素人料理

「芸術」を「料理」に擬えて説明するのは確かに極めて剣呑である。そればかりか、時に「料理」の側が「芸術」を「参照」したりもするから、その関係は相互参照的に複雑で厄介なものになる。


例えば「フレンチの鉄人」坂井宏行氏は、「芸術」に擬えると「料理界のドラクロア」という事らしい。坂井宏行氏をそう形容する事に対して、「芸術」の人が難ずるのは極めて容易い。「芸術」の人にしてみれば、坂井氏の仕事に対する「料理界のドラクロア」という形容は、「芸術」の常識的には極めて「明後日の方向」感がある。では、ドラクロアの仕事に対して「絵画界の坂井宏行」という形容はどうだろう。「横文字」でなければならないのなら「絵画界のフェラン・アドリア」ならどうだろう。それは「料理」の人に「明後日の方向」感をもたらすだろうか。

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『素人料理』ってどういう店(というかどういう味)なんですか?
locky_happy_manさん


ベストアンサーに選ばれた回答
minagawamanmaさん
家庭料理(有り触れた食材で作る私達が日常よく目にする料理)の意味だと思いますが、厳密にはそれを看板に掲げるのは不遜では有りますね。代価を得て料理を提供する以上は玄人(プロ)で無ければ料理に価値が無いですからね。まぁ素人(アマチュア)風の素朴な料理と解釈して下さい。


Yahoo!知恵袋http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327600563


殆どの日本人にとって、この質問自体が謎だろう。しかしその謎は、以下のQ&Aを見れば若干は氷解するかもしれない。


Q この前、京都の木屋町へ行った時に思ったんですが、小料理屋さんのところに「素人料理」と書いてありました。なんで素人料理なんですか? おふくろの味って意味でしょうか? それとも京都人特有の謙虚さからきてるんでしょうか? どうか、教えて下さい。
大阪府豊能郡/“ほんわかラブラブ”さん(22歳・大学生)


A  好き者にとって「素人」の二文字は格別の響きがあります。同義語にOL、女子高生、人妻、看護婦、女教師、尼僧、令嬢などという言葉も豊富にそろっています。これだけ並べれば、う〜んおいしそうと思わない人はいません。ねッ!!
 素人。それは玄人の味を知り尽くしたあとの楽しみというわけです。テレビタレントでも「素人っぽい」味がいいとか言いますよね。つまり映画であれ、料理であれ、ポルノであれ、「素人」とはプロが当たり前の世界でこそ意味を持つ表現なのです。その世界が文化的に成熟していればいるほど「素人」というキャッチコピーが輝きを持つといえます。
 さて料理の場合、素人という言葉の響きが持つイメージは、①商売に未経験→値段が高くなさそう、②料理のプロではない→おふくろの味が食べられそう、③専門店ではない→肩のこらない家庭的な雰囲気、といったところでしょうか。
 素人料理を看板にする店は大阪にもありますが、“ほんわかラブラブさん”の指摘の通り、京都に多いようです。きっと京料理というと「高級」とか「一見さんお断り」とか一般的に敷居の高いイメージがあるので、それを打ち消す意味で「素人料理」の看板を出すのだと思います。
 ちなみに京都には「ヘタな表札」という看板の店もあります。これも看板の文句の意外性で注目を集めようというのが狙い。決して京都人は謙虚なわけではありません。というのが京都人・梅anの結論です。


「梅an先生の相談室」 http://baiansensei.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/-181-d303.html


「素人料理」等でググってみると、それは圧倒的に京都市(及びその周辺)に限られている「習俗」である事が判る。上掲「freestyle art book 季刊 みづゑ」のヘッダが入った「梅an」氏のアンサーには、「きっと京料理というと『高級』とか『一見さんお断り』とか一般的に敷居の高いイメージがあるので、それを打ち消す意味で『素人料理』の看板を出すのだと思います」とあるが、その一方で「京都新聞」の「素人料理」についての取材記事では、「素人料理」の店は「一見(いちげん)で入るにはちょっと勇気がいる」とある。実際に多くの「素人料理」の店の「敷居」は、「高級」とは別の意味で高い。確かにその大筋は「家庭料理」なのだが、しかしその「家庭料理」は、 "home cooking" を意味するというより、寧ろ「北島三郎ファミリー」「橋田壽賀子ファミリー」「秋元康ファミリー」の如き "family cooking" の意味なのであろう。


