掲示

〈序〉


ここから東京駅に行くには、どういうルートが良いだろうと思案した。有楽町駅まで歩いて JR線で一駅行くか、営団丸ノ内線銀座駅から一駅行くか。結局歩く距離を少しでも短いものとする為に地下鉄を使用する事にした。三原橋近くまで拡張増床された三越新館前から階段を降り、そのまま晴海通り直下の地下道を丸ノ内線方向に向かう。


営団地下鉄銀座駅営団都営地下鉄銀座駅を結ぶ地下道の区間は、銀座線銀座駅から丸ノ内線銀座駅の間の区間と異なり、かなり「寂寥感」を感じるものである。荒彫石柱、チェーンフェンス、プランターで隙間無くガードされた干支石彫群は、嘗てここに「住宅街」を形成していたホームレス排除の為に急遽設置されたものだ。この石彫の「置かれ方」は、明らかに「鑑賞」の為のものでは無く、仮にこの石彫の「作者(≠業者)」がいたとしたら、ここまで酷い自作の「置かれ方」に対しても、些かのクレームも付けないという寛容な精神の持ち主であろう。



干支石彫を配置したのと同様の理由により、「地下歩行者道に明るく快適でうるおいのある空間を創出することを目的」として、この場所の「寂寥感」を払拭しようと設置されたのが、高さ130 cm 幅 360 cm の「展示スペース」13ケースで構成されている、東京都道路整備保全公社による「銀座プロムナードギャラリー」である。




身も蓋も無く言えば、それは既存の行灯広告の薄いバックスペースを、「白壁」を備えた「ギャラリー」に改造し、周囲に額縁風の紋様を配する事で「芸術」のスペースとしたものである。確かにそれは、「芸術」のスペースとして調整されているが故に、立派に近代的な文化装置の一つと言えるだろう。


「銀座プロムナードギャラリー」の前を横切る「通行者数」がそのまま「観客数」を意味するのであれば、ここは他を大きく離して日本で最も「観客数」の多い「ギャラリー」と言える。同じ「都」関連の施設である為か、使用するに当たっての「禁止事項 」は、あの「読売アンデパンダン展」対策として1962年に制定された「東京都美術館陳列作品規格基準・基準要項」に準拠している様にも思える。


ギャラリーでの展示に当たり、次の事項は禁止されます。
(1)天井から直接吊り下げる作品の展示
(2)騒音を発する仕掛けのある作品の展示
(3)床面及び壁面等を汚損・き損するような素材を使用した作品の展示
(4)電気、火気類を使用する作品の展示
(5)鑑賞者に著しく不快感を与えるなど公序良俗に反するおそれのある作品の展示
(6)展示作品の販売行為及びチラシ等による宣伝行為
(7)その他、公社が不適当と判断した作品及び行為


http://tmpc.up.seesaa.net/image/H22C5B8BCA8C3C4C2CECAE7BDB8CDD7B9E0.pdf


「銀座プロムナードギャラリー」の、「天井」「床面」「壁面」が何処を指すのかは不明だが、それもこれも「銀座プロムナードギャラリー」が「東京都美術館」に准ずるスペースであると考えれば、「小東京都美術館」である事の表現方法として、それらの語が使用されたとする解釈も、かなり無理矢理ながら出来そうだ。加えて「貸会場」であり「団体の発表会の場」であるところからしても立派に「小東京都美術館」であり、またそれをリバースすれば、「東京都美術館」は「大プロムナードギャラリー」とも言えそうである。但しリニューアル後も1926年竣工の「東京府美術館」時代から続く「壁面の穴」を「伝統」として残し続ける前川國男設計の「上野大プロムナードギャラリー」に比べ、「無孔」の純然たる「白壁」が採用されている点では、「銀座プロムナードギャラリー」は「東京都美術館」よりも遥かに「モダン」な展示空間である。曲がりなりにもそれは、1929年の MoMA から始まるとされる「ホワイトキューブ」なのだ。


