身近の誕生

承前


それ(鉄道)が(場所として)与えるのは、大抵は互いに遥かに遠く離れている出発駅、停車駅、そして到着駅だけである。鉄道が侮蔑的にも通り過ぎ、無益な見世物としてしか与えないその間の空間と、鉄道は何の関係も持ってはいない。


シャルル・デュノワイエ(1840年


日本テレビ系列で放送されている紀行・鉄道旅行番組「ぶらり途中下車の旅」の「旅人」が、「途中下車」をする切っ掛けは極めて「気儘」に見える。番組中の「旅人」は、多くの場合、鉄道車輌の窓越しに気掛かりになった場所を発見し、その後でそこに立ち寄る為に「途中下車」をしている訳では無い。「旅人」の「立ち寄り先」は、その大部分が車窓からは目撃不可能な場所であり、「車窓風景」といったものが事実上存在しない「地下鉄」沿線の「途中下車」すらもある。「旅人」は常に、「何となく」や「この辺りに◯◯があったと聞いている」という理由で「途中下車」をする。「途中下車」をするのに「視覚」が果たす役割はそれ程多くはない。


そもそも「ぶらり途中下車の旅」の「旅人」は、到着駅に到着したいが為に、それぞれの路線の始発駅から鉄道車輌に乗る訳では無さそうだ。首都圏の例で言えば、「旅人」は「小田急線」の「小田原」に用事がある訳でも、「京王線」の「京王八王子」に用事がある訳でも、「西武新宿線」の「本川越」に用事がある訳でも無い。何処かに確固たる「目的地」が存在し、そこに至る経路に於ける「道草」が「ぶらり途中駅の旅」の「ぶらり」という訳では無い。「ぶらり」は「到着」と「道草」の対立上には存在しない。「ぶらり」は自目的化した迂回だ。「ぶらり途中下車の旅」に於いては、「出発駅」や「到着駅」ですら「ぶらり」の対象になる。


現在、我々の物の見方や考え方に迫られている転換とは何だろうか。最も基本的な時間や空間の概念さえもう当てにはならない。鉄道によって空間は殺された。我々に残されたのは時間だけだ。....今では30分程度でオルレアンに、そして同じ時間でルーアンに行ける。これらの路線がベルギーやドイツに延び、それぞれの路線と接続するとしたら、その時一体何が起きるだろうか!全ての地方の山や森が、パリに向かって前進して来る様に思える。そうなれば私の家のドアの向こうから、ドイツの菩提樹の香りを嗅ぐ事も、北海の波のざわめきも聞く事が出来るのだ。


ハインリッヒ・ハイネ「ルテーチア」(1854年)


ぶらり途中下車の旅」は、鉄道という「速度のテクノロジー」によって、出発地と到着地が貼り付いてしまう程に「接近」してしまった事で、それまでの「徒歩(=身体)」が基準になっていた「遠さ」が、すっかり喪失してしまった鉄道以後の旅への「アンチテーゼ」としての意味もあるのだろう。鉄道時代の「旅人」は、わざわざ「ぶらり」をする事によって、到着地への到着時間を遅らせ、その間の時間を擬似的に濃密なものとする事で、心理的な「遠さ」を取り戻そうとする。鉄道以前の「旅人」である弥次喜多に代表される様な、身体を基準にした能力的な「遠さ」を伴った江戸から伊勢(そして京都・大坂)間の数週間の濃密な道中記は、最早不可能なものになっている。当然、鉄道以後に往復16年の「西遊記」などは生まれ得ない。「気儘」に過ぎる「途中下車」でもして、「遅延」の為の「遅延」をわざわざ作らなければ、そうした「遠さ」もまた不可能なものになっている。


現在、例えば「東京」から「京都」へ鉄道で「旅行する」者は、到着地である「京都」以外の空間に対して全く興味は無いし、それ以前に些かの関わりも無い。「のぞみ」に乗れば、「ひかり」や「こだま」の停車駅は無意味なものとしてしか存在せず、そればかりか「京都」に「旅行する」者にとって、途中停車駅の「品川」も「新横浜」も「名古屋」も存在しないに等しい。「東京」から「京都」へ「旅行する」者にとっては、到着地の「京都」こそが見物の対象である「劇場の桟敷」であり、一方で出発地の「東京」は「劇場の玄関」であり、他方でそこまでの空間の全ては「劇場の桟敷」までの「劇場の通路」でしか無い。だからこそ「チケット」という言葉が、劇場にも鉄道にも使用される。「京都」へ「旅行する」という事は、「チケット」で「京都」というカタログ化された「見世物=商品」を「買う」事であり、同時に世界を劇場化させる「速度」を「買う」事である。「京都」は遠くない。それは「通路」と化した東海道を、椅子に座ったままで高速で運んでくれる鉄道車輌の「ドアの向こう」にあるものなのだ。