京都新聞の記事の結句には「よその町では決してこうはいかないだろう」とある。京都新聞記者の東京の友人氏は、「よし、東京で素人料理の看板を探してみよう」と言っていたそうだが、よしんば東京に「素人料理」の看板を掲げる店が存在したとしても、その数は都内のアフリカ料理店よりも確実に少ないだろう。「文脈」を共有しない「よその町」での「素人料理」の呼称は、ややもすれば「代価を得て料理を提供する以上は玄人(プロ)で無ければ料理に価値が無い(minagawamanma氏)」といった、「商道」的に受け入れ難いもの、即ち「素人がやっているのだから、味は無頓着、無作法、勘定はどんぶり式、仕入れはスーパーの特売、それを覚悟の上で御来店下さい(yam_phack2006氏)」的な「予防線」として捉えられるか、はたまた「自虐ネタ」扱いをされるかのどちらになると想像される。


「ミル・プラトー(千の高原)」ならぬ、「ミル・フィーユ(千の葉)」的に幾層に重なったファミリー社会としての「京都」を最も体現する「素人料理」問題は、恐らく「外食」と「内食」の間に横たわる認識論的攻防なのである。

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Twitter の数日前の TL に流れて来たツイート経由で、或るブログ記事に至り着き、そこに貼られたリンクから、この togetter を再度読み直してみた。


togetter:芸術と日常の関係 - 『文脈を理解してから作品を批判しろ』というとき、その作品を批判する文脈については想定されていない」 http://togetter.com/li/451963


この togetter で「芸術」に擬えられているものは、一見すると「食べ物」や「料理」の様に思えたりするものの、実際には「外食」という限定的な形で理解した方が良い様に思われる。「料理人の経歴」、「新しいレストラン」、「あそこのシェフ」、「客に向かって」、「作った者」、「二度と来るか」、「ぼくは行く」等々の記述は、「外食」に対してこそ初めて妥当する言葉だろう。

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40年前の東京の場末の子供は寿司なんか食べなかった。貧乏で食べられなかったというのとは少し意味合いが違う。そもそも食べたいと思わなかった。酔っ払いの食い物だと思ってましたよ。 


小田嶋隆氏ツイート https://twitter.com/tako_ashi/status/297920042815848448


日本に於ける「外食の歴史」を紐解けば、その始まりの一つとして江戸時代が上げられたりもする(参考:国立国会図書館東京本部 第145回常設展示 「『外食』の歴史」)。但し「外食」という日本語が最初に広く定着したのは、逆説的ではあるが「外食」が最も危機に瀕した外食券食堂の時代になる。太平洋戦争開戦の年、1941年(昭和16年)の4月1日に、六大都市では米が配給制になり、外食の為に市中の食堂を利用出来るのは外食券を持つ者に限られた。外食券食堂は1951年(昭和26年)まで存在したが、1949年(昭和24年)10月に「東京都民政局」が外食券食堂531軒の調査結果として纏めたガリ版刷りの「外食券食堂事業の調査」には、外食券食堂のあるべき形についてこう書かれている箇所がある。


外食券食堂は国家の食糧配給制度によって行われるものであるからには、外食券食堂に支払われる利用者の食費が、一般都民の食費と比較して不当の多額を要するならば、それは内食の食生活と外食の食生活の不均衡を示すものであって、施策上妥当ではない。


外食券食堂は外食者が団欒的雰囲気に浸り、温く楽しい食事が出来る場所でなければならない。このためには食堂の調度装飾にこの条件を充し得るような配慮が必要であり、又従業員には利用者に対し親身の融合的態度がなければならない。