この「ギャラリー」は、圧倒的に無慈悲な「無視」に晒される空間と言える。「銀座プロムナードギャラリー」の「展示」の前を通る殆どの歩行者(それを観客とするのであれば殆どの観客)にとって「展示」は「背景」でしかなく、「ホワイトキューブ」を背負った「展示」自体が「壁」の一部であったりする。「越後妻有」や「瀬戸内」よりも、信用金庫や公民館のロビー空間にも似たこの「発表会の場」=「銀座プロムナードギャラリー」というガラスの向こう側の空間で「アートイベント」を成功させる方が、現代美術にとっては遥かに困難な挑戦になるだろう。


圧倒的な「無視」を「注視」に変えるのは、「事件」という設えだろうか。しかしそれは、「事件」そのものの持つ非日常性と「アート」の非日常性、即ち「摩擦」が起きるレイヤーを混同混淆する極めて安直な方法論に違いない。少なくともアーティストがダンボールを運んで来て、そのギャラリーの前で実際に寝泊まりする事で当局とのストラグルを意識的に発生させ、最後には「これはアートだから」の一語で切り抜ける類のやり方は、悪手且つ禁手であろうし、何よりもそれはつまらない。それならば、嘗てのホームレスの「住宅街」とその前を行き交う通行者を忠実に再現した精密なジオラマを、「展示スペース」内に展示した方がまだましというものである。

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東京ステーションギャラリー」に行ったのは、「その展覧会」を見た翌日の事だった。東京駅丸の内北口改札口を出て、ピカピカに「復原」された八角形の北ドームのそのまた北側に、同ギャラリーの入口がある。ギャラリーのエントランスに設置された券売機で入館券を買う。その券売機の右側にはこう記されたプレートが嵌っていた。


「この建物は重要文化財です。創建当時のレンガ壁にはお手を触れないでください。Please do not touch the brick wall.」


「作品にはお手を触れないで下さい」ではなく「壁にはお手を触れないでください」という国内のギャラリーを寡聞にして他には知らない。


エレベーターで3階まで上がると「生誕100年!植田正治のつくりかた」が始まった。3階の展示室は、同ギャラリーの公式サイトの記述に従えば「白壁の現代的な空間」である。その3階の展示室を一巡した後、階段を下って2階へ行くと、そこは一転して「重要文化財」の「壁」を持つ空間だった。


重要文化財」に切り替わっても、「白壁」と変わる事無く「植田正治」を十分に堪能してから、ミュージアムショップを通り、出口に向かう階段を降りて行くと、そこにもまた「創建当時のレンガ壁にはお手を触れないでください」の注意書きがある。ここでの見物は「重要文化財」の「壁」だけであるから、「壁」の見物を飽きる事無く見つつ、その前日に見た「その展覧会」のステートメントを思い出していた。


本展は、「絵画にホワイトキューブは必須か?→答え:否!」という、一見すると暴力的だが、 よくよく考えると当然のことを、絵画出身の作家6名によって改めて立証しようという意図を発火点として企画された。ホワイトキューブは近代以降の美術作品展示にとって、作品展開の自立と可能性の発露であったと同時に、脆弱で安易な思考を生む揺り籠となった。ホワイトキューブの登場によって、「白」は全てを平等に受け入れ、発言や口出しをしない聖母的存在となった。 本展は以上のことに対する応答として、日々、壁に展示され鑑賞されている絵画以外の存在=ポスターや書類など情報メディアの「展示場所」である掲示版を絵画の展示空間として設定する。 作品のあり方に対して日々過激な取り組みと考察を繰り広げている絵画出身の作家6名が、ベージュ色の壁布の掲示板に挑戦状を叩き付ける。その格闘の様を通じて絵画にとっての展示とは何かを考察し、美術における「白壁教の信者」たちに喝を入れる機会としたい。


