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北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILI –交錯する現在 金沢巡回展

2015年3月に「北陸新幹線(長野経由)」が金沢まで延伸開業する。速達型列車「かがやき」で東京ー金沢間は2時間25分前後に「短縮」される(現在は3時間47分)。東京ー金沢間の2時間25分は、東海道・山陽新幹線の東京ー新大阪間と同じ時間(「のぞみ」)だが、営業キロは東京ー金沢間が345.4キロであるのに対し、東京ー新大阪間は552.6キロである。営業キロ的には、東京ー金沢間は東海道・山陽新幹線の東京ー三河安城間(336.3キロ)とほぼ同じであり、その所要時間もその区間を「こだま」に乗り続けたものとほぼ一致する。いずれにしても、日本政府が新幹線整備計画を決定してから、開業までに42年(「北回り新幹線建設促進同盟会」結成からは48年)が経過しているから、金沢にしてみれば「待ちに待たされた」感があるだろう。石川県による「カウントダウン 北陸新幹線 金沢開業」サイトには「北陸新幹線は石川県の未来を切り拓いていく希望の星です」とある。


北陸新幹線(長野経由)」は、最終的には東京ー新大阪間を結ぶ事になっている。2015年に金沢まで延伸し、敦賀までは2026年か2027年(平成37年度)に延伸される計画になっているが、その先の新大阪までがどうなるかはルートや規格を含めて全く決まっていない。敦賀まで「北陸新幹線(長野経由)」が開通するその同じ年(或いは翌年)には、東京ー名古屋間に「中央新幹線(所謂「リニア中央新幹線」)」が開通し、両都市は約40分で結ばれる事になっている。その「中央新幹線」が、名古屋開業から18年後の2045年に延伸開業するとされている名古屋ー新大阪(仮)間の具体的なルートも、「北陸新幹線(長野経由)」同様全く決まっていない。但し「中央新幹線」によって最大の利を得るのは事実上「東京」のみであり、その他の地には思った程に利は無いどころか、都市によっては衰退を加速化させられるだろう。河村たかし名古屋市長が「中央新幹線」名古屋開業決定の報に対して「どえらい危機!」と言ったのはそういう意味である。


元々城下町外れの田圃の中に1898(明治31)年に作られた金沢駅とその周辺は、長く「駅前が寂しい」と言われて来たりもした。しかし現在そこは、金沢的なスケール感からすれば巨大な建造物の目白押しだ。山出保市制20年の「賜物」である。8年振りに旧城下町側になる東口に出ると、巨大化した金沢人の自意識が出迎えてくれた。「雨や雪の多い金沢を訪れた人々に、そっと傘を差し出す金沢人のやさしさ、もてなしの心を表現(説明プレート)」したとされる「もてなしドーム」(高さ29.5メートル)なる巨大建造物が頭上に覆い被さる。謂わばそれは、東京ミッドタウンの高層ビル群の谷間に埋没している「ビッグ・キャノピー」の様な物なのだが、そのプチ「ジョセフ・バクストン」の上屋を「もてなし」とネーミングしてしまうところに、「もてなす主体」としての自意識が隠し様も無く現れている。



もてなしドーム」は、別の巨大化した金沢人の自意識である「鼓門」(高さ13.7メートル)に接続している。「金沢駅前にぎわい協議会」のサイト「金沢駅にぎわい.com」によれば、同モニュメントは「金沢の伝統芸能である加賀宝生の鼓をイメージした2脚の柱に、緩やかな曲面を描く屋根をかけたもの。伝統と革新が共存する街である金沢を象徴する堂々たる門」という事である。自ら「堂々たる」と臆面も無く評してしまう金沢人の自意識を尊重するならば、「鼓門」に対する反応は或る種の「畏敬」を伴った「驚嘆」としなければならないのだろうか。



