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墓は語るか

承前


少しだけ半径を狭めてもグルグルと。

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展覧会は、当面、一種の「異界」ではあるだろう。当面、人はそこに、日常とは「異なるもの」を求めに行く。仮にそこにあるものが日常的なもののみで構成されていたとしても、それでもそれが「異なるもの」として現れているのが展覧会であるとする事に対して、積極的な異論を挟む必要性を余り感じない。


行きたくないのに強制的に行かせられてしまう(例えば学校の美術鑑賞の課外授業で、お腹が痛くなってしまう子供が出てしまう様に)という抑圧的なケースが皆無であるとは言わないが、多くの場合、展覧会という「異界」は自ら望み好んで訪れる場所である。それは「死」の様に不可避的なものではなく、確かに行かなくても済むものではある。


それでも自ら望み好んで訪れ、しかもそれが非常に好ましいもので、「現世」からの離脱やそれに対する抵抗をもたらしてくれる展覧会であったとしても、人は永遠にそこにはいられない。「展覧会に行ったきり、二度と帰って来ませんでした。どっとはらい 」という事例は恐らく無いし、現実的にはそれが不可能なケースが大半だ。何よりも多くの展覧会には閉館時間という「現世」の決め事があり、人はその時間までに「異界」から出て「現世」に還らなくてはならない。但しその様な形で展覧会から強制的に追い立てられるまでもなく、大抵の場合展覧会に望み好んで来た者は、自ら望み好んだにも拘わらず自主的に展覧会から立ち去る事を選択する。


人は何故、自ら望み好んで訪れた展覧会から立ち去り「現世」に還って行くのか。その事をここで深追いする事はしないが、いずれにしてもこの「異界」と「現世」は往還可能なものである事は間違い無く、その様に往還可能であるからこそ展覧会というものに意味があるとも言える。即ち展覧会は、最終的には観客にその場に留まり続ける事を許さず、「現世」に還って貰わなくてはならないものなのである。

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「異界」と「現世」との往還のケースとしては、例えば黄泉國に行った伊邪那岐命が上げられる。伊邪那岐は、自らの意志で黄泉國へと向かい、そこで最愛の妻であった伊邪那岐命にコンタクトを取る訳だが、その伊邪那岐は、黄泉國に所属する者となる為の契約である黄泉竈食(よもつへぐい)をしてしまった為に、「現世」との往還が不可能になってしまっている。一方黄泉比良坂(よもつひらさか)を経由して黄泉國を往還した伊邪那岐は、「古事記」に往路の道程が特記されていない事でも判る様に、実にカジュアルに伊邪那美の後を追って行く。そして簡単に彼女を連れ帰られると、これもまたカジュアルに思っているし、実際に左の角髪に刺していた湯津津間櫛の歯を折って火を灯すまでは復路の旅もそうだったのだろう。ここまでの黄泉國は、「現世」に属する者にとって双方向的である。しかし火を灯した事で「現世」的な「視覚」を取り戻してしまった伊邪那岐の見た黄泉國は、「現世」的には「穢國」に見え、伊邪那美は「九相図」的な時間の只中にある様に彼の目に映った。無理もあるまい。「現世」の神である伊邪那岐は、未だ「異界」に於ける知覚を知らない。そして、恰も葦原中國の隣村の様に存在していた黄泉國は、伊邪那岐が黄泉比良坂を大巌で塞ぐ事で、以後整流作用が働く事になり、往還の双方向性は呪われたものを除いて不可能になる。


別のケースとしては、先日も書いた浦島太郎がある。「異界」である龍宮城から「現世」に還り、玉手箱を開けるとたちまち「お爺さん」になる形で、「異界」と「現世」の時間的整合性を図る(それでも釣り合わないと思うものの)というのが唱歌や童話の中の浦島太郎だ。その話の原形に最も近いとされる「丹後國風土記」によれば、龍宮城は無時間的(循環的時間)な蓬莱山(仙界=常世)である。イカしたイケメンである浦嶼子(浦島太郎)は、「助けた亀に連れられて」ではなく、釣り上げた五色の亀が化身した絶世の美女から「天や地や太陽や月が無くなるまで永遠に一緒にいたい」と求婚され、であるからこそ自らの強い意志(男の欲望)で「常世」に行く決心をし、一瞬のワープで至り着いたそこで、凡そ「現世」とは比べ様の無い酒池肉林(後世には「肉林」部分を詳細に記したバージョンも存在する)の「肉体を剥がす」毎日を送る。


