実物大

【序】


昭和64年(1989年)1月7日朝。「工場」のAMラジオから流れる荘重な音楽と、押し殺したようなアナウンスを聞きながら、自分は「兵器」の製造に追われていた。


昼休みに改めてテレビを点けると、何ヶ月も前からそのパッケージが完成していたと思しき「昭和」を回顧する映像が流れている。それは「昭和」が「戦争」をこそ蝶番とする「戦前/戦中/戦後」の時代であった事を否応無く印象付けるものだった。「兵器」製造の仕事に戻る為、再びテレビの電源スイッチに手を掛けたその時、14インチのトリニトロン・ブラウン管には、着剣した三八式歩兵銃を担いだ、学生服にゲートル巻きの大学生が、雨中の明治神宮外苑競技場(現国立霞ヶ丘競技場)トラックを、陸軍分列行進曲に合わせて行進している昭和18年(1943年)10月21日の映像が映し出されていた。そのスタンドで日の丸を打ち振り、東條英機首相の訓示と出陣学生代表の答辞を聞き、「海行かば」を歌った動員女子学生の一人だったという自分の母親の昔語りを思い出しながら電源スイッチを押し込むと、行進する大学生は一瞬の内に小さな光点に収縮し、やがてアパーチャーグリルの鈍色をした闇へと吸い込まれていった。階下の作業場に戻った自分は、再び「兵器」の走行部の仕上げに取り掛かった。納入期日は迫っていたが、現場の責任者は「兵器」の製造が一時中断されてしまうのではないかと心中穏やかでは無かった。


「兵器」の名前は「GUNHED UNIT 507」。基本的な動力源は「原子力を無用の長物に変えた、画期的な合成燃料でありしかも簡単な化学操作で無限量が生み出せる代物」である「ハイパーリキッド」。東宝サンライズバンダイ角川書店IMAGICA東宝映画のメディアミックスユニットである「ガンヘッド製作委員会」により製作された、平成元年(1989年)7月22日公開の特撮実写映画「ガンヘッド(GUNHED)」に登場する「近未来(当時)」の巨大可変装甲戦闘車両である。監督脚本原田眞人特技監督川北紘一メカニックデザイン河森正治サンライズのロボットキャラクターと、東宝の特撮技術のコラボレーション。折しも時は「バブル後期」であり、当時の邦画界では「破格」の15億円という制作費を投じた、東宝の何回目かの「社運を掛けた」特撮映画であった。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%89


ストーリー詳細: http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD18108/story.html


破格なのは、全長、全高共に6メートル程もある撮影用及び宣伝用の実物大1/1モデルを、約「1億円(現場的な符牒上の数字)」を投じて作った事にも表れている。「ガンヘッド」公開時は、CG が映画界を全面的に浸食する直前であり、同時に東宝的なミニチュア特撮技術やオプティカルな合成技術の限界が隠し様も無く露呈していた時代でもある。「スターウォーズ」や「ブレードランナー」等の一般公開によってすっかり目が開かれてしまった観客が求める、映像合成技術のレベルの底上げ後に要求される映像クオリティを満足させるには、独自の形で進化の極点に至ってしまった東宝特撮職人芸のみでは既に実現不可能なものになっていた。


世田谷砧の東宝スタジオ第9ステージでの 1/1 モデルを使用した「ロボット墓場」シーンの撮影当時も、その向かいにはあの「大プール」が存在してはいたが、しかし縮小が効かない「水」という大問題を克服する技術など、観客に「見て見ぬ振りをして貰う」という「お約束(甘え)」以外に存在する筈も無く、結局事実上それは殆ど使用されなくなっていた。恐らくその様な映像に対する市場からの質的要求に対する結論の一つとして、「ガンヘッド」の実物大モデルの制作が導き出されたのではないかとも思われる。何故ならば、ミニチュア特撮やオプティカル合成で全てが可能になると思われている世界では、実物大モデルを作る事自体が不合理であるからだ。CG で全てが可能になると思われている世界で、実物大モデルを作る事が不合理である様に。