もてなしドーム」や「鼓門」は金沢駅に含まれるものと考えて良い。これまでの金沢駅が事実上駅舎内に留まるものであったのとは異なり、それらの巨大建造物は「駅前広場」までを金沢駅とした。即ち「もてなしドーム」は「拡張された金沢駅の庇」であり、「鼓門」は、国際空港で言うところの出国/入国審査カウンターの様な「金沢の内と外とを分ける境界」である。「もてなしドーム」が空間上金沢にあったとしても、そこは既に「金沢の外」=「外国」である。その「拡張された金沢駅」の外=即ち「金沢の内」の、金沢都心軸への入口となる道には、これまでと同様に屋根は無い。「拡張された金沢駅の屋根」から「鼓門」越しに見える吹雪く金沢市街の画像をネット上で見た。街(「金沢の内」)よりも駅(「金沢の外」)の方が魅力的に見える光景だ。金沢観光協会(石川県金沢観光情報センター)は、そうした天候の日には「雨傘や長靴の無料貸出」を行なうという。但しその「営業時間」は9時から19時までだ。本来的には「もてなし」の屋根は、現在の「金沢の外」ではなく「金沢の内」にこそ存在しなければ意味が無いのである。



西口も「驚嘆」な事になっている。「悠颺」というタイトルが付けられた高さ20メートルの巨大建造物は「金沢市制百周年記念事業モニュメント」との事であり、地元金沢出身の蓮田修吾郎氏(故人)が「造形」されたそうである。「このモニュメントは、市制百周年を記念して建設したもので、活力、魅力、潤いのある『新しい金沢』をイメージし未来に向かって悠然と伸びゆくことを願っています」というのが作者自身によるコメントである。発展著しいと地元金沢の自意識が謳う金沢市鞍月地区には、"MOON GATE" なる県道60号を跨ぐ高さ22メートル超の巨大建造物(モニュメント)が建っているが、その報告書にははっきりと「surpriseを感じる事をテーマ」と書かれている。


金沢駅にぎわい.com」のトップには「金沢駅は、出発地でなく、目的地です」とある。ここに書かれている「出発」は「流出」や「撤退」を表し、「目的」は「流入」や「進出」を表していると見て良い。悲壮な言葉だ。高速交通網が接続された地方都市は、何処も例外無く「ストロー効果」や「消滅可能性」等の危機に常に脅かされている。先述した河村たかし名古屋市長の危機感もそこにある。金沢とて例外では無い。金沢のオフィス空室率は高い。日帰り可能な高速鉄道北陸新幹線(長野経由)」開業後の金沢のホテルはどうなるだろう。果たして「驚嘆」の巨大建造物は「流出」や「撤退」の防波堤になるだろうか。但し自意識による「表現」や「象徴」や「イメージ」が盛られた巨大建造物が人の心を束ねるには、その地が「表現」や「象徴」や「イメージ」によって心が束ねられる事を「欲する」社会である事が前提になる。それは体制の如何に拘わらず、極めて「20世紀」的な風景と言えるだろう。



祖国統一三大憲章記念塔朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市


「表現」や「象徴」や「イメージ」といった自意識ばかりが目立つ風景は疲れる。そうした自意識の「芸術」が未だに可能だと思われている町は息苦しくなる。「新国立競技場」という、万が一の際の避難場所にはなりそうも無いザハ・ハディドの巨大自意識が出来てからの神宮外苑もそうなるのだろう。そしてそれが巨大自意識でしか無い限り、誰が何をデザインしても同じである。


北鉄浅野川線の2両編成のワンマン電車(旧京王電鉄3000系)に乗る。乗客は10人程。1駅目から無人駅である。北鉄金沢駅から5つ目の、1日の乗降人員が42人(2006年)の三口駅(無人駅)で降りたのはやはり自分一人だった。そこから「金沢新都心」近傍の問屋町に向かって歩く。ストリートビューで予習した「日産ブルーステージ問屋町店」は問屋町から撤退し、その跡地は「サンクス金沢問屋町2丁目店」に変わっていた。「ソフトバンクショップ問屋町店」も無くなっていた。自動車ディーラーとケータイショップが撤退する「町」。手が付かないまま放置された不動産物件と、「テナント募集」の看板と、空き地が目立つ。昭和40年代に農地の中に忽然と奢られた、周辺地区に比して相対的に幅の広い道が、今は問屋町の寂寥感を倍加させている。「問屋町」という町名は、数十年前まで「問屋」という「中間流通」の商慣行が、この国で疑われる事無く存在していたという記憶を留めるものになっている。



