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承前


馬喰町から上野へ。地形的には、馬喰町から小高い上野の山が見える筈だ。しかしそこから上野の山は見えない。Google Earth は、建物の記憶を地表に残したままそれを見せてくれた。


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VOCA展 2013」に行った。それからまた地下鉄を乗り継いで、竹橋の東京国立近代美術館の「フランシス・ベーコン展」を見に行った。その移動の途中、当初の予定には入れていなかった展覧会を見る。「フランシス・ベーコン展」の閉館時間が迫っていたにも拘わらず、急にこの展覧会がどうにも気になってしまい、堪らず末広町で下車した。「VOCA展 2013」も「フランシス・ベーコン」も、そして「絵画、それを愛と呼ぶことにしよう」もそれぞれに良質な展覧会だったと思う。「絵画」というサークルゲームは、サークルゲームとして面白い。但し、それらを見てから半月程経った現在、こうしてその日の事を思い出してみると、この予定外の展覧会こそが、最も印象に残っている。この展覧会を挟まなかったら、それぞれに全く違った形で記憶された事だろう。


末広町で降車し、「アーツ千代田3331」で開催されていた「東日本大震災復興支援 つくることが生きること 東京展」を見に行った。



入場は無料。撮影は一部を別に自由だった。衒いの無い展覧会名を持つ同展のパンフレットから引く。


 これまでの大きな震災の経験は、私たちに社会の仕組みのあり方を問い直し、もう一つの価値や考え方への気づきを与えてくれました。「失うものが何もなくなり、つくることが生きること」になったとき、今ここに「わたし」がいることの確かさをいかに感じとれるかが重要となってくるのです。


 震災は、いつどこで私たちの生活を脅かすのかわかりません。「終わらない震災」に向け、私たちはいかに備えればよいのでしょうか。そして「その時」を迎えたときにどう対処すれし、その後、どのように新たにつくり、生きていけばよいのでしょうか。そうした「復興」のあり方について、すべての人々が自分自身のこととしてとらえる機会が必要だと思うのです。


会場は、宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館による「明治三陸大海嘯の実態」から始まる。2006年に開催された特別展「描かれた惨状 〜風俗画報に見る三陸大海嘯の実態〜」が元になっている。その内3331には、明治29年(1896)の大津波を描いた、大衆紙「風俗画報」に掲載された報道画の20点が展示されていた。しかし、その2006年のオリジナルの展覧会は惨憺たるものであったという。


そして2006年9月。満を持して企画展「描かれた惨状 〜風俗画報に見る三陸大海嘯の実態〜」を開催した。ガラスケースで風俗画報の原本を展示。犠牲者数を視覚化する紙人形27,122体の制作は、看視員も協力した。広い展示室を活かして6メートルの津波模型を設置、会期中にはフォーラムも開催する。津波と切り離せないこの地域なら、高い関心を呼ぶはずだ。


ところが、結果は呆然とするものだった。観覧者数は1,200名、フォーラム参加者に至ってはわずか15名という有り様であった。津波の体験をした人も多いはずだが、異様なまでの無関心さ。三陸津波の繋がりは、この程度なのか。不安を胸に留めながら、企画展を終了させた。


そして、3.11。実は前々日の3月9日にも地震があり、小規模ながら津波も観測されていた。だが、意識は何も変わらなかった。


家を飲み込む濁流、打ち揚げられた船舶、悲しみの捜索。明治の報道画と全く同じ事が繰り返された。「想像を超える大地震だから起こった被害ではない。これは想定の範囲内だ」。山内さんの口調は熱い。


一点だけ想定を超えていたものは、津波の大きさではなく人間の愚かさだ、とも言う。特別な備えが無いまま、海沿いに林立していた重油タンク。浮き上がったタンクは巨大な鉄の塊と化した。山内さんの家をなぎ倒したのも、流されてきたタンクである。漏れた重油で海は72時間燃え続け、火災は海の向こうの気仙沼大島まで広がった。


http://www.museum.or.jp/action/report/19/2.html
http://www.museum.or.jp/action/report/19/3.html


東日本大震災による被害の修繕工事を経て、2012年7月28日に一部開館したリアス・アーク美術館では、東日本大震災の被害写真を加えた形で同展が最展示された。


〜その日は、旧暦5月5日、端午の節句。家族が集い、幸せな時間を過ごしていた。朝から小さな地震が繰り返し起こっていたが、夜になり、海から大砲のような音が鳴り響いた。次の瞬間、全てが海に飲み込まれてしまった。〜 明治29年(1896)、三陸地方を襲った大津波。数字では伝えられない、写真では表現できない現実を当時の風俗画報がものがたります。津波常習地帯として幾度となく津波被害を経験してきた三陸地方沿岸部で、海と共に生きていくということの意味をもう一度深く考えます。


http://tokyo.wawa.or.jp/2013/01/riasark/


会場には、「安政見聞誌」、新潟大学工学部岩佐研究室「仮設のトリセツ」、「阪神・淡路大震災+クリエイティブ タイムライン マッピング プロジェクト」、わわプロジェクト「東北・被災地の復興リーダーが語る映像展示」、畠山直哉陸前高田(2011)/気仙川(2002−2010)」、村上タカシ「3.11メモリアルプロジェクト」、細川剛「変わらない風景、はじまりの風景」等々の展示が続く。「3.11メモリアルプロジェクト」では、津波の圧倒的な物理的な力を示す、折れ曲がりひしゃげたガードレールや道路標識や工事看板等が展示されている。そしてひっそりと「犠牲者の9割は圧死者」といった内容のキャプションが小さな字で添えられている。ここにあるものは、ただ単に津波によって変形したものではなく、「押し潰され」つつ「押し潰して」きた「そういうもの」なのである。単純に「セザール」では無い。


同展で、そしてこの日に見たものとして最も印象深かった展示は、ワタノハスマイル・プロジェクト「ワタノハスマイル」だった。


3.11後、小学校の校庭に流れ着いた町のカケラで、子ども達が楽しいオブジェを作りました。宮城県石巻市渡波(ワタノハ)地区の子ども達がつくった作品には、悲しみさえも笑顔に変えてしまう明るくて楽しい子ども達の力が詰まっています。


http://tokyo.wawa.or.jp/2013/01/watanohasmile/


「小学校の校庭」の「小学校」は、「石巻市渡波小学校」を指す。ここに2011年4月22日の渡波地区を撮影した動画がある。



「流れ着いた町のカケラ」は「そういうもの」でもある。そして「子ども達」が「そういうもの」で作った「作品」が、会場に展示してあった。


http://www.watanohasmile.jp/artwork.html



その切っ掛けが「プロジェクト」によるものであったとしても、それでも自らの神話の構築に対する疑いの無さに単純に魅了される。「ブリコラージュ」には、紡ぎ出す神話に対する揺るぎの無さが欠かせない。彼等には山が見えている。その山に向かって一直線に突き進める力がある。


東日本大震災復興支援 つくることが生きること 東京展」のパンフレットのバックにある、「アーツ千代田3331」から東の方向を撮影した空撮写真と同じアングルを、 Google EarthTokyo Terrain 使用) に表示して貰った。



その直後に見た「フランシス・ベーコン」は割を食ってしまった形になった。明治の報道画に描かれた変形した身体や、折れ曲がりひしゃげたガードレールや道路標識や工事看板の後では、サークルゲームでの変形は如何にも分が悪く見える。一旦そう見えてしまったのだから、それはそれで仕方無い。「フランシス・ベーコン」は、巡回展を含めて晩夏まで続く。サークルゲームをサークルゲームとして楽しむ為に、再度それを訪れるべきだろうか。


【了】