浦嶼子はこのまま理想郷たる仙境にいれば良かったのだとも思えるが、しかし「少人(おとれるもの)は土(くに)を懐(おも)ひ、死ぬる狐は岳(をか)を首(かしら)とす」る望郷の念が募り、斯くして彼は「現世」に還る事を選択する。ここで注目すべきは、「現世」に還る事を「死ぬる狐」に準えているところだろう。浦嶼子は「現世」に還る事で、自身が程無く「死ぬる」運命にある事を予め知っていたと言えなくもない。そして「現世」に持ち帰った玉匣(玉手箱)を開けると、果たして浦子の若く芳しい肉体は、風雲にさらわれる様に天空に飛び去って行く。後年それは「お爺さん」という解釈に変化する訳だが、しかしこれは「九相」の過程を三百余年分飛ばして、身体が「気化」したと考えた方が良いかもしれない。そして浦嶼子の肉体が不可逆的に失われた後に、嶼子と神女の間で詠まれた歌は、当然空蝉(うつしおみ=現人=現世)的肉体を介してのものでは無い。その歌が交わされた「場所」は一体何処であったのだろうか。


「丹後國風土記」に於ける浦嶼子の「現世」と「異界」の往還が、必ず目を瞑る事で行われているというところは見逃せない。即ちそれは、「現世」的な知覚を一旦停止し、次に目を開けた時には別の種類の知覚に置き換わっているという事にならないだろうか。夢の中で目覚めるが如く。「現世」的な知覚で蓬莱山(仙境)を見れば、そこは伊邪那岐が光を当てる事で観測された、黄泉國と同じ腐臭漂う魔神の世界だったのかもしれない。浦嶼子が耽溺した酒池肉林の饗宴は、「現世」的な感覚で観測すれば、唾棄すべきものだったのかもしれない。蛆虫を食わされ(しかし至極美味)、骸骨と交わる(しかし至極法悦)といった様な、所謂「化かされている」状態としての。となれば「化かされている」状態であれば、黄泉國も楽園に見えるに違いない。


伊邪那岐の「異界」と「現世」は、黄泉比良坂=道という連続性(それは認識の連続性を表す)によって接続している。一方の浦嶼子の「異界」と「現世」は、瞑目という非連続性(それは認識の非連続性を表す)によって接続している。その二者に於ける接続の意味は当然大いに異なる。「異界」から還ってきた伊邪那美は、「異界」を「禊」という形で否定する事で、以後も「現世」の価値観で「生」き続ける。他方の浦嶼子の「現世」帰還は、玉匣を開けた瞬間に「現世」の「時間」が流れ込む事で、嶼子は「昇華」の形で「現世」に属する者としての「死」を迎える。

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それを何と言って良いのだろうか。色々と検索してみた。赤瀬川原平氏は「石」と書いていた。また「彫刻」としているものがある一方で、「墓」と書いているものもあった。「モニュメント」というものもある。


それは、香川県高松市牟礼町にあるイサム・ノグチ庭園美術館向かい、丸亀の商家を移築したイサム・ノグチ邸裏の屋島を望む小山に、(重力的に不安定にされているという意味で)若干の角度を付けられて立てられている、人の背丈程の卵形の万成(まんなり)石である。ネットから拾った限り(その正確性の「限り」も含め)でのスペックを並べてみる。その万成石はイサム・ノグチが亡くなる三年前に岡山で見付けられた。イサム・ノグチはその石を愛していて、終生それに手を付ける事は無かった。或る日イサムは、仕事上のパートナーであった和泉正敏氏に、「ぼく、この中に入ったら、どう?」と言い、石の中心から少し下の位置に丸印を描いた。イサムの死後、丁場師でもある和泉氏はその石を割り、イサムの示した位置に穴を彫り、イサムの妹アイリスから渡されたイサムの遺骨(全体の1/4。残り1/2はロングアイランドシティのイサム・ノグチ庭園美術館に。後の1/4はマウイ島の海に)の入った壺を納め、再び割られたそれを閉じて原状の形に戻した。