1975



2014


やがて「9つの会社(注:実際には「6つ」の会社と、「2つ」の空き家と、「1つ」のスタジオ)が長屋状に連なった建物」に入っている「問屋まちスタジオ」に到着した。元印刷工場だという。目前の道幅は相変わらず広い。


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北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILI –交錯する現在 金沢巡回展」。しかし如何にも長いので以下「金沢展」とする。同様に巡回展名の「北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILI –交錯する現在」を「もびもび」とする。


「もびもび金沢展」インスタレーションビュー
http://mobilis-in-mobili.org/exhibitionhistory/exhibitionhistory_kanazawa


同展が最初に行われた「北加賀屋展(大阪展)」が、2013年の10月4日〜10月25日。次の「東京展」が、その直後の2013年の11月2日〜12月24日。そして今回の「金沢展」が、5月2日〜5月25日である。「北加賀屋展」と「東京展」が、その短いインターバルを以って「もびもび Ver.1.0」と「もびもび Ver.1.0.1(乃至 Ver.1.1)」の関係にあるとすれば(但し「川村元紀」氏の場合のみ、「北加賀屋展」と「東京展」は「Ver.1.0」と「Ver.2.0」の関係にある)、「金沢展」は「もびもび Ver.2.0」は言い過ぎだとしても、少なくとも「もびもび Ver.1.5」位の印象を持った。


それも無理ならぬ事ではあるだろう。最初の「北加賀屋展」から「金沢展」までは半年間という時間が流れている。「もびもび展」参加作家のアーティストとしての年齢=20代半ば〜30代半ばの時間感覚からすれば、その半年間は長いものであるとも言える。加えて個々の作家と「もびもび展」というインデペンデントな展覧会との関係性も、半年前のそれとは必ずしも同じとは言えない。寧ろ違っていて当然であり、また或る意味で違って然るべきだろう。それぞれの「巡回展」に新作を出す作家には、半年分の変化が見える。「もびもび Ver.1.0/1.1」からの不連続性を印象付けられたのは、何人かの作家の新作によるところが大きい。



インスタレーション」と名指される作品の多くは、謂わば「世界の中にある世界=世界内世界=世界模型」化したりもする。即ち何処かでそれは「曼荼羅」化するのである。例えば「インスタレーション」を「散乱」で構成して「世界=散乱」を見せたいというケースもあるだろう。「雑多」で構成して「世界=雑多」を見せたいというケースもあるだろう。「仮初(かりそめ)」で構成して「世界=仮初」を見せたいケースもあるだろう。「仮象」で構成して「世界=仮象」を見せたいケースもあるだろう。「逆説」で構成して「世界=逆説」を見せたいケースもあるだろう。「偶然」で構成して「世界=偶然」を見せたいというケースもあるだろう。「関係」で構成して「世界=関係」を見せたいというケースもあるだろう。「情報」で構成して「世界=情報」を見せたいというケースもあるだろう。「受動」で構成して「世界=受動」を見せたいというケースもあるだろう。少なくともそれら「散乱」「雑多」「仮初」「仮象」「偶然」「関係」「情報」「受動」等が作品中に留まる事を、多くの「インスタレーション」作家は希望しない。「世界」と「世界内世界」は、「世界模型」という不連続性を介しつつも、「世界」の「実相」を照応的に表す連続的なものとして設えられる。即ち「曼荼羅=世界模型」の価値は、対象的価値ではなく機能的価値である(その上で「対象として発見された『インスタレーション』を購入する」という「転倒」の自由はある)。


