報告会

京都市営地下鉄烏丸線今出川で降車し、出口1を上がって行くと、いきなり脳内にブラームスの「大学祝典序曲」が流れ、古い「螢雪時代」の表紙が浮かんで来た。一帯は煉瓦だらけである。自分の大学生活には全く縁の無かった風景に戸惑うと同時に、少々気が滅入って来た。極めて個人的な生理として、「日本の煉瓦造の建物」というものが駄目なのである。それは正確には括弧付きの「日本の『煉瓦造』の建物」に表象されるところのものが駄目なのだと思う。その証拠にヨーロッパで見た括弧無しの煉瓦造の建物には、一向にアレルギーを感じない。山間の大学時代の四年間を過ごした、散らかったプレハブ校舎に心の中で感謝した。日本人にとって、「煉瓦」は未だに当事者性を有し得ない遠い世界を表象する、意匠的に「ディープインパクト」な建材なのではないか。即ち日本でのそれは、他人様の口を借りて物を言う為の建材である。日本の大学で育まれるべき日本の知性は、少なくとも「日本の『煉瓦造』の建物」の「煉瓦」の如きものであってはならないだろう。


2012年竣工の、「煉瓦造」風の同志社大学「良心館」の回りで少々迷った事もあって、教室に入った時には20分遅れになっていた。聴講側の席に座るのは久し振りだ。


オープンリサーチプログラム[報告会]田中功起蔵屋美香
「抽象的に話すこと——ヴェネツィアビエンナーレに参加して」
http://www.parasophia.jp/events/a/koki-tanaka-mika-kuraya/


暫く田中功起氏、蔵屋美香氏の話を聞いている内に、構成は異なるものの、東京・四谷の「ジャパンファウンデーション」本部で今月18日に行われた「報告会」(comos-tv)と、語られている内容には大きな異同が無いという印象を持った。失われた20分間を、それに基いて自分なりに「補正」した。


”GIAPPONE” の横の "imaginary distance (or the distance from FUKUSHIMA)" によれば、ヴェネチアの「日本館」から「福島第一原子力発電所」までは 9478.57km なのだそうだ。京都の「良心館」からそこまでは約 543km である。東京の「ジャパンファウンデーション」からは約 226km 。それが必ずしも当事者性に於いて 17.5 : 2.4 : 1 の比例関係にならないところが、一筋縄では行かないところだ。例えば「東京新聞(東京都内シェア5%前後)」と「京都新聞京都府内シェア42.4%)」という、それぞれの「地方紙(注)」の紙面を比べてみれば一目瞭然である様に、それぞれの「東日本大震災(東北大震災)」関連の紙面登場回数は、恐らく一桁以上の差が存在する。印象的には二桁かもしれないとすら思える。京都には「東京新聞」は無い。その様な差は、twitter アカウントをそれぞれの地域でピックアップして比較しても、そのツイートに於ける「東日本大震災(東北大震災)」関連の出現数に共通する数字が見られるかもしれない。


(注)「東京新聞」は関東一都六県と静岡県東部のブロック紙、「京都新聞」は京都と滋賀の地方紙


「震災以後の日本の状況」にもまた濃淡や色合があり、加えて言えば、当事者/傍観者という対立軸とは別の対立軸による非対称性も無視出来ない。「別の対称軸による非対称性」とは、例えば同じ「音楽」なのに、「ジャズ」と「クラシック」に分かれてしまったり、同じ「焼物」なのに、「現代陶芸」と「商業陶芸」の間に引かれてしまう類の非対称性である。そして日本国内にあって、当事者でもなければ傍観者でもないという存在は十分にあり得る。傍観者というのは、多かれ少なかれそれでも「観ている人」を意味し、従って「抽象」の効力が及び得る場所に属している。それは「他者の経験を自分のものとして引き受ける」事や、「出来事の経験」を「共有もしくは分有」する可能性が存在し得る場所である。


