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六本木(上)

「黒のAMGに、金のエンブレム(或いは「黒のジャージに、金のネックレス」)」的な、80年代バブル混じりの「ギロッポン(≠ポンギ)」イメージをも彷彿とさせる、「黒」と「金」で構内全体がコーディネートされている都営大江戸線六本木駅を降りた。果たして「アベノミクス」とやらは、「黒」と「金」で表されるところの、「ギロッポンでパイオツカイデーなデルモのチャンネーとシースー(ついでに「アート鑑賞」)」時代に再度日本を至らしめるのであろうか。因みにその当時の「パイオツカイデーなデルモのチャンネー」も、既に40代後半から50代である。


その車両限界が、トンネル掘削の極めて経済的なサイズ内に収まった大江戸線の車輌から降車すると、六本木通りを挟んで最初に北側に行った方が良いのか、それとも南側に行った方が良いのかと小思案した。そして大した理由も無く、北側の旧防衛庁本庁舎方面へ向かう事にした。


安普請の駆体に高級そうに見える表皮という、「サイディング・タウン」六本木の殺風景な「六本木ダンジョン」の「安田侃」氏の「意心帰」の前を通ると、その周りの店がごっそりと閉店していて仮囲いされていた。その場の低温振りは、まるで「シャッター通り」である。勿論それらの店が閉店に至った理由は、地方都市の所謂「シャッター通り」とは異なる。



"Plaza" という一般名詞で称されているその一帯は、デベロッパーの三井不動産の「文脈」によれば、「上質な日常を彩る“The Lifestyle Museum”」であり、「デザイン、機能、クオリティにこだわって、独自の感性と価値観で、自由にものを選ぶ大人たち」=「都会生活を楽しむ“Lifestyle Artist”のためのショッピングエリア」であるらしい。三井不動産的な定義では、 "Museum(「文化施設」)" で金を遣う者が "Artist(「芸術家」)" であり、確かにそれは有り勝ちな "Artist" の定義としては、一面で正鵠を射ていたりもする。


開業から6年目に至って、「独自の感性と価値観で、自由にものを選ぶ」気紛れな “Lifestyle Artist” が、“The Lifestyle Museum” のラインナップに陳腐化を感じた故からなのか、「ヨーロッパのカフェ文化とシアトル独特のテイスト、そして刺激的なストリートフードの入り混じった様な都会のカフェ」が「文脈」であった店も、「ロンドンで人気のガストロパブをナチュラル、フレッシュ感をモットーにスタイリッシュなシドニースタイルでお届け」が「文脈」であった店も、「京都をクリエーションの発信地」とする「文脈」を持つ店も、「栃の木を削りだした一枚カウンターテーブル」が売りの一つであった店も、「石臼挽きの蕎麦粉を二八で打った蕎麦が絶品」であった店も、その全てが1月の同じ日に「文脈」ごと呆気無く姿を消したのである。或る店の「閉店のお知らせ」には、「盛業中ではありますが、デベロッパーの都合により、(略)閉店させていただく運びとなりました」と、「盛業」であるにも拘わらず「デベロッパーの都合」によって閉店させられた無念を隠さない。


それにしても「栃の木を削りだした一枚カウンターテーブル」は何処へ行ったのだろうか。店の「高級感」を演出する為に、何処かの店内には「アート作品」が飾られていたかもしれないが、仮にそれが存在したとすれば、それもまた何処へ行ったのだろうか。しかし、新しい革袋には新しい葡萄酒なのかもしれず、単に古い葡萄酒と見做された「アート作品」の多くが、産業廃棄物扱いで失われて行ったケースを現実に見て来てはいる。「デベロッパーの都合」で、5年半ばかりで打ち捨てられる事が予め判っていたら、栃の木も黙って切られはしなかっただろう。しかしここでは、「栃の木」も「アート作品」も、恐らく貼り替え可能な都市の「表皮=壁紙」なのである。

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仮囲いには「六本木未来会議」の文字が踊り、その下に「デザインとアートと人をつなぐ街に」とあり、また URL も掲載されている。「デザインとアートと人をつなぐ街に」に不穏なものを感じ、早速その仮囲いの前の椅子に腰掛け、 Google Chrome を起動してみた。


http://6mirai.tokyo-midtown.com/


左袖にある「ピックアップイベント」には「【国立新美術館】東京五美術大学 連合卒業・修了制作展」が掲載されてはいるものの、「【森美術館会田誠展:天才でごめんなさい」はピックアップされていない。


六本木未来会議とは


WEBマガジン「六本木未来会議」は、六本木の美術館やギャラリー、地域の方々と手を取り合い、街全体で六本木の新たな価値を見出すべく、2012年6月6日にスタートしました。


「六本木の新たな価値」とは新しい商業施設による利便性や、新たなランドマークがもたらす、街の観光地化だけを指すのではありません。幾多の才能が集結し、世界に通用するクリエイティブで都心らしい都市。そんなイメージです。


