読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

超少女

今から32年前の1982年の正月の話になる。その年最初の発売になる「オリコン・ウィークリー 1月1.8日(1.2週)号」200円也の表紙には、「謹賀新年」という「版」が幾つも押され、そこに「松田聖子(当時19歳:現在51歳)の1月」「真田広之(当時21歳:現在53歳)の2月」「松本伊代(当時16歳:現在48歳)の3月」「柏原よしえ(当時16歳:現在48歳)の4月」「田原俊彦(当時20歳:現在52歳)の5月」「石川優子(当時23歳:現在55歳)の6月」のカレンダーが、水平から20度程傾けられてレイアウトされていた。


誌名「オリコン」の下に「今、何がヒットしようとしているのか」と記されているその号に、一本の「ティーザー広告(teaser ads)」が掲載された。或る「少女アイドル歌手」のデビュー予告の広告である。「'82年3月21日 デビュー決定」「微笑少女(びしょうじょ)」「君の笑顔が好きだ」「a Happy New Face」と列記されたその広告には、肝心の「少女アイドル歌手」の顔写真が載っておらず、イメージ上の「少女」たる事を裏切らない、極めて「少女少女」したランタン・スリーブで頬杖を付く「少女マンガ」タッチで描かれた「イメージ画」と、その名前が載るのみである。


やがてその3月21日が迫るにつれ、ティーザー広告の定石通り徐々に「微笑少女」の「詳細」が明らかにされ、「身長」や「体重」や「BWH」や「趣味」や「ニックネーム」等といった、当時の「少女」に要求される「スペック」を表す「必須項目」が公開される。そしてデビュー月である3月に入ると、いよいよ「サンニッパ・開放・逆光」という典型的な80年代「少女アイドル」撮影法による顔写真が公開され、斯くしてティーザー広告の使命は終わる。公開された顔写真は、その31年後の平成25年度前期NHK連続テレビ小説あまちゃん」で、有村架純嬢が演じた「聖子ちゃんカットの歌手志望の少女」そっくりの、「聖子ちゃんカットの歌手志望の少女」の今一つ垢抜けていないβ版の顔だった。



プロジェクト名「小泉今日子」の「デビュー」年である1982年は、「アイドルの当たり年」とも言われていて、1982年(一部1981年後半)にデビューしたアイドルを「花の82年組」とも称する。主だった「花の82年組」をかなり「厳選」に「厳選」して列挙しても、「松本伊代」「堀ちえみ」「三田寛子」「小泉今日子」「石川秀美」「早見優」「中森明菜」というところになり、また「新井薫子」「伊藤かずえ」「松居直美」「斉藤慶子」等々も「花の82年組」に含まれる。因みに「花の82年組」という呼称は、大相撲の「花のニッパチ組」に由来するものである。


参考記事:覚えてる?花の82年組女性アイドルとその後【昭和のアイドル】
http://matome.naver.jp/odai/2135025437689558301?&page=1


日本に於ける「アイドル(カタカナ)少女」という「特殊な対象(Specific Objects)」の黎明期を代表するのが、「国立音楽大学附属高等学校声楽科卒業」の「天地真理(1971年〜)」や、「宝塚音楽学校卒業(首席)」の「小柳ルミ子(1971年〜)」であるとして、それから11年後の1982年に大量に「生産」された「花の82年組」の「アイドル少女」は、その「多数性」と「多様性(に見えるもの)」と「差異性(に見えるもの)」と「表層性」と「情報性」に於いて、現在の「AKB48(例)」に至る「多数性」と「多様性(に見えるもの)」と「差異性(に見えるもの)」と「表層性」と「情報性」を備える「アイドル少女グループ」の原型となったと言えるだろう。極めて単純に言えば、「花の82年組」として存在していた「全体性」を、そのまま「単一のグループ」として「束ねてしまったもの」でしかないものが、20数年後の21世紀初頭に於ける「AKB48(例)」という「少女商品」なのである。


それはさておき「花の82年組」には、それぞれ「売り出し」の為の「キャッチフレーズ」が存在していた。それもまた、現在に至る「アイドル売り出し」の方法論の先駆けの一つだろう。当時の彼女等に対する「キャッチフレーズ」としては、先の「小泉今日子」の「微笑少女」を始めとして、「松本伊代」の「瞳そらすな僕の妹」や「田原俊彦の妹」、「堀ちえみ」の「GOOD FRIEND」、「石川秀美」の「さわやか天使」、「中森明菜」の「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」等々を挙げる事が出来る。何れも「人工甘味料菓子」の様な「甘さ」を持っていると言えるだろう。「アイドル」という様態が「未完成」だった1970年代の「天地真理」ですら、「あなたの心の隣にいるソニーの白雪姫」という、口の中が「甘さ」でベタベタになる様な「キャッチフレーズ」を与えられているのである。


これらの「デビュー時」の「人工甘味料菓子」の如き「キャッチフレーズ」は、やがて彼女等にとって「足枷」となるものとして働く。多くは「キャッチフレーズ」自体が「忘却」されてしまう為にそうならないだけの話なのだが、しかし仮にそれが一生付き纏うものであったら、「キャッチフレーズ」を付けられた当人は、場合によってはその「キャッチフレーズ」を「一生掛かって否定し続ける人生」というものを歩まねばならない。プロジェクト名「小泉今日子」の1980年代後半というのは、正にその「キャッチフレーズ」を「否定」する「戦い」の歴史であったとも言えよう。



