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新政府(及び空似)

承前


今回もまた、連日夜19時から翌日の11時半までが、与えられた展覧会巡りの時間だった。従って11時半から19時までに限られている展覧会は全て割愛した。それらの展覧会には縁が無いと思う事にする。


さて、今回の展覧会巡りの初っ端、火曜日の午前11時半までに一通り見終える事が出来る展覧会に一体何があるだろうかと色々とリサーチをしてみたところ、どうやら或る「有名人」の展覧会が、その条件に合致する事が判った為、早速乗換検索が弾き出したルートで「美術館」へ向かった。


この「有名人」がどの位「有名人」であるかと言えば、数々の雑誌(「美術雑誌」ではない)が特集を組んだり、茂木健一郎氏や、浅田彰氏や、中沢新一氏や、宮台真司氏や、東浩紀氏や、あの上祐史浩氏や山本太郎氏までもが対談してしまう程の「有名人」であり、また東京の TBSラジオの「森本毅郎・スタンバイ」で、あの小沢遼子氏に取り上げられてしまう程の「有名人」ですらある。著書も「講談社現代新書」や「河出文庫」といった「メジャー」どころを含めて数冊が出版され、その帯の「推薦文」が大貫妙子氏によって書かれ、また音楽CDまでリリースしていたりもする。


坂口恭平氏34歳。活動範囲は多岐に渡っている。交際範囲も多岐に渡っている。その辺り、例えば多くの美術家の活動範囲と交際範囲の濃厚さ(或いは煮詰まりさ)とは随分と異なっているとは言える。その意味での「風通し」は確かに良い。Amazon著書コーナーでの坂口恭平氏の「紹介」はこうなっている。


坂口 恭平 (さかぐち・きょうへい)
1978年、熊本生まれ。2001年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家・作家・絵描き・踊り手・歌い手。2011年5月、新政府を樹立し、初代内閣総理大臣に就任。写真集に『0円ハウス』(リトルモア)、著書に『TOKYO0円ハウス0円生活』(河出文庫)、『隅田川のエジソン』(幻冬舎文庫)、『TOKYO一坪遺産』(春秋社)、『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』(太田出版)、『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書


一方、同じAmazonCDコーナーでの「紹介」はこうなっている。


坂口 恭平 〈さかぐち・きょうへい〉
1978年、熊本に生まれる。建築家・新政府初代内閣総理大臣
19歳のときに路上で歌えば一日1万円を稼げることを知り、「生きのびるための技術」として歌を位置づける。レコーディングされた音源としては、フルアルバム『TAPES』および、幻のバンド MAN 名義のミニアルバム『MAN』があるが、いずれも市販されていない。2012年に発表される本作が、初の市販アルバムとなる。


「建てない建築家」とされる事もあり、「物事の通常の状態に手を加え、異なる状況を設定することで、日常の風景に別の見え方をもたらす」ともされる「作らない美術家(仮)」とも同世代でもある。その両者の間に、何らかの共通項があるのではないかと推測する事は控えておく。仮に、無理矢理推測したとしても、それは「時代の気分」以上のものにはならない気がするからだ。但し「時代の気分」それ自体は、重要視されるべきものである事は確かだと思われる。


ワタリウム美術館に向かう車中で、氏の著書の幾つかを読み返していた。これらは紛れも無く「芸術」の文章である。それはあの岡本太郎氏の一連の著述の如くに「芸術」の文章と言える。坂口恭平氏御自身、その著書(「独立国家のつくりかた」)の中で、「この新政府活動が『芸術』という一つの仕事である」「ゼロから生活のことを、住まいのことを、己の人生のことを考える。それこそが僕が考える『芸術』だ」等々と書かれている事からも、それは裏付けられるだろう。


言わば「芸術論」でもある同書には、「僕(坂口恭平氏)が考える『芸術』」とは相容れない「芸術」の例が、処々にインサートされている。例えば「やりたいことをやって生きる?無人島か、ここは。芸術というのはそういうことを指すものではない」であるとか、「綺麗な色の絵とか、美しい旋律とか、創造とはそんなものではない」であるとか、「創造というものは、若い人間が簡単に思いついちゃうような『作品』じゃない」であるとか、「僕にとっての才能というものは秀でているものではない」等々であるとかである。これだけを書き出せば、最後のものは別にして、あの村上隆氏の一連の主張とも相似している様に見えるものの、しかしそれが指し示す「芸術」の方向性は真逆程に全く異なる。