1970年代の「遠くへ行きたい」もまた「ディスカバー・ジャパン」であり、「知らない町を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい(永六輔)」という「目的」否定のスタンスを取っていた。それは恰も、交通上の要請からジョルジュ・オスマンのパリ改造で通された合理の結果としての直線的なブルヴァール(大通り)の対項として発見された、「交通」に対する「通交」的パサージュ(遊歩街)への「想い」の様でもある。しかし「パサージュ」への「想い」もまた、大通りへの疎外的な「アンチテーゼ」でしかない。1840年代のパリの「パサージュ」に於ける流行は、亀を散歩の共にするというものだったが、既にそれは疎外された者による不自然極まりないシニカルな象徴表現であり、また亀を連れた者の眼差しも疎外された者のそれでしかなかった。そして短期間の内に、「アンチテーゼ」表現としての「亀の散歩」=「ぶらり」は廃れてしまったのだった。


JR赤羽駅の「駅ナカ改札内)」である「エキュート赤羽」は「パサージュ」への志向を公言する。「マイニチヨリミチしたくなる」がそのコンセプトでもある。「空間」を破壊する「速度」という「商品」が売買される駅の構内で、「速度」の否定でもある「ぶらり」もまた「商品」として売買される。鉄道の乗客は、「パサージュ」で鉄道の「速度」の否定を堪能した後、鉄道の「速度」に乗って四方八方に散って行く。そして一旦鉄道の「速度」に乗ってしまったら、「運転見合わせ」等の「遅延」は許さない。何故ならば、「パサージュ」で買ったスイーツの保冷剤が溶け切ってしまい、スイーツの鮮度が保てないからだ。保冷剤が決定した時間内に、目的地に到着しない鉄道など鉄道では無い。遠隔地に運ばれる食品の鮮度は鉄道に依存する。こうして「遠さ」の食品もまたカタログ化され、「近さ」の食品と区別が付かなくなるのである。

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もし彼(機関士,engine-driver)が、それ(障害物,obstacles)が存在している場所に到着する以前に、それに対して注意を向けていたとしたら、彼は極めて適切にそれを視認する事が出来るだろう。しかしもし、彼が通過しながらそれに対して目を向けるだけであれば、それは不十分にしか知覚されないだろう。


ジョージ・スティーブンソン


蒸気機関車の実用化に世界で初めて成功したとされるジョージ・スティーブンソンは、1841年の鉄道の保安問題に関する議会の公聴会で、機関士の障害物に対する視認能力をどの程度のものとするべきかという質問に対してこう答えた。言うまでもなく、機関士は機関室で前方を見ながら運転している。従って、迫り来る物を予測する猶予時間が、幾らか担保されてはいるものの、それでも高速で次々と迫り来て、瞬時に自身の背後に回ってしまう光景の中に障害物を認める事は、それが高速移動であればある程蓋然性を増す。況してや、前方を見られる可能性が皆無に近く、常に不意の形でしか窓外の光景を見られない鉄道の乗客にとって、窓外の風景というのは一瞬現れては次の瞬間に消えてしまうものでしかない。


ビクトル・ユゴーは、鉄道車輌の窓から見たものを、1837年8月22日の手紙でこう記している。


道端に咲く花は、花と言うより色彩の斑点、いやむしろ赤や白の帯であり、点というものは無くなって帯ばかりだ。穀物畑は極めて衝撃的な黄色の帯の列、アルファルファの畑は長い緑色のお下げ髪に見える。町も教会の塔も樹々も、水平線の上で狂った様なダンスを舞う。時折一つの影が、形が、スペクトルが、光の速さで窓の後ろに現れる。それは車掌であった。