「東京展」までの「武田雄介」氏の作品からは、上記「散乱」「雑多」「仮初」「仮象」「逆説」「偶然」「関係」「情報」等の何れか、或いは全て(+α)を見て取る事も可能だった様に思える。作品中の見物(けんぶつ)は過剰なまでに多く、そうした過剰な見物は「世界という過剰」をそのまま表している様にも見えた。但し「世界という過剰」は一様ではなく、「過剰」の分布には粗密があるという現実がある。例えば「東京展」までの作品が、現在「LITTLE AKIHABARA MARKET」が行われている「ROPPONGI HILLS A/D GALLERY」(「東京」的な品揃えのミュージアム・ショップの隣)といった「東京」的な「過剰」の空間内に設えられていたら、それは生物に於ける擬態の様な対応関係にもなるだろう。しかしここは全てを吸い込む都市「東京」とは異なる「金沢市問屋町」なのである。ここは「秋葉原」や「六本木」から遥かに「遠い」地であり、残念だろうがそうしたものからの「遠い」は日本及び世界の「マジョリティ」でもある。


それはさておき「金沢展」の「武田雄介」氏の作品の見物は、相変わらず「サービス精神旺盛」ではある。しかし「東京展」までのものに比べると、相対的にではあるがその「整理」がされている様に見えた。ここで言う「整理」とは、「世界模型」としての抽象性が増したという意味である。抽象性は転じて捨象性とも言えるが、しかしそれは「痩せ細り」を意味するものでは無い。「世界模型」に於ける抽象性とは、固有的なものに埋没しない思考の形式への「ゲート」や「フィルタ」や「インターフェイス」であり、そこでは「それ自体」が重要なのではなく、「それによって見えるもの(それによらなくては見えないもの)」こそが重要になる。「世界」へのアプローチは「無限」である。或いはアプローチの数だけ「世界」は「無限」である。アプローチのインテグレーション(積分)には自ずと限界がある。だからこそ多くの作家による多くの抽象が求められる。



「吉田晋之介」氏の新作にも「Ver.1.5」を感じた。今回の氏の新作には「皹が入った」り「欠けた」り等している「漆喰壁」が描かれ、そこに「窓」が穿たれている。そしてその「窓」の「向こう側」に、馴染みのある「吉田晋之介」が描かれている様に見える。しかし次の瞬間に気付くのはその「吉田晋之介」が観者自身の立っている側に存在しているという事である。即ち「窓」の様に見えているものは、実は「鏡」なのである。この絵で最も奥の位置にあるものに見えている「吉田晋之介」が、実は観客の側に一番近いという逆説。それはベラスケスの「ラス・メニーナス」に於ける「王と王妃=観客」の位置にあるとも言える。


聞くところによると、その「鏡」のアスペクト比は「4:3」や「16:9」であるらしい。そして「4:3」のアスペクト比で思い出されるのは、「フラットディスプレイ」以前の三次曲面や二次曲面を持つ「ブラウン管」だ。「鏡」の「枠」は、嘗ての「ブラウン管テレビ」の枠造形の様に、「凸面」にフィットしている様に見えたりもする。この「鏡」はカーブミラーの様な凸面鏡なのかもしれない。果たしてこの「鏡」に映った「吉田晋之介」は「歪んで見えている」のか否か。その「ストライプ」は直線なのか否か。それ以前に凡そ絵画の「表面」は、「平面」なのだろうか、「凸面」なのだろうか、「凹面」なのだろうか。





「三輪彩子」氏がこの会場に運び込んで来たものは、「北加賀屋展」「東京展」と全く「同じ」ものである(展示段階で省かれているものはある)。但しそれらによって構成された作品は、前二回のそれと同じものでは無い。作品は「三要素(便宜上その形態から「屏風」「棺桶」「荷台」とする)」に分ける事が可能だが、前二回のそれらが同じ位置関係にあったのとは異なり、今回のそれには若干の変更が加えられている。そうなるに至った理由の一つは、今回の作品が「三要素」ではなく、「柱」を加えて「四要素」となった事によるものと想像される。