内閣総理大臣」御自身が言われる様に、「新政府活動」は「芸術」である。従って、そこには「芸術」の美点があると同時に、「芸術」の難点も存在している。例えば、2012年1月29日に行われた、ミサワホーム Aプロジェクト室企画によるトークイベント「縮小社会の設計」では、同席したパネラーの東浩紀氏から、「坂口さんの発想は現代日本的。コンビニが100mおき。至るところにゴミが」「坂口さんの発想もトマトを作るのはいい。だがそれは都市型狩猟採集ではなく『単なる自活』」「都市が豊(か)ではないと都市の幸は生まれないので都市が豊かではなく荒れ地になった時のことを考える必要がある」「高度経済成長も敗戦の傷から癒える儀式。経済成長は単なる経済以上の意味を持っているのではないか」(以上 @hasm_jp 氏、@tachesan 氏による tsudaりから)」等といった「幾つかの課題」を出されたりはするし、実際にその部分は「新政府活動」という「芸術」の難点ではあるだろう。



第二次世界大戦敗戦後の焼け野原は、現実的に言って「所有」が放棄された(「所有」が意味を成さない)「至るところにゴミ」状態であったから、土地の「所有」すらも不確かにもなった大都市に、それらの「ゴミ」を使用して半ばオキュパイな「0円ハウス=バラック」が、慎ましやかな「芸術」的規模ではなく建ってしまっていた。終戦から約2週間後、東京大空襲から約半年後の昭和20年9月1日の時点で、東京都民の9%がバラック(0円ハウス)住まいであったという。しかし当然、数十年前の焼け野原都市は、ダンボールはもとより、ブルーシートも存在せず、勿論「コンビニが100mおき」にある訳ではない。大量に消費されるアルミ缶は無いし、塊の肉や丸ごと一匹のブリを惜しげも無く廃棄する居酒屋も無いし、況してや安価な小型ソーラーパネルも無い。20世紀後半から21世紀に掛けての日本の、しかも都会に於けるレベルまでには、それらは「自生」はしてはいなかったのである。敗戦直後の或るリポートによれば、食料品の「自生」は「神田の青物市場で、痛みかけのくだものやくず野菜を拾える」に留まり、寧ろ「パンパンとそのヒモ(情夫)、バイニン(ヤミの仲介業者)、ヤミの寿司売り、日雇人夫(ただし未登録者)、バタヤ」等の「稼業」による現金収入で、それらを購買するというのが寧ろ一般的であった。


主体(「主体」的である事こそが、この様な「芸術」の入口であろう)的な形で「家を失った」訳ではない人達が溢れかえった時、それでも彼等の生活を可能としたものは、辛うじて破壊されなかった水道等のインフラや、早期に再開された金属商や青果市場等の産業、そしてその遥か先にはアメリカという大国が存在した。そして「採集民」であった彼等こそが、物の「所有」を人一倍希求し、その多くは結果的に定住的生活を目指す事になる。何も無い焼け跡から、現在見られる形の都市の基礎を作り上げたのは、紛れも無く「ゼロ」の状態を多かれ少なかれ経験してきた戦中派(「昭和一桁」)の人達である。その戦中派の人達には「物を貯め込む」傾向の人が多く、時にそれは「ゴミ屋敷」にもなったりもするが、彼等は「あの何も無い時代を知っている」が故に「物を貯め込む=過剰に所有する」必要性を、有事対策として強硬に主張したりもする。東浩紀氏の言う「高度経済成長も敗戦の傷から癒える儀式。経済成長は単なる経済以上の意味を持っているのではないか(前掲 tsudaりから)」も、そうした文脈上にあるだろう。戦中派や焼跡派の人達は、果たしてこの「芸術」をどう見るだろうか。


Wikipedia の「狩猟採集社会」の最後の方に、「ワイルドヤム問題(ワイルドヤム・クエスチョン)」が取り上げられている。


ワイルドヤム問題


中央アフリカの狩猟採集民ピグミーは熱帯雨林地帯の自然環境に強く依存しているのと同時に、バントゥー系の隣接農耕民と歴史的に密接な協力関係にある。以前はピグミーたちは、この地域の多数派を占める農耕民が西アフリカのサバンナ地帯から森林に移入する以前の先住民だと考えられていたが、1980年代後半から、こうした「狩猟採集民=先住民説」に疑問が呈されるようになった。その根拠として以下のことがあげられている。