1840年にヤコブ・ブルクハルトは、「木や小屋といった一番近くにあるものは、最早全く識別出来ない。振り返ってその方を見れば、それは遥か遠くに過ぎ去っている」と書いている。高速で移動する鉄道車輌に閉じ込められた者は、現在の通勤列車ですら秒速 30 メートル(新幹線 N700 系なら秒速 83 メートル)で横方向に通り過ぎる窓外の近景を観察する事を放棄しなければならない。新幹線で移動する人に聞くと良いだろう。「あなたはこの数時間数百キロ、新幹線の窓から何を見てきましたか?」。数時間、数百キロもの旅であるから、さぞかし多くのものを報告してくれる事を期待するかもしれないが、しかしその期待は必ずや裏切られるに違いない。「山を見た」とか「川を見た」とか「建物を見た」といった程度の、極めて断片的で失語症的な印象を、一つか二つ報告してくれればそれで十分だ。下掲の約12分間、約22キロメートル分の車窓の動画を見て、その映像から一体何が見え、報告に値するところまで何を観察し得ただろうか。



あなたが目を持っていようが、盲目だろうが、眠っていようが、賢かろうが愚かであろうが、そんな事は問題にはならない。あなたが通過する土地について、あなたが知る事の全ては、その土地の地質学的構造と、通俗的な上っ面に過ぎない。


ジョン・ラスキン(1857年)


鉄道車輌の車窓では、対象が近くなる程に見え易くなるという通常の感覚とは全く逆に、その対象が近くなる程に見え難くなる。鉄道車輌の窓外からは、「最早全く識別出来ない(ブルクハルト)」ものとなってしまった「近さ」が消失する。そして一方で、鉄道車輌に於ける「近さ」の消失は、同時に「遠さ」の消失でもある。「直観的に考えるとは持続(デュレ="durée")において考えることである」「直観の理論の前に持続(デュレ="durée")の理論がある。前者は後者から出る」と言ったのはベルグソンだが、能力的な連続性としての、時空の主観的知覚に基づく「遠さ」は、「『近さ』ならぬもの」として存在する。その「近さ」が消失してしまえば、そこから見えるものは、最早「遠さ」ではなく車窓に貼り付いた絵画的平面に於ける遠近法的遠景でしかない。ただただ「狂った様なダンス」を舞う「帯」になってしまった近景を見る事を放棄し、相対的な「遅さ」の為に辛うじて形状を保持している遠景に目を向けるしか無くなったとしても、しかしそれは「なかなかそこに辿り着かない」といった能力的な意味での「遠さ」では無い。車窓から見える「近さ」と「遠さ」は、専ら絵画的なパースペクティヴに基づくものであり、鉄道以前の旅に存在した、「身体」に基づく「近さ」が全ての基準点となる主観的パースペクティヴとは全く異なるものだ。


そうした車窓からの光景を、19世紀に大流行したアトラクションである「ムービング・パノラマ」に擬える事は十分に可能だろう。






「ムービング・パノラマ」は、それまでの360度の円筒形の画面を観察者が中央から眺める「パノラマ」とは異なり、数百メートルから数キロメートルに至る横長のキャンバスを横方向にスクロールする事で、絵画に時間性を与えている。事実上、エンターテイメントとしての「ムービング・パノラマ」は、直接的には直後に登場した「映画」にその座を奪われる事になるが、一方で極めて一般的になった鉄道旅行での車窓の光景もまた、その命脈を尽きさせる一因になった事は想像に難くない。19世紀末、すっかり時代遅れになった末期の「ムービング・パノラマ」は、鉄道の車窓そのものをもシミュレートする事になる。




1900年のパリ万博で公開された「シベリア横断鉄道の旅」は、横幅100メートルを超し、観客席として実際の鉄道車輌3両が設置され、観客はその車輌に乗り込み、その貴賓室、寝室、広間、食堂、バーの車窓や、車輌の下に設置された立ち見席から、モスクワ・北京間を結ぶ約1万キロの旅のハイライトシーンを眺める。前景、中景、後景を受け持つ三層のスクリーンレイヤーが、移動スピードを変えながら移動している為に、より「正確」な「鉄道旅行」のシミュレーションにはなり得ているものの、既にその時には、その「再現」がもたらす「表象」作用というよりは、その馬鹿馬鹿しい虚仮威しの「大仕掛け」にスペクタクルを感じるものでしか無かったのだろう。