「夜の街六本木」から「デザイン&アートの街六本木」へ。


その街を訪れるだけで、今まで気がつかなかった視点や観点に気づき、新たな出会いや発見で心が豊かになる。デザインとアートの力で、新しい六本木を創ることができないか。


私たちはまず、デザインとアートの領域で活躍されているクリエイターのみなさまに、六本木を変貌させるためのヒントを伺うことにしました。


その多種多様な発想や構想を集め、発信するインタビューWEBマガジン。


それが「六本木未来会議」です。


http://6mirai.tokyo-midtown.com/about/


克服すべき「夜の街六本木」とは、即ち「ギロッポン」であり、文面を読む限りでは、アート屋とデザイン屋と六本木商店街振興組合で構成されたこの「六本木未来会議」は、当然の事ながら「脱ギロッポン=デザイン&アートの街六本木」を志向している。それ故に「デザインとアートの領域で活躍されているクリエイターのみなさまに、六本木を変貌させるためのヒント」を聞き、それをサイトのトップに並べている訳である。


その「ヒント」の「中身」の一々を詮索する事はしないが、寧ろここでそうした「中身」よりも興味深いのは、これら「アート」や「デザイン」の関係者の多くが言う「アート」や「デザイン」という語の下に理解されるところのものが、「アートとはアートの事である」「デザインとはデザインの事である」といった様な「同語反復」的な概念として先取り的に理解されている、即ち了解概念として粗略に前提されてしまっている事である。彼等は「アート」や「デザイン」という、本来ならば大いに説明が必要であるものについて、説明しなければならないという必要性を感じていない。一連の「ヒント」に対してそう感じるに至ったのは、直前まで大江戸線の車内で読み返していたジャック・デリダ「絵画における真理」の影響があったのかもしれない。


そうした意味で、唯一人だけ「アート」の本質に迫っていたのは、会田誠氏と対談している辛酸なめ子氏による以下の「ヒント」である。


例えば、ミッドタウンの名前を「ミッド“デザイン”タウン」に変えるとか、六本木の駅名も「デザインタウン六本木」に変えてしまう。ちょっとダサイかもしれないけれど、名前に「デザイン」を加えることによって、人々にデザインの街だとインプットされる気がします。


 大江戸線って車内で駅周辺の情報もたまにアナウンスしたりしますよね、東洋英和学園はこちらです、みたいな。もし駅の名前を変えられなくても、アナウンスで「次はデザインタウン六本木です」と言ってもらえると、宣伝になるのではないでしょうか。


http://6mirai.tokyo-midtown.com/interview/19/


「デザイン」を「アート」に変えても事情は変わらない。「ミッド“アート”タウン」に「アートタウン六本木」。「次はアートタウン六本木です」の大江戸線のアナウンス。多くの「アート」や「デザイン」の人が見落としている極めて重要な視点がここにはある。「アート」や「デザイン」が、「アート」や「デザイン」であるには、「アート」や「デザイン」の論理の内側からは決して導き出されない「円環」「枠」の存在が必要なのである。


「六本木未来会議」は「その街を訪れるだけで、今まで気がつかなかった視点や観点に気づき、新たな出会いや発見で心が豊かになる」六本木を目指す。確かにそれも良いだろう。しかしより良いと思われるのは「その街を訪れなくても、何処にいても、今まで気がつかなかった視点や観点に常に気づき、常に新たな出会いや発見で心が豊かになる」という事かもしれない。そしてその為にであるならば、「デザインとアートの力」を借りる必要もまた無いかもしれない。


「投票用紙」

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"Plaza" で一休みし、再び国立新美術館への道を急ぐ事にする。果たして「【森美術館会田誠展:天才でごめんなさい」の前に、「【国立新美術館】東京五美術大学 連合卒業・修了制作展」を持ってきた事は、吉と出るだろうか。それとも凶と出るだろうか。


【「六本木(下)」へ続く】

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追記(2013/3/1)


「デザインとアートと人をつなぐ街に」に不穏なものを感じたのは、「治安の悪化、放置自転車、風俗産業の増加、看板の氾濫、ゴミの散乱など」(「木屋町・都心繁華街の安心・安全コミュニティ及び地域景観の形成プロセス検討調査報告書」国土交通省都市・地域整備局)が問題になっているとされる京都・木屋町界隈を、アートの力で「活性化」させようという試みを思い出したからだ。そのアートによる「活性化」の一つが、この高瀬川河床への彫刻作品の設置(時限)という挙である。


http://www.artunion.info/takasegawa/index.htm


そしてその主催者は、「今回の彫刻展は市民のモラルがいったいどの程度のものであるかを測る実験でもあった」、「芸術作品がなんの扉も開けずに鑑賞できる屋外の空間は、今まで芸術 美術に何の関心もなかった者に目を開かせられる貴重な空間である」などと、得意満面に語ってしまうのである。


http://artunion.exblog.jp/6786014/