 1.現在の熱帯雨林の狩猟採集民はすべて周辺の農耕民との間の交換や自身の農耕活動によって入手した農作物に食生活のかなりの部分を依存していること
 2.過去にも純粋な狩猟採集民が熱帯雨林の中で生活していたことを示す考古学的証拠が発見されていないこと
 3.熱帯雨林のなかには人間の生存を支えるに足る十分な食物基盤がなく、とくに果実が入手できない乾季にはエネルギー源が極端に不足すること


熱帯雨林の狩猟採集生活というのは、焼畑農耕民による半定住的な生活を基盤にしなければ成り立たず、ピグミーは先住民ではないのではないのか?」というのがワイルドヤム問題である。


ただしこれらの疑問は野生ヤムの分布などの間接証拠に依存していたとし、食料が不足するとされた乾期における実証研究を行われたところ、熱帯雨林において農耕に依存しない狩猟採集生活が可能であるということが示唆された。


Wikipedia「狩猟採集社会」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E7%8C%9F%E6%8E%A1%E9%9B%86%E7%A4%BE%E4%BC%9A


学術的な立場からすれば「農耕に依存しない狩猟採集生活が可能」という事にはなる。しかし一方で、彼等狩猟採集民は、並行的に存在する「焼畑農耕民による半定住的な生活」を知っているが為に、そうした「可能」の限界をも同時に知ってしまっているのである。だからこそ、彼等は「純粋」な「狩猟採集生活」とは別の、相対的にサスティナブルな「焼畑農耕民による半定住的な生活」と関係を持とうとする。それはまた「都市型狩猟採集生活者」も同様であり、だからこその中国製の安価(その「安価」が、何によって実現可能であるのかは改めて説明するまでもないだろう)なソーラーパネル、そして中国アセンブルのテレビに、中国アセンブルiPhone なのである。それらは「定住者」による生産活動に「かなりの部分を依存している」と言えてはしまうのだ。


内閣総理大臣」の著書「TOKYO 0円ハウス 0円生活」の帯の、「東京では1円もかけずに暮らすことができるーーー」にしても、また「ゼロから始める都市型狩猟生活」にしても、図らずもそれが「東京」や「都市」でこそ可能な暮らし方である事を示してしまっている。「地方」に行けば行く程、それは現実的に難しい生活になるだろうし、それは「コミューン」的なものに変質してしまうかもしれない。加えて「都市型狩猟生活」は、「都会/地方」や「南/北」の対立構図の上に成立するとすら言えるだろう。何故に「北」の「都会」は、それ程までに「余剰」が可能であるのかという事実には「疑問」から「問い」である。


しかしこれは「芸術」なのである。「芸術」が表面上見せてくれるものと、「芸術」が表面下で垣間見せてくれるものは違う。「芸術」が見せてくれる表面的なものに、ただ目眩まされてはならないだろう。「芸術」が見せてはいないが、そこから垣間見えるものこそが、本来「作者」という「特殊解」に収斂し切れないものとしての「芸術」が見せようとしているものだ。「内閣総理大臣」が見せてくれるものは、「荒唐無稽」である一方で「魅力的」にも見える。東京の青山辺りでワイワイやっていれば、確かにその「芸術」の部分は「楽しい」。「内閣総理大臣」御本人も「面白い」人物だ。しかし問題は「そこから」なのである。


「芸術」の見た目の「極端」や「極限」や「過激」は、その「構想」の「流通」に於いて「戦略」的に「有効」ではあるが、それが任意の定数を含む「解」、即ち「一般解」として「有効」化するには、サスティナブルな「解」を導き出し現実化する「能力」というものが欠かせない。そして本来その「能力」は、「特殊解」の側に期待するべきではなく、「一般解」の側が見出すべき性格のものだ。John Lennon の "Imagine" という「芸術」には、美点もあれば難点もある。「芸術」は "I hope someday you'll join us . And the world will live as one" 的な夢想であるからこそ「芸術」であり、その「特殊解」的な領分に留まるからこそ「芸術」なのである。


「新政府」展の会場で、「給水タンク」の映像を見ていた若い淑女が、「モバイルハウスには住めるけど、これはちょっと無理」と呟いていた。とは言え、彼女の言う「住める」は「キャンプ」程度のものなのだと思われる(そして「内閣総理大臣」御自身もそうなのだろう)。しかし「芸術」の理解とすれば、それで十分であるとも言える。そこから「モバイルハウスにキャンプする」事とは違った形で、淑女自身の「解」を「創造」すれば良い。そしてそれは「都会」と「北」に集中する「富」を、それらの「内」と「外」に「再配分」する事に何処かで繋がる事になるかもしれない。当然その時には、「北」で「都会」の「都市型狩猟採集生活者」も、「都市の幸」の慢性的な「不作」「凶作」という形で「再配分」に参加させられるのである。