それにしても、一体21世紀の誰が「天野春子」を演じる「小泉今日子」47歳に、デビュー時の「微笑少女」を見るだろうか。しかし「微笑少女」を知る年配者はそれを見てしまうのだろう。「あまちゃん」出演と前後して言われていた「(小泉今日子の)劣化」はその一つであるに違いない。「プロジェクト」である事から離れた「小泉今日子」47歳は、「あまちゃん」の「天野春子」を通して、「『劣化』ぐらい誰だってするわ」を必死になってプレゼンテーションしていた様にも見える。「小泉今日子」の「戦い」は終わっていないのだ。そして「現代美術」界でも同様に、「50代」になっても「60代」になっても、デビュー時に付けられてしまった「キャッチフレーズ」から、永遠に「少女」的なるものとして括られてしまう「因果な人生」というものも存在するのである。

      • -


「最新バージョン」の「現代美術用語辞典 2.0」では、その語「超少女」はこの様に解説されている。


1980年代半ばに登場した、大塚由美子、小泉雅代、寺田真由美、松井智恵、吉澤美香らの女性アーティストたちを指す。命名の由来は、『美術手帖』(1986年8月号)の特集「美術の超少女たち」。ここで美学者の篠原資明はその特徴を「身辺性への偏愛に生きながら、偏狭さを脱け出た女性作家たち」としているが、紹介された女性作家たちの作品は、この言葉でまとめることが難しいほど、多様性に富んでいる。フェミニズムなど特定の理論によって擁護されていたわけではないこともあり、キャッチコピーとしては「スーパーフラット」や「マイクロポップ」ほど成功したとは言い難いが、少なくともインスタレーションを押し進めた女性アーティストたちが華やかに活躍していた時代をうかがい知ることはできる。


著者: 福住廉


http://artscape.jp/artword/index.php/%E8%B6%85%E5%B0%91%E5%A5%B3


「旧バージョン」の「現代美術用語辞典 1.0」ではこの様に解説されている。


平林薫、松井知恵(原文ママ)、前本彰子、吉澤美香ら、1980年代半ばに登場した一群の若手女性作家たちを指す。彼女らの存在は、1986年8月号の『美術手帖』が「美術の超少女たち」と題する特集を組んだことによって注目を集めた。同特集によると、これらの作家たちは「女性であることのハンディキャップを感じさせない」点で共通しているそうだが、全般に作風が華やかで、またインスタレーションを多用するといったごく漠然とした共通項以外には、造形上の共通点をもっておらず、またフェミニズムなどによる理論的な擁護を受けていたわけでもなかった。今にして思えば、時間の経過とともに忘れ去られてしまった観のある「超少女」は、当時の若手女性作家をプロモートするためのキャッチコピー的な面が強い動向だったと言えよう。また「女性でありながら、女性性を必要としない」その作風は、現在では「超少女」にカテゴライズされなかった同世代の女性作家、例えば福田美蘭や白井美穂の作品がより高い水準で実現しているように思われる。


[執筆者:暮沢剛巳]


http://artscape.jp/dictionary/modern/1198693_1637.html



花の82年組」から遅れる事4年。「オリコン・ウィークリー」同様、「今、何がヒットしようとしているのか」誌でもある「美術手帖」の、「その特集」と「その使用」と「その実際」をリアルタイムに見てきた。個人的には「今、何がヒットしようとしているのか」の産物でしか無い「超少女」は、「日本気分史」中の言葉であると思っている。当然「気分」と分かち難く結ばれていて、その語自体では自律しないが為に、持続的な人口膾炙力には極めて乏しかったのは事実だ。しかしそれにも関わらず、「超少女」と「カテゴライズ」された「若い女性作家」には、幾許かの「果報」と多大の「足枷」をもたらした。「広告コピー」ブームの時代に乗じた「大人の男」による無責任な「思い付き」(無責任な「思い付き」で無ければ、その後の「超少女」に対する精密な「理論化」が十分以上にされていた筈である)の産物は、それら「大人の男」の事実上の「放置/放棄」によって「キャッチフレーズ」以上のものにはなり得なかった。そして幾人かの「若い女性作家」からすれば、それに絡め取られない様にする為に、自らの作家活動に於けるエネルギーの多くを割かれる結果に陥らされてしまう。


その「超少女」という「年配者の思い出」が、現在「女子美術大学」の構内にポスターとなって貼り出されている。



今から30年近く前の「超少女」を知らないが故の挙では無く、関連イベント「講演会『超少女は今どこに?』」に「年配者」となった「松井智恵、松尾恵、富田有紀子」を呼ぶ様に、それを熟知した上での「超少女」の使用である。


http://www.joshibi.ac.jp/event/news/1857


「2014年」という時代に、日本で「超少女=若い女性作家(福住、暮沢両氏共に「女性作家」という語を用いている。それはまた「女流」の語とも代置し得るものであろう)」という括りで展覧会を行う事は、限り無く「不可能」事である。況してや日本以外では余計に難しいだろう。「超少女」という、「1986年の日本」では成立可能だった「微笑少女」や「僕の妹」や「美新人娘」的な「人工甘味料菓子」の如き「キャッチフレーズ」も、21世紀的には「問題含み」たる事を避けられない。


その「不可能」な展覧会が、そのまま「不可能」な展覧会であるのか、それとも最早「年配者」しか覚えていない様な「超少女」という「括り」に内在してしまう「難問」から、「21世紀」的な意味で「新た」な「脱出線」を「構築」し得るのか。しかし「後者」の場合には、相当に「戦略」的な「準備」と「覚悟」が必要だろう。そして「超少女」という剣呑な「難問」を「表」に出してしまった以上、当然そうした「準備」と「覚悟」が十分以上に備わっているものと期待しない訳には行かない。恐らく21世紀の「超少女」展は、「思い付き」の産物であった1980年代的な「気分」とは全く別レベルの、極めて自覚化されたチャレンジングなテーマ性を持った展覧会となっている筈なのである。