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「パサージュ」と来て、「遠さの消失」と来て、「パノラマ」と来れば、ここはワルターベンヤミンに登場を願うしか無いという流れになるのかもしれない。尤もベンヤミンの見た「パノラマ」は、「ムービング・パノラマ」ではなく「カイザー・パノラマ」ではあるのだが、それはさておき、ワルターベンヤミンが言うところの「アウラ」は、「近づき難い遥けさ」としての「遠さ」としてだけではなく、その「遠さ」の前提となる「近さ」の問題でもあり、加えて「近さ」の中の「どれほど近くにあろうとも」存在する「近づき難い遥けさ」の問題でもあるだろう。「アウラの喪失」とは「遠さの喪失」であると同時に「近さの喪失」と見る事が出来る。


見つめられている者、あるいは見つめられていると思っている者は、まなざしを開く。ある現れのアウラを経験するとは、その現れにまなざしを開く能力を授与することである。


まなざしには、自分がまなざしを送るものからまなざしを返されたいという期待が内在する。この期待(これは、言葉の単純な意味におけるまなざしと同様に、思考における注意という志向的まなざしにも付随しうる)が応えられる所では、まなざしには充実したアウラの経験が与えられる


ワルターベンヤミンボードレールにおける幾つかの主題について」


「近さ」には「自己」の存在が含まれる。「近さ」に於いて、「自己」は「見る者」であると同時に、「他者」から「見られる者」でもある。鉄道による移動で感じる「近さ」は、何よりも鉄道車輌内の空間になる。そこでは「自己」の「近さ」と、完全には理解し得ぬものとしての「他者」の「遠さ」の間に生起する、本来的な「見る者/見られる者」の「近さ」の関係が存在している。「車内マナー」は、こうした「近さ」の「遠さ」を喪失させる働きを持つ。


しかし鉄道車輌内では「まなざし」は開かれない。「自分がまなざしを送るものからまなざしを返されたいという期待」も「内在」しない。互いの「まなざし」を極力避けるのが「車内マナー」の最も基本的なものである為に、或る者は本や液晶に「まなざし」を落とし、或る者は瞼で「まなざし」を閉じ、或る者は見るつもりも無い車内吊り広告に「まなざし」を送り、或る者は眼の焦点を合わせるのも愚かしい窓外の方向に「まなざし」を向ける。ベンヤミンの「まなざしを送る」や「まなざしを返す」を、「ガンを飛ばす」や「ガンを返す」と翻訳(超訳)すれば、それはいとも簡単に理解されてしまう事だろう。


相互的な「まなざし」の空間から逃れる為に向けていた、「まなざし」を返される筈も無いと思い込んでいた「パノラマ」化した窓外の風景から、時として「見られる者」としての「まなざし」を返される事がある。例えば何かのトラブルで、本来通過すべき駅のプラットフォームで、エクスプレス鉄道車輌が途中停車したものの、プラットフォームにいる者が、決してこの車輌に乗車する事は叶わないという状況に陥った時、プラットフォームから車内への「まなざし」がそこでは生起する。食べている弁当の中身や食べ方の観察、酒の銘柄やレベルの観察、読んでいる書物や、見ているサイトや、作成中の書類の観察、ケータイメール文の観察、ゴミの扱いの観察等々が、プラットフォームから行われる。それは「私生活を覗かれている/覗いている」に近いものであろう。そうした「覗き見」にも似た「まなざし」をシャットアウトするには、窓のブラインドを下ろすしか無いのであろうか。しかし今度は「ブラインドを下ろす奴」という「まなざし」が注がれるのである。

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「近さ」に於ける相互の「まなざし」のシャットアウトが、時に読書の形を取り、また時に瞑目の形を取り、また時に窓外を含めた対象への無意味な視線の送りの形を取り、或いはそれが「他人をジロジロ見るのはマナー違反(ガン飛ばしとんのかワレ!、ガン飛ばしてんじゃねーよ!)」的に働くとして、しかしこれは何も鉄道車輌の中に留まるものでは無いだろう。


前述した鉄道の「車内マナー」の数々は、そのまま「劇場」や「美術館」にも妥当する。「騒々しい会話・はしゃぎまわり等」の禁止、「携帯電話の着信音や通話」の禁止、「ヘッドホンからの音もれ」の禁止等々がそれに相当する。「車内マナー」に於ける飲食関係の禁止もまた、それらの「学芸」的な場に於いては同断だろう。ここから結