外から見える人の手による「仕事」としては、が入る数十個の穴だけだが、それは石割の為に開けられた実用的なものであるから、石の中央部までには届いていない。一方でその石に於ける唯一の「彫刻」の「仕事」は、イサムの骨壺を収める為に(恐らく断面の中心部に彫られたであろう)石の内部の空隙である「穴/室」だが、それがどの様な「造形」を施されているかは閉じられていて見る事が出来ない。それを、現在の我々の多くが写真という名の視覚対象化装置で知るところのピラミッドの玄室内や古墳の石室内の様に暴き晒してしまえば、その「造形」はたちどころに知れるところとなる。「現世」的な「造形」という評価基準から言えば、それは壮麗かもしれないし、簡素かもしれない。精緻かもしれないし、粗雑かもしれない。傑作かもしれないし、駄作かもしれない。


しかしいずれにしてもその「造形」は、伊邪那岐に於ける黄泉國や、浦嶼子に於ける蓬莱山への評価の様に、「造形」をこそ見る「現世」の知覚が「判断」するところのものである。隠れている石の中の「空隙」としての「彫刻」は、バールか何かで抉じ開けられて光が入ったその瞬間に、「見える」ものとしての「造形」として「化ける」のかもしれない。伊邪那美が黄泉國を「穢れたところ」と認識し、浦嶼子が蓬莱山を「素敵なところ」と認識した様に。

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展覧会に行く事で人は「死ぬ」のだろう。往還可能な「異界」としての展覧会で、人はそれまでの「現世」的な「知覚」を多少なりとも何処かで捨てなければならない。展覧会で見えるものは「現世」で見ているものとは異なる。そして尚も展覧会は、「現世」的な目で見えるものを見せると同時に、「現世」的な目で見えないものをより見えないものとする。その上で、見えないものをより見えなくさせられている事が展覧会に存在している事を、展覧会の観者は何処かで「知って」いなければならない。


空間的に見れば、展覧会という「異界」は「現世」的な空間内に内包されている。その意味で展覧会は決して「現世」とは「別の場所」に存在しているのでは無い。即ちここでの「異界」と「現世」は「内―外」の関係にある。そして一旦展覧会という「異界」に入った者は、「異界」での知覚を持つ者として自らを切り替えさせられる。


ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか ─彫刻と呼ばれる、隠された場所」と題された展覧会。英訳は「Et in Arcadia Ego, The Hidden Place Called “Sculpture”」であり、「墓は語るか」部分は割愛されている様にも、"Et in Arcadia Ego" に纏められている様にも見える。展覧会概要のみを公式サイトから引く。


本展では、「彫刻とは何か」という問題を「墓」という視点から読み解くことを試みます。「墓」は死者を埋葬した碑である一方、その下に「隠されたもの」あるいは「もうひとつの世界」を暗示しています。そこに何かが「隠された場所」として彫刻を捉えることによって彫刻のひとつの本質が見えてくるのではないか。そういう問題意識のもとに、本学彫刻学科の教員である作家たちの作品を展示し、合わせて古代エトルリアの墓碑彫刻やジャコメッティイサム・ノグチなどの「隠された場所」をめぐる作品を同時に展示いたします。


ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか ─彫刻と呼ばれる、隠された場所
岡粼乾二郎 (コンセプト展示・企画)