ヴェネチア・ビエンナーレという「国際」的な「ステージ」、即ち大まかに「日本から9478.57km周辺の地」では、そうした濃淡や色合は捨象されてしまうというのは、現実的に言って「日本人すべてが被災者として理解され、東京と福島の距離関係さえも定かではない」とするステートメントが主張する通りであろう。これもまた一つの「国際(世界)」に対する「セルフ・ジャパニズム」的なアプローチの一種であるとは言える。そしてこれもまた現実的に言えば、「日本から9478.57km周辺の地」に代表されるところの地は、この「災厄」に関しては、多くは「226km周辺の地」を発信源とする情報を通じて「日本」を見る。「543km周辺の地」は、その意味での「日本」からも「遠い」位置にある。即ち「震災以降の日本」それ自体が、現実的に最も「不安定なタスク」なのであり、また「抽象」から何かを導き出す事そのものも「不安定なタスク」であろう。但し「不安定なタスク」としての「震災以降の日本」は、「ディープインパクト」な「具象」によって導き出されたとも言える。「具象」は脳内の何処かをショートカットするが、「抽象」はそこをこそ通る。そして確かに「震災以降の日本」には、「抽象」こそが圧倒的に足りない。


単に非常階段を登り降りしてるという映像が、嘗ては健康の為やってるだけなのかもしれなかったのに、今や無意識に電気を使わないという事で原子力発電に何か物申している様な行為に読めてしまう。というようにある一つの行為が全然別の意味を帯びてくる局面というのがやっぱり震災の後すごく私たちの社会というのにはあって、これが田中さんの持ち味である日常に足を着けてものを考えながら、でも震災という非日常的な大きな問題に向かって行く時の一つの在り方ではないかという風に思ったんですね。階段を登って下りたりしてるだけなのに震災の事を扱ってますというのは非常に曖昧で抽象的なんですけれども、こういう曖昧さが逆に広い意味での読み込みを可能にしたという実感を私は現地で凄く持ったんですね。


蔵屋美香
2013/7/18 ジャパンファウンデーション「報告会」より


「抽象」の着地地点は単一ではない。「広い意味での読み込み」。だからこその「抽象」であろう。非常階段の昇り降りの着地地点もまた不安定には違いない。果たして「非常階段」の「東日本大震災」への着地率は何%位だろうか。しかしそれは例えば「太平洋戦争」に着地させても良いものだろう。

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冒頭から何回か登場させている、この日の「報告会」で最もツボにハマった言葉は、田中氏や蔵屋氏が発した言葉ではなく、一人の紳士の「質問者」から発せられた「質問」の結句である「ディープインパクト」だった。正直なところを言えば「質問」の内容は全く判らなかった。それは何と言うか、「リミックス説諭」みたいな感じのものだった。処々から紳士の知る限りの、様々に難渋そうな言葉をサンプリングし、それを「有機的」に繋げること無く繋ぎ合わせて行く。但し例外的に「質問者」の主体的な欲望と「有機的」に繋がっていたのが、最後のその言葉の様に思えた。「質問者」は「ディープインパクト」である作品を見たいと欲望していて、アーティストたるものはそれをこそ見せてくれるべき存在であると言いたい様に受け取れた。確かにそこに「抽象」の入り込む余地は無い。「ディープインパクト」を伴った(分り易い)「具象」として見せてくれないものは自分には一向に見えない。生半な「具象」では、勝手な解釈の入る余地がある。ならば最早ここで「抽象」が成立するのは無理だ。しかし繰り返すが、「ディープインパクト」な「具象」こそが、"a pottery produced by five potters at once (silent attempt)" 的な「不安定なタスク」としての「震災以降の日本」を招来させたのである。それこそが最も「分かり難い」ものだ。


そしてそれは、一年前のこの一連の「侃々諤々」を思い出させた。


http://togetter.com/li/303380


あの「質問」の紳士同様、「ディープインパクト」な作品や作家でなければ、ツルツルのレオーネ・ドーロを取れないという人々がいた。しかし結果はツルツルライオンではないが、JAPONのOの字をAに汚い手書き文字で書き直した(「後日ちゃんとしたものとお取り替えします」的な日本の風習の無いところがイタリアである)紙一枚は取れた。審査員が超絶的な「個人」による「ディープインパクト」を欲しておらず、また時代の無意識として物量攻勢による「ディープインパクト」に対する嗜好性を失いつつある今日この頃であるが故の受賞かもしれない。


さて次回のヴェネチア・ビエンナーレだが、日本は再度「東日本大震災」で行くのだろうか。或いは「もうお仕舞い」なのだろうか。次回こそが極めて難問だろう。