」と。それらが象徴するものは多くある。だがその象徴は文化圏によって異なる。「赤」と「糸」で「運命の赤い糸」を思い浮かべる者は、世界中でそれ程に多い訳では無い。その一方で「赤」と「糸」からこういうものを思い浮かべる者は多い。


さて彼女の出産の時がきたが、胎内には、ふたごがあった。


出産の時に、ひとりの子が手を出したので、産婆は、「これがさきに出た」と言い、緋の糸を取って、その手に結んだ。


そして、その子が手をひっこめると、その弟が出たので、「どうしてあなたは自分で破って出るのか」と言った。これによって名はペレヅと呼ばれた。


その後、手に緋の糸のある兄が出たので、名はゼラと呼ばれた。


「創世記」38:27-30



「赤」だけでも「勇気」や「犠牲」や「殉教」を象徴する事もあれば、「幸福」や「祝福」や「憎しみ」や「怒り」や「攻撃」や「情熱」や「危険」を象徴する事もある。そして「糸(string)」にも「舟(boart)」にも、そうした象徴の「振れ」は存在する。


「鍵」にもまた多くの象徴が存在する。


シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。


すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。


そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。


わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。


そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。


「マタイによる福音書」16:16-20



Coats of arms of the Holy See and Vatican City


「鍵」が象徴するものはこれに限らない。「服従」を表す事もあるし、「秘密」「制御」「力」「支配」「信頼」「慎重」「権威」、そして「主婦」というものもある。日本の「万葉集」にはこういう「鍵」もある。


さし並ぶ 隣の君は
あらかじめ 己妻離れて
乞はなくに 鍵さへ奉る


そして「愛の南京錠」の「鍵」は、それが再び使用され「解錠」される時には「失恋」を象徴するだろう。


物に何らかの意味を読み取らせようという試みの実現は極めてハードルが高い。しかし「『心』に直接浸透するような静けさや美しさ」があれば、それを乗り越えられるという「信憑」の立場が存在する事も理解する。その立場は、例えば「ペテロの第三の鍵」(「第一の鍵」はユダヤ人の為に、「第二の鍵」はサマリア人の為に、「第三の鍵」は異邦人の為にある)の様なものであろう。「瞬間の哲学」はそうした「世界宗教」的な「信憑」にこそ支えられていると言える。


前回のヴェネチア・ビエンナーレの代表選出では、「歓迎」から「失望」までのグラデーションが描かれた。そしてその時の多くの「失望」は「特別表彰」という結果の前に沈黙し、その「失望」は「特別表彰」を与えた者に「失望」するところまでには至らなかった。今回もまた「歓迎」から「失望」までのグラデーションが描かれている。今回この日本館の結果が如何なるものになっても、それでも「歓迎」は「歓迎」のまま、「失望」は「失望」のままでいられるだろうか。寧ろそここそが試されるのだと思われる。