企画者は氏の作品が設置される場所を予め想定していたらしいが、作者はそことは異なる場所を選択したという。そこは通常の作品設営場所としては「デッド・スペース」とされるだろう、中柱(部屋の中央にある柱)付近に当たる。明らかに作品は中柱に吸い寄せられている。但しそこには「引力」ばかりではなく「斥力」も存在している。特に「棺桶」の場合、「柱」に吸い寄せられまいとする「棺桶」の「抗い」による角度が付けられていたりもして、その両者に於ける「引力/斥力」の関係が、中柱を「柱」として可視的なものにしている。元々「調度的」なものであった「三要素」だが、「柱」が加わる事で「的」が抜けた「調度」になった。そしてその事によって、作品はクローズした「世界模型」である事から離れ始めていた。



「二艘木洋行」作品は、床に青く発光していた。元印刷工場の二階と一階をショートカットする二階の床上の四角い穴を覆う「蓋」の上に、それは天井から「正方形」に投影されていた。四角く光る床。その周囲には、元々設置されていただろう「柵」が据え付けられている。井戸の中の水面を覗き込むような感覚。或いはゲームに於ける「セーブポイント」を彷彿とさせるという見方もあるが、寧ろ興味があるのはどうしてこの様に発光する床が「セーブポイント」を表す典型になったのかという歴史的経緯の方であるが、それはさておく。


反射(CMYK)と発光(RGB)、減法混色と加法混色。発光する RGBは「ジャギーの故郷」でもある。「ジャギーの故郷」では、ジャギーは誰にも見咎められないどころか認識の対象にもならない。8ビット機時代のマリオは、4:3アスペクト比 72dpiの CRT の中では十分以上に「ツルツル」だった。それが「カクカク」しているグラフィックである事を子供が「知る」のは、「ファミコン通信」という175lpi CMYK 世界に掲載された(拉致された)キャプチャ画面によってだった。加法混色世界のジャギーは、減法混色世界によって発見の対象となる。


二艘木洋行」作品は、暫く「ジャギーの故郷=『二艘木洋行』の故郷」を出ていた。減法混色 CMYK 世界は「美術が可能になる世界」でもある。加法混色 RGB 世界の中で「美術」が成功した例を寡聞にして知らない。RGB 世界で生まれたものが「美術」になるには、「全ての色」が混ざると「白」になるといった、「美術」の「感性」からすれば凡そ「訳の判らない」加法混色 RGB 世界を出なければならない。「美術」の世界には、「赤」と「緑」の混合が「黄」になる事を、「感性」的に理解出来る者は誰もいない。そこでは「色」もまた物質化する事を避けられない。「色」が物質化すれば、その上に別の物質(「色」)を置きたくもなる。置きたくもなる事の理由。それは恐らく「人情」に属するものなのだろう。


RGB の「二艘木洋行」作品に対して掛ける言葉は「お帰りなさい」なのだろうか。「アウェー」である CMYK 世界の言葉で散々言われてきた「ジャギー」は、「ここ」では RGB そのものの特性が持つ「アンチエイリアシング」効果によって「どうでもいいこと」になる。凡そ CMYK 世界で「気になること」は、「ここ」では「どうでもいいこと」である。モニタという 加法混色 RGB 上で生まれた絵が「幸福」だった頃。成程これは「セーブポイント」だ。元 CMYK 工場(印刷工場)に仕掛けられた RGB の「セーブポイント」。そして再び「二艘木洋行」作品は、「どうでもいいこと」を「気になること」にする CMYK 世界に「出て」行くのだろうか。



「河西遼」氏のハードコピー作品も、「北加賀屋展」「東京展」とは印象の異なるものであった。額装されている事とは別にその出力方法も異なっている。これも聞くところによれば、今回のものはトナー出力であるという。インクジェット出力の場合、それが顔料インクであっても尚、物質性を感じる事は殆ど無いが、トナー出力に最適化された画像からは、トナーが「プラスティックの粉」という物質である事を強く印象付けられる。鼠の毛は「像」である事から離れ、物質としての「毛」に近いものになっている。その「インク」の物質的「盛り」は「銅版画」のそれをも思わせる。そして物質化した「像」の上に、泥という別の物質が置かれている。泥が持つ強力且つ多義的な共示義は、トナーの鼠にも同じ共示義を纏わせる事で、それを何処かへ連れ去ろうとしている様にも見える。果たしてその泥もまた「人情」なのであろうか。しかしトナーの鼠は、他ならぬその物質的特性によって泥を弾き除ける事で、そうした共示義の連れ去りに抵抗しているのである。