大事なことは、何かに疑問を持ったかということだ。それがあれば生きのびられる。…(略)… 何か「疑問」を持ったらチャンスだ。そこから「問い」にまで持っていく。
「疑問」を「問い」にする。この過程を僕は完全に独自な「創造」と呼んでいる。…(略)… あなたがこの世界のどこをおかしいと思えたかである。


「独立国家のつくりかた」


「創造」は「誰かに託す」ではなく「身を切る」ものなのである。

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坂口恭平氏の著書にも何回か引かれている野村総合研究所による「人口減少時代の住宅・土地利用・社会資本管理の問題とその解決について」には、仮に2003年のペースで新築戸建住宅(約120万戸)を建設していった場合、2040年には、空き屋率が43%に達する旨が書かれている。「家」と「美術品」が、極めて深い関係にあるのは言うまでもない。「家」が存在するからこそ、「美術品」は売れる。そして「家」が余れば、連動的に「美術品」も余る事になるだろう。判っていてもそれでも「家(建築)」をコンスタントに作る事を止められないシステム。そして、判っていてもそれでも「美術品」をコンスタントに作る事を止められないシステム。それらは恐らく何処かで「まずシステムありき」なのだとも思える。


そんな事もあってか、その後に見た展覧会の作品を見ながら、併せる形でその制作環境を想像していた。作家のシステムに対するスタンスは、その制作環境の形にも現れるだろうし、延いては作品の形や技法にも現れる。システムが求めるところと、制作が連動し得る作家は、そうした制作環境を築き上げるだろうし、そうでない作家はその限りでは無い。そのどちらが正しいという話ではない。その因果はそれぞれの作家にそれぞれの形に応報するだけであり、またそれぞれの観客にそれぞれの形に応じて応報するだけの話なのである。

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ワタリウム美術館を含め、先週の火曜日の朝と夜、そして翌日の朝に見た展覧会について、どれが良くてどれが悪かったといった様なジャジメントめいたものは今回もまた書かないし、またそういう発想や才覚や立場も持ち合わせていないのだが、しかし自分との共振度が高い作品は幾つかあった。ワタリウム美術館の作品で言えば、展覧会の開始部分にある坂口恭平9歳児の「学習机」に最も共振した。或る意味で、それがこの会場で最も「純粋」な動機に基づく、最も「純粋」な形態のものに見え、極めて個別的でありながら、且つ同時に最も普遍的なものであったからだ。ワタリウム美術館を見てから神奈川県で仕事をし、仕事を終えてから再び東京都に戻り、「XYZ」展にクローズ近くの時間に飛び込んで見ての後、東北沢の「空似」展へ行く。


「空似」展でも共振する作品は幾つかあった。その一つに折り紙の「騙し舟」があった。いや、決して「騙し舟」というタイトルでは無いし、形態も異なってはいるし、作者もひょっとしたらそう思ってはいないだろうが、しかし自分にとっては「騙し舟」なのである。広く知られている様に、折り紙の「騙し舟」は、舟の「帆」を摘ませた後に目を閉じさせ、その後目を開けさせると「帆」が「舳先」になってしまっているというものである。会場のそれは、蛇の「頭」と「尾」であった。蛇の「頭」であったところが、次の瞬間に「尾」になってしまう。大体カクカクした似ても似つかないそれを、蛇に見えてしまったりする事が、既に「嵌っている」と言えるだろう。蛇柄だったし。「騙し舟」同様の「騙し」には、「ルビンの壺」や、「妻と義母」や、最近ではナポレオンズも演目に入れている「ウサギとアヒル」等がある。


…人はこれをウサギの頭とも、アヒルの頭とも見ることができる。
 すると私は、一つの相の「恒常的な見え」と、一つの相の「閃き(アウフロイヒテン)」とを区別しなければならない。
 像はすでに私に示されていたが、私はそこにウサギ以外の何ものをも見てはいなかったということがありうるのだ。


ヴィトゲンシュタイン哲学探究


フォルムはそもそもが錯視的なものなのかもしれない。「両義性」であるとか「多義性」であるとかは「その後」の話なのだろう。