http://kabegiwa.com/news.html


ここで「壁」は「母(聖母)」に例えられている。しかし当然「壁」は「母」とは異なる。一部の画家が「脆弱で安易な思考」に陥ったとしても、その原因は「壁」による「母原病」ではない。所謂「母原病」は「子供」に対する「母」の接し方が原因とされるが、無機物である「壁」は「母」の様に画家に対して接して来る訳ではない。従って「壁」は画家を溺愛する事も甘やかす事も無い。仮に「ホワイトキューブが溺愛し甘やかした所為で、こんなに歪んだ作品になってしまった」と画家が「ホワイトキューブ」を非難したとしたら、それは全く以って御門違いというものであろう。「ホワイトキューブ」が問題であるにしても、それは「ホワイトキューブ」の側に原因があるのではなく、「ホワイトキューブ」への画家の「接し方」にそれはある。或いは「ホワイトキューブ」というのは、そうした「展示」の「場」への「接し方」の別名であるだろう。従って「壁」が現実的に白く塗られていなくても、その「接し方」が同じであれば、そこには「ホワイトキューブ」と全く同じ問題が発生し得る。「ホワイトキューブ」という「接し方」にとって、それが現実的に「白壁」である事は必ずしも条件とはならない。確かに「白壁」でなければ絶対に成立し得ない作品というものは存在する。しかしそれはまた「例外」と言うべきものであろう。

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ブライアン・オドハティ(Brian O'Doherty)は、1976年の "Artforum" 誌で三本のエッセイを発表した。後にそれが "Inside the White Cube: The Ideology of the Gallery Space" として書籍化される。(Google による「なか見」


オドハティはその中で、"A gallery is constructed along laws as rigorous as those for building a medieval church.(ギャラリーは中世の教会の如くに厳密な法則で構築される)" と語り、その法則こそ "one of modernism's fatal diseases(モダニズムの不治の病の一つ)" としている。「美術」展示に於ける「不治の病」とされるモダニズムの法則とは、「視覚」の対象としての「作品」以外の要素を極力排除する調整を行い、且つ「視覚」以外の感覚を周到に観客から奪う事にある。例えばその調整には、ギャラリー空間に窓を設けない、光源は必ず部屋の天井に設置する、自分が歩いている事を自覚化させないフラットでスムースな床にするというものがあり、そこに壁を白く塗る事も含まれている。確かに如何に壁が白く塗られていようと、部屋の光源がテーブルライトやテーブルキャンドルのみであったら、そこは決して「ホワイトキューブ」にはなり得ないだろう。寧ろ光源が天井にセッティングされ、壁面到達時にフラットな光になっていさえすれば、壁がどの様な状態であっても「ホワイトキューブ」の条件を満たし得るケースは少なくない。例えば、「重要文化財」で囲まれた「東京ステーションギャラリー」の展示空間が、或る面でそうである様に。


観客を専ら「視覚の人」にしてしまう事。それをオドハティは "cartesian paradox(デカルト主義的逆説)" と呼んでいるが、それこそが「ホワイトキューブ」という、モダニスティックな「イデオロギー」の現れの一つであろう。そして確かに「白壁」は、その「イデオロギー」を、表現者のみならず観客に対しても、内面化する事に大いに寄与したとは言える。しかし一旦その「イデオロギー」が内面化してしまってからは、「視覚の人」は「展示」の為に調整された空間であれば、何処へ行っても「白壁」の部屋にある様に「作品」を眺めるのである。


「掲示」という行為そのものは、「展示」と何処かで一線を画すかもしれない。但しそれは、「掲示」の場が「視覚」の対象としての「作品」以外の要素を極力排除する事を要求する「展示」の為に調整されていない事が前提になる。仮に「作品」以外の要素を極力排除する「掲示板」といったものが存在するとしたら、それは「掲示板」ではなく「展示板」と呼ぶべきものであろう。ステートメントには「掲示版を絵画の展示空間として設定」とあるが、果たしてそこにあった「ベージュ色の壁布」は、「掲示板」であったのだろうか。それとも「展示板」であったのだろうか。


"display" の日本語訳は「展示」であると同時に「陳列」である。「銀座プロムナードギャラリー」の晴海通りと直交する、中央通り直下の地下道壁面に穿たれた「松屋銀座」のウィンドウディスプレイは、「展示」ではなく「陳列」の場であると言えるだろう。「白壁」である事も多く、形態も含めて「銀座プロムナードギャラリー」との類縁性が高いとすれば、「銀座プロムナードギャラリー」もまた「展示」ではなく「陳列」の場であるとも言える。各作家一人一人に独占的に割り当てられた「ベージュ色の壁布」上の「掲示」の次は「陳列」を見たくなった。