「もびもび」カタログで見る「高橋大輔」氏の作品からは、氏の作品の一大特徴であるとされる「厚み」が消えている。しかし「高橋大輔」作品をカタログの写真で見る事は、実際の作品を見るよりも「劣位」にある訳では無い。現実空間で作品を見る際に見落としてしまいがちなものを、カタログの写真は見せてくれたりもする。


「もびもび」カタログの写真は「平面作品」を撮影する際の最も基本的なライティングになっている。作品に当たる光量を全画面等しくするのがその基本的な考え方だ。当然「色」を濁らせる「影」は消去される。「色」が見えない事は「平面作品」写真にとって「悪」である。あらゆる美術館の「平面作品」のアーカイブ写真を見ても、そうした「善」の認識は共通している。一方で人が写真から「厚み」を感じるのは「影」の存在によるところが大きい。「高橋大輔」作品の撮影に於いては、それは紛れも無く二律背反になる。「平面性」を取るか「立体性」を取るか。そして「もびもび」カタログの写真家氏は、それが「平面作品」であるが故に「平面性」を強調する事を選択した。それは全く間違いではない。しかしその一方で「立体性」を選択したとしても、それは全く間違いではないのである。


人間というのは因果なもので、絵の中に「奥行き」を感じてしまう。「具象絵画」は当然としても、「抽象絵画」であっても同断だ。例えば心理的に「飛び出して見える色」と「引っ込んで見える色」というものがある。前者は「赤」や「白」等であり、後者は「青」や「黒」等だ。しかし「高橋大輔」作品の場合、「飛び出して見える色」が物理的空間の「奥」に、「引っ込んで見える色」が物理的空間の「手前」に位置している事もある。或いは雑駁に「図と地」としても良いが、それが、現実空間内での「高橋大輔」作品では、「前後」関係が逆転している、或いは壊乱している様に感じられる箇所もある。カタログ写真はそういう事も「見せて」くれる。「図」が「地」の「後ろ」にあるという倒置。即ち「図」が描かれた後に「地」が描かれるという倒置。しかしそうした倒置は、古今東西の絵画に於いては驚くべき事でも何でも無かったりするのである。



「梅沢和木」氏の RGB 世界と CMYK 世界のハイブリッド作品は、前述「吉田晋之介」「二艘木洋行」「高橋大輔」各氏に見たものの帰結の一つに思える。RGB 世界と CMYK 世界の架橋という、極めて伝統的且つ依然として新しいとされるものにそれは関わっている。モニタスクリーン上の CMYK 絵具は、果たして RGB 世界の手前に存在しているのだろうか奥に存在しているのだろうか。或いはその CMYKRGB と同一平面に属しているのだろうか。恐らくその参考になるのはトロンプ・ルイユの厚い歴史だろう。


しかし個人的には「梅沢和木」作品は、「二艘木洋行」作品同様 RGB 世界に住まうのが「自然」だとも考える。そもそも「キャラクター」というのは、RGB 世界にいる方が活き活きとするものの様な気がする。「キャラクター」は発光体なのである。仮にそれを CMYK 世界で表現しようとするなら、発光するものを描いたり造形したりする技術が必要になるのではないかと思われる。



「金沢」展での「川村元紀」作品は、「川村元紀」氏自身が「手を下さない」というフェイズに入って二回目となる。今回作品制作の「指示書」を渡されたのは、「現代美術」とは近いとは言えない人物だという。「川村元紀」という名前も知らない人物であり、当然ながらその作品も知らない。とは言え広い意味での「美術」的なるものの世界に関係の無い人物でも無いらしい。