完全な形態での 1/1 モデルの登場シーンは、事実上 DVD のジャケットにもなっている横須賀市の住友重機・浦賀工場(ドック)機関工場跡地で撮影されたシーン位のものであり、その制作は多分に宣伝(東宝スタジオ製作発表、東京新宿アルタ前広場、兵庫尼崎つかしん)上の意味の方が大きいと思われるものの、一方でそれは東宝的ミニチュア特撮やオプティカル合成といった技術の終焉が、すっかり到来してしまっていた事を表してもいた。既に技術としての東宝的特撮は伝統芸能以上の意味を持たず、事実東宝が次々と「社運を掛けた」と称して繰り出す特撮映画は、自社の持つ特撮技術への過度の「信頼」と、特撮慣れした観客に「見て見ぬ振りをして貰う」事に余りに期待し過ぎた作りになっているが故に興行的に連戦連敗だった。確かにその意味で「ガンヘッド」は「社運を掛けた」なのである。そして「ガンヘッド」は、程無く別の映画に「社運を掛けた」と期待を移される興行成績に終わる。


東宝特美によって起こされた設定画や、造形設定ミニチュアモデル、手描き(まだ舞台美術に CAD は登場していなかった)の三面図等は、1/1 モデルを作るにはディテール感に乏しい物であり、またそれぞれの造形や寸法に統一性は皆無だった。それは各縮尺の撮影モデル間にも言え、撮影シーンに合わせてチョイスされるそれら(1/24、1/8、1/3、1/1等)に、造形的に厳密な統一性は無い。即ち何処にも「ガンヘッド」の造形上の「正解」は存在しない。1/1 モデル製作に当っては、結局現場の判断でディテール決定をしていった。アニメや特撮ミニチュアやガンプラ等といった、「メートル単位」を表現しさえすれば良いメディアでは無視されてしまう「センチメートル単位(場合によってはミリメートル単位)」のディテールを作らなければ、 1/1 の世界では造形的に持たない。それがフィルムを通してではなく、宣伝目的で露天に置かれ視線の物理的対象になるとあれば尚更である。


ガンヘッド」の製作発表は、東宝スタジオ旧第10ステージでされたと記憶する。それは、主要キャストとスタッフが、実物大「ガンヘッド」の前に揃って記者会見をしたものであった。その中心スタッフの一人が、カメラの注文に応じて実物大「ガンヘッド」の、地上から僅か数メートルの高さにあるコクピット部の上に登った際に発した発言が残っている。


「怖えーーー!!!こんなに高いのか!?」
「こんなだったらガンダムなんて操縦出来ない。死んじゃう。」


1/1 = 実物大とはそういうものである。原作アニメや設定画に思い付きで描かれた突起に躓いて、頭を打って死んでしまうかもしれないのが実物大である。「ガンヘッド」や「ガンダム」が動き回る戦場で、そこに居合わせた者に実際として現れるものは何処までも実物大である。タミヤ1/48 では決して判らない深淵が、遊就館実物大にはある。満足な飛行訓練を受けないままの少年兵が、爆弾を抱えて(敢えて言うが)こんな代物に乗って突撃して行かねばならないという深淵。しかし実物大の戦場に於ける実物大の恐怖は、実物大を忘却させる物語によって糊塗される。アニメや特撮やCGは、多くの場合そうした物語の生産に奉仕したりもする。そしてそれはまた、映像そのものの宿業でもある。実物大を作ってみれば直ちに判明するが、凡そ全ての巨大人型ロボットというのは、実物大的には極めて馬鹿馬鹿しい不合理な存在でしか無い。馬鹿馬鹿しいかもしれない実物大は、その馬鹿馬鹿しさ故にそうした物語への回収を拒む何物かでもあるだろう。

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パシフィック・リム」と「風立ちぬ」を立て続けに見た。二本とも画面の中に「描かれている」だけでも、数万人単位の人間が死んでいる映画だと思った。そればかりが気になって物語が頭に入って来なかった。従ってそれらの物語について語る権利を有しないし、そもそも語るつもりも無いのである。



【続く】