ここでの「外食」に対する認識は、「内食」に対して、経済性から言っても、精神性から言っても均衡的では無いというものであり、畢竟「内食」をするに至らない者が、止む無く「外食」者に留まっているという認識でもある。「一般都民の食費と比較」される事から、「外食者」が「非・一般都民」的な存在であった事が窺い知れる。興味深いのは、この「外食券食堂事業の調査」が、現在国立国会図書館に於いて、「請求記号 EL75-H102」の「タイトル 東京:日雇・浮浪者. 8(昭和24年・昭和25年・昭和26年) / 」の一部として収められている事だろう。「普通件名」が「日雇労働者 -- 東京都」「貧民 -- 東京都」というのも凄まじい。ここでの「外食」は、「日雇労働者」や「貧民」や「浮浪者」にカテゴライズされているのである。


https://ndlopac.ndl.go.jp/F/P11BC7GSBHXSS1Y136NA9HQT4AQJ36B5ABFVL8G6RJDH1EB9RC-17775?func=find-c&=&=&=&=&=&=&ccl_term=001%20%3D%20000008386602&adjacent=N&x=0&y=0&con_lng=jpn&pds_handle=&pds_handle=


「シリーズ」名は「資料集昭和期の都市労働者 ; 1」。正に「外食」の誕生は「都市労働者」の発生と密に結び付いているのである。

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「外食元年」以前の外食


終戦直後の深刻な食糧難は、日本経済の回復とともに次第に解消されていきました。
人々の生活も向上し、一般家庭で西洋料理や中華料理が作られるようになるなど、食生活は多彩になっていきました。
しかし、「外食元年」と呼ばれている 1970 年になるまでは、サラリーマンが仕事で得意先を接待する場合などを除けば、大部分の人々にとって外食はハレの行事でした。


国立国会図書館東京本部「『外食』の歴史」


小田嶋隆氏が言う「40年前」は、この「外食元年」前後に当たり、正に「サラリーマンが仕事で得意先を接待する場合」、即ち「酒が入った状態の食い物」=「酔っ払いの食い物」として「外食」が認識されもしていた。それは、小田嶋隆氏の「(寿司屋の)寿司」だけではなく、「(ラーメン屋の)ラーメン」もまた、その様なもの(酔っ払いの食い物)として存在していたが、そうした認識が「改まった」のは、「チキンラーメン」に代表されるインスタントラーメンが、家庭に受け入れられて(「内食」化して)からだろう。そして「寿司」は、「回転寿司」、及び「小僧寿し」や「宅配寿司」(=「寿司」の大衆的「中食」化)が、その認識を改めさせたのである。


因みに個人的には、子供の頃の「外食」は、半年に一回(盆暮れ)あるか無いかの「例外」だった。貧弱な冷蔵庫があるか無いかの、「内食」が「全て」であった頃の記憶は今でも鮮明だ。そしてそれが、40数年前(つい最近)までの、「東京都民」の一般的な生活だったと言えるだろう。それを「貧しさの産物」と一蹴するのであれば、それはそれでどうぞ御勝手になのである。

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「内食」という日本語の成立は、「外食」に先立つものでは無いだろう。「中食」もまた同様である。それは「デジタル時計」の登場後に、「アナログ時計」という言葉が発明された様なものだ。それでも敢えて「内食」という語を使うとすれば、人類の「食べ物」史のほぼ全ては「内食」の歴史であると言える。その「内食」にしても、「ママ(例)に作ってもらう」ものと、「自分で作る」ものとは質的な差異がある。そして「自分で作る」ものにしても、「オレンジページ(例)や、クックパッド(例)のレシピに忠実に作る」ものと、「冷蔵庫の残り物で適当に作る」ものとでは、やはり質的な差異があるだろう。仮に「食べ物」史の編纂者が、「外食」史のみでそれを記述しようとするなら、それは極めて「大胆不敵」な行為と言えるのではないか。


時に「外食」としての「芸術」に、「内食」の看板を掲げる「外食」店=「『素人料理』の店」的な印象を持たれる例を見る事はある。翻って、果たして「芸術」には、完全なる「内食」は存在し得ないものであろうか。