彫刻芸術の核心は感覚の及ばぬ=決して現実空間の延長として捉えることのできない別の場所、すなわち感覚されうる現実と切断された、感覚の侵入できぬ別の場所を匿うことにある。
 視覚や触覚などの感覚が捉えうるのは、彫刻の表面にすぎない。感覚(視覚や聴覚、触覚も)は距たりある対象を捉え、ゆえにわれわれの知りえる現実を拡張する力をもつ。だが反対にいえば、よって感覚が捉えうるものは、その現実の境界面の現象にすぎない。絵画はその能力によってその境界をさらに拡張する。けれど彫刻はむしろその現実内に与えられた自らの領域の限界=形態に閉じこもるように現れる。
 彫刻芸術の逆理は墓のもつ二重性そのものと重なる。例えれば感覚が捉えることができる彫刻は墓標のようなものである。けれどいうまでもなく墓の本質は、決して現世とは連続しえない、そして現世よりはるかに長く持続する時間と空間を墓室として保持し、そしてその場を現世のinterest(関心、利害)が侵入しないように匿うことにある。
 cryptとは地下墓地であり、Cryptographyは暗号。すなわち彫刻は、感覚されることによって自らを隠す。現世という時空と不連続な空間、現世が拡張し侵入することが不可能な空間を隠し持つ、内包することにこそ本質があった。
 展示は、古代より存在論的に不可分だった墓と彫刻の関係を歴史的に通観し、彫刻が担う今日的な課題を照らし出す問題群として構成する。


http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/6487


この展覧会にも「内―外」がある。この展覧会を見てから「現世」に還り、それでも例えば「墓」や「彫刻」に対するそれまでの「現世」での自らの認識が、ほんの少しでも「死」なないのであれば、最初からこの展覧会に(も)行く必要は無い。そしてこの展覧会には、その展覧会の内部に幾つもの「内―外」が「同心円」状に仕組まれている。その幾つもの「内―外」を往還する度に観客は「死」ぬ。


観客は「現代の日本を代表する彫刻家7名(公式サイトの記述に従う。以下同)」エリアの始まりである遠藤利克氏の野外作品を通り過ぎる事で、大学キャンパスという「現世」から展覧会という「異界」の「内」に入る。三沢厚彦氏の作品を正面に、その脇の伊藤誠氏や郄柳恵理氏の部屋を経て、美術館の自動ドアを潜ると、三沢厚彦氏の奥に戸谷成雄氏、遠藤利克氏、黒川弘毅氏の作品。奥の高いフロアには岡崎乾二郎氏と郄柳恵理氏の作品がある。


それらの「現代の日本を代表する彫刻家7名」を「内」から「外」へと反転させる次の「内」の開口部が、美術館入口自動ドアから見て向かって右側にある。そこには「ジャコメッティイサム・ノグチなど(注:加えて白井晟一、若林奮他)」が存在している。そしてその開口部から見えるジャコメッティの「横たわる女」の向かって左側に、今度はそれらを「外」へと反転させる次の「内」である「古代エトルリアの墓碑彫刻」のエリアの開口部がある。この三重(恐らくそれ以上の数が存在している)の「内―外」は、主に「外」から「内」に向かう参照のベクトルをも表している様にも思える。仮に「古代エトルリアの墓碑彫刻」のある最中心部が「現代の日本を代表する彫刻家7名」で、その「外」に「ジャコメッティイサム・ノグチなど」、そして最外周部に「現代の日本を代表する彫刻家7名」に替えて「古代エトルリアの墓碑彫刻」という構成であったなら、展覧会に出品されたものが全く同じであっても、全く違った展覧会になっていたと想像される。


「大学キャンパス」→「現代の日本を代表する彫刻家7名」→「ジャコメッティイサム・ノグチなど」→「古代エトルリアの墓碑彫刻」→「ジャコメッティイサム・ノグチなど」→「現代の日本を代表する彫刻家7名」→「大学キャンパス」という何重もの「内―外」を何度か往還してみた。部屋はその度に違ったものになった。そして最後に遠藤利克氏の野外作品を抜けて「現世」のコイン駐車場に戻る際、その作品のアスファルト路面の切り欠き部分がクローズアップされて見えて来た。この地に玉川上水が引かれる前の、凡そ耕作に全く適さない痩せた荒野だった頃と同じ関東ローム層の土、新田開発で農民の汗を吸いもした土、源平の兵士がここで斬り合いをしたりもした土が露出している。


展覧会の会期は今月の10日までだ。やがてこの遠藤作品も撤収され、その切り欠き部分は再びアスファルトで覆われると想像される。それは全面的な舗装のし直しではなく、継ぎ当ての様なものになるのだろう。その洗練された工事とは言い難い継ぎ当てのアスファルト路面も又、「彫刻と呼ばれる、隠された場所」を見せてくれるのかもしれない。


【了】