「東京展」に際しての「川村元紀」氏のツイートを引く。


ちなみに指示書としては結構ファジーな部分も多くて、結果的に出てくる作品は人や時間や偶然にかなり左右されると思うし、制作者の言語化できない感覚を揺さぶるものになっていると思う。


https://twitter.com/wamulamo/status/397380914348830720


「ファジー」というのは、その指示が形容詞や形容動詞に多くを委ねているという事であろう。「自宅を出て、展示会場に着くまでのあいだに寄れる場所で青いものを買い、インスタレーションの構成要素とする」。ここでは「青い」という形容詞がそれに当たる。「川村元紀」氏が意地悪く無く、且つ慎重なのは、同じ形容詞でも「美しい」という「ファジー」極まりない言葉を使用しなかった事だ。「自宅を出て、展示会場に着くまでのあいだに寄れる場所で美しいものを買い、インスタレーションの構成要素とする」。それではそれが「罠」であると気付く者にとっては「制作者の言語化できない感覚」が揺さぶられ過ぎるし、「罠」であると気付かない者にとっては「制作者の言語化できない感覚」が対象化されるに至らない。


今回の「青いもの」は、かなり「青いもの」だった。戯れに「青い青がある、青の青さといふ様なものはない」と言ってみる。しかし「指示書」の「青いもの」は、「青い青」「青の青さ」のどちらも示し得るだろう。加えて「青くない青」や「青でないものの青さ」も大いにあり得る。


(注:日本の)古代においてこれ(注:「あお(あを)」)は、現在の青色・緑色・紫色・灰色のような非常に広い範囲の色を総称して(漠色)用いられていたと考えられている。現代でもいくつかの語にそうした影響が残っており、特に緑色をさす「青」の用法は広く見られる。
また、各地方言で「あを」は黄色まで指していたとされ、『大日本方言辞典』によれば、青森・新潟・岐阜・福岡・沖縄といった地方では、青は黄も意味した。


古代ギリシャでは色相を積極的に表す語彙そのものが少なかった。 青色を表すためには2つの言葉、キュアノス (kyanos, κυανός) とグラウコス (glaukos, γλαύκος) が用いられたがその意味は曖昧である。前者のキュアノスはシアン (cyan) の語源でラピスラズリの深い青色をさして用いられたものの、むしろ明度の低い暗さを意味し、黒色、紫色、茶色をも表した。ホメロスはその深みを神秘的なものや、恐ろしげなもの、または珍しいものを形容するのに好んで使用している。一方、グラウコスは瞳や海の形容として用いられたが、青色、緑色、灰色、ときに黄色や茶色をも表し、むしろ彩度の低さを意味していた。


古代ローマでも青はあまり注目されず、青とされるラテン語のカエルレウス (caeruleus) はむしろ蝋の色、あるいは緑色、黒色を表していた。


Wikipedia「青」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92


「東京展」にしても「金沢展」にしても、「川村元紀」作品の「指示書」は「現代日本人」に渡されて来た。何時の日か、その「指示書」は「古代日本人」や「古代ギリシャ人」や「古代ローマ人」、或いは「現代日本人」が想像も付かない感性を持つ人物に渡ってしまうのだろうか。その彼等の「青いもの」は、我々に「青いもの」として見えるだろうか。



「百瀬文」氏の《Calling and cooking》(2012年) を「もびもび」で見るのはこれが3回目だ。


《Calling and cooking》は、「首都圏のアパートのキッチン」と「遠隔地」を電話線で結び付ける事で、空間や意味の多重性を見せている作品と「まとめ」られたりもされる。「首都圏のアパートのキッチン」の女性が手にしているスマートフォンから聞こえてくるのは、「遠隔地」から発せられている声である。しかしレガシーな音声通話は、 Skype や FaceTime の様な「ビデオ電話」に比べて、相対的に通話の相手と「距離」を置く事が可能だ。仮に作中の電話が「ビデオ電話」であれば、モニタに映った「首都圏のアパートのキッチン」に立つ女性の「涙」に対して、「遠隔地」の相手は何らかの反応をしてしまうだろう。話題は「涙」にシフトし、女性はその「涙」の意味を説明しなければならない状況に陥るかもしれない。互いの状況が「見えない」事による「遠さ」。それがこの作品を成立させている。


