引込線

両親の墓参りを済ませ、そこから歩いて「引込線」展(第三回展)が行われている「旧所沢市立第2学校給食センター」に行った。平成21年(2009年)3月を以って市内下富の「所沢市立第3学校給食センター」との統合によって廃場となった後、建物のごく一部が「防災倉庫」として使用されている「所沢市立第2学校給食センター」の跡地である。


埼玉県所沢市の学校給食は、昭和39年(1964年)以来、市営給食センターによる共同調理の形を取って来たが、平成4年(1992年)の「所沢市学校給食管理運営プロジェクト」によって、各小学校毎に給食調理室とランチルームをセットで設置する単独校調理方式に方針転換される。現在所沢市立小学校32校中15校が調理室を備えているが、最終的にはその全ての給食が自校化する予定になっている為に、市営セントラルキッチンとしての給食センターの使命はそこで終わる事になる。自校式の給食調理の運営は、民間委託と所沢市による直営が混在しているものの、主に人件費削減や献立開発といった「行革/民活」的な意味では民間委託に分があると言う。但し学校給食の民間委託にリスクが無い訳では無い()。


所沢市立第2学校給食センター」は廃場となってから4年以上が経過しているものの、綱渡りの市財政で賄われる事になる解体撤去費用の問題もあり、その結果、回転釜、シンク、調理台、パンラック、保管庫、食器洗浄機等といった設備の大半が、事実上手付かず状態で残されている。その多くはステンレス製である為に、短期間に朽ち果てる事も無い。それ故に、日本の戦後生まれの人生の大半が収められて来た「学校給食史」という観点からすれば、工場然としたそこは、学校給食が産業的な効率化に突き進んでいた時代に思いを巡らせる事の出来る極めて状態の良い「歴史遺産」と言える。




参考:給食のあゆみinところざわ〜所沢の学校給食の歴史〜
http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/kenko/kodomo/gakkyokyushoku/ayumi/index.html


こうした「歴史遺産」は、普段は一般公開を前提としている訳ではないから、この様なイベントが無い限りは関係者以外は見る事が叶わない。「引込線」展のプレ展(2008年)、第一回(2009年)に使用された「西武鉄道旧所沢車両工場」もそうだったが、日常世界の下部構造を「工場見学」的に見せてくれるという点で、「引込線」展は有意義であると言える。

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本展から「所沢ビエンナーレ」の語が展覧会名から外されている。そして一方「美術作家と批評家による第四回自主企画展」が明示的になった。「(美術作家による)自主企画展」という言葉は、今から30年程前の美術状況でもしばしば聞かれた言葉である。「艶姿華彩(神奈川県民ホールギャラリー=横浜・1980年)」、「New Painted Relief:物体としての絵画(Gアートギャラリー=東京・1981年)」、「HAPPY ART(村松画廊=東京・1981年)」、「フジヤマゲイシャ(京都市立芸術大学ギャラリー・1982年)」、「ポリパラレル(Gアートギャラリー=東京・1983年)」、「迂回のパッサージュ(淡路町画廊=東京・1984年)」等がその例として上げられる。そしてこの「引込線」展の「コア」メンバーである戸谷成雄氏、遠藤利克氏、倉重光則氏、伊藤誠氏は、その「艶姿華彩」や「迂回のパッサージュ」といった1980年代「自主企画展」の「コア」メンバーでもあり、その記憶を持っている人達だ。


1980年の「艶姿華彩」のパンフレットから引く。


各参加作家がその場所の中に身を置いて批評的に自分も位置を示し、方向を持った時はじめてアクティブな表現が可能となると考える。


「自主企画展」が行われる背景には、幾つかの「不可能」の存在があるだろう。例えば「自分のやりたい作品発表は企画者を別に立てる展覧会では実現不可能」というものがある。そのバリエーションとして、「売れる(評価される)作品と作りたい作品の間に存在する齟齬の調整や解消は不可能」というものも「展覧会のオファーが何処からか来るのを待ち続けていても発表機会の確実な獲得は不可能」というものもあるだろう。先に具体例を上げたものとは別に、少なからぬ「自主企画展」が「オフミュージアム」の形を取っていたのは、「既存のホワイトキューブ空間で自分の作品を形にしたり意味あるものにするのは不可能」や「自主的に選んだこの場所でなければ作品表現自体が不可能」や「広範な層の観客の足を美術専門の空間に運ばせるのは不可能」といった事からであろう。こうして様々な「不可能」によって阻害される様々な「可能」を獲得する為に「自主企画展」は行われたりする。


「自主企画展」の参加作家にとっての「不可能」はそれぞれの作家で異なる。参加作家間の「可能」に対する「切迫感」の共有度が高ければ、「自主企画展」としての強度は増す。当然「自主」である事の「切迫感」自体の強度は言うまでも無い。しかしこればかりは、参加作家が自らの「切迫感」を幾ら主張しても詮無い事である。偏に「表現者」の「切迫感」というものは、展覧会を見た受け取り側が判断するものだ。即ち「表現者」の「切迫感」は、それ自体が巧拙を問われる対象としての「表現物」である。「私ほど誠実な人間はいない」と自らの「誠実」を言う者の「誠実」がそうである様に、それには「切迫感」という目に見える「形」が必要なのだ。

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「歴史遺産」には「歴史遺産」の時間系が存在する一方で、「美術作品」には「美術作品」の時間系が存在する。その二つの時間系が重なり合う様に見せるケースも、例えば「犬島」の様な「歴史遺産」の中で行われる展覧会では散見されるものの、しかしそれは見せているだけであって一致する訳では無い。一方で「ヴェルサイユ宮殿」でのジェフ・クーンズ氏村上隆氏の様に、爽やかな位にそれらを重なり合わせる事をしないという選択もある。


2013年の「引込線」でも、その二つの時間系の間の何処にその身を置くかという、それぞれの作家の立ち位置の違いが見えた。「歴史遺産」の時間系に「美術作品」の時間系を合わせに行く作家。「美術作品」の時間系に「歴史遺産」の時間系を合わせに行く作家。「歴史遺産」の時間系をそのままにして「美術作品」の時間系をその触媒にしようとする作家。「歴史遺産」とは異なる「美術作品」の時間系の自律性を保ち続けようとする作家。そもそも「歴史遺産」の時間系自体に興味が無さそうな作家。そうした他の時間系との関係性のバリエーションが直接的な形で見えるというのは、確かにこうした場所での展覧会ならではと言える。


入口受付で渡される「展覧会」の案内フライヤーには、この場所(「所沢市立第2学校給食センター」)についての説明は「作品との絡み」以外には書かれてはいない。今回の「引込線」には「ゼミナール給食センター」という企画もあって、「アーティストと執筆陣の有志が恊働して、芸術をめぐって激論を交わす」らしい。その「芸術をめぐって」は「芸術よもやま話」を意味するものであろうか。それとも「芸術をめぐっているもの」を意味するのであろうか。


本展で最も印象深かったものを一つだけ上げなければならないとしたら、個人的には伊藤誠氏の作品「土星」の脇の床上にあった「染み」を上げたい。



「油土 他」で作られている「土星」と、床上の油「染み」との間に直接的な因果関係は存在しないだろう。だからこそ、二つの時間系のクロッシングの在り方の可能性をそれは示唆的に語っている。「土星」はそれと「無関係」な「染み」によって可視化され、「染み」はそれと「無関係」な「土星」によって可視化される。

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「引込線」は、2年後も行われると関係者の一人から聞いた。次回会場は何処になるのだろうか。