女性は突然思い立って電話をした様だ。当然相手は面食らう。その時相手は何をしていたのだろうか。会話中の相手の表情はどうだったのだろうか。我々が見ている女性同様、何かをしながらの通話なのだろうか。しかし女性も我々もそれを知る術は無い。「首都圏」から遠く離れた「遠隔地」の金沢のモニタを前にして、その「遠隔地」の側の「見えない」状況の多重性が気になってしまう金沢の自分なのである。


電話は一種の「転送装置」だ。それは「スター・トレック」の "transport" と「同じ」技術である。物質を分解し、それを「ビーム」に乗せて遠隔地に送り、その目的地(受信地)に於いて元の物質と同様なものとして再構築する。声はここにあるが、ここには無い。テレビもそうだろうが、凡そ「tele」の接頭詞が付く技術はそういうものである。


瞬間つまらない妄想が頭を過る。この映像作品は、実はそのデータがアメリカや東京といった「遠隔地」にあるクラウドサーバ内にあって、それを金沢のモニタに映し出しているといった "tele-vision" だったらどうだろうかと。見た目は何も変わらない。しかし勿論そんな事はあるまい。「北加賀屋展」の時にはデータは「コーポ北加賀屋」の「ローカルマシン」に、「東京展」の時にはデータは「CASHI」の「ローカルマシン」に、「金沢展」の時にはデータは「問屋まちスタジオ」の「ローカルマシン」に空間的に「移動」している。それが映像作品の「巡回」という事なのだろう。


「百頭たけし」氏の作品の幾つかは入れ替わっていた。いつもの「サムネール」的な大きさで出力された作品。ふといつもの大きさでは無い出力をされた「百頭たけし」作品を想像してみた。例えばアンドレアス・グルスキーの大きさの「百頭たけし」作品であるとか、ヴォルフガング・ティルマンスの様な大小様々な写真を組み合わせた「百頭たけし」作品であるとか。


それはそれで見応えのあるものになる様な気もするが、「サムネール」的出力、及び「サムネール」的レイアウトで見えていたものは後退するだろう。そして気付くのは、これもまた「類型学」に関わるものであるという事だ。但しその「類型」は、蒐集の法則として予め設定されていたものではなく、並べられる事で見出されるものであり、溶鉱炉と給水塔と冷却塔とサイロと労働者住宅の間から見える様なものである。


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「問屋まちスタジオ」を出てバスで金沢駅まで行き、そこから近江町の「アートグミ」まで「テナント募集」の脇を歩く。


金沢アートグミ 5周年記念 SANDWICH | KOHEI NAWA」という展覧会である。自動化された「タシスム」を背後に会場に入ると、芸術作品の生産の様子を紹介した「 "KOHEI NAWA" の "SANDWICH" 」の PV が大画面で流されていた。4面で大画面である理由は定かではない。


「SANDWICH」は京都市伏見区宇治川沿いにあるサンドイッチ工場跡をリノベーションすることで生まれた創作のためのプラットフォームです。
スタジオ、オフィス、多目的スペースをはじめ、キッチンや宿泊設備を備えた空間では、名和晃平を中心としたアーティストやデザイナー、建築家など様々なジャンルのクリエイターが集い、 活発なコラボレーションを展開しています。造形や施工、グラフィックの専門家を集めた強力な制作スタッフ陣のサポートのもと、定期的に国内外の若手クリエイターが滞在し、互いに影響し合いながら、刺激的なプロジェクトが日々進行しています。


http://sandwich-cpca.net/about/index.html#01


金沢駅へ向かうバスの中で、「もびもび」展に「巨大モニュメント」を作る様な作家がいない事に気付いた。そしてその一方で、「造形や施工、グラフィックの専門家を集めた強力な制作スタッフ陣」に囲まれた「名和晃平」氏ならば、それが易々と「出来る」に相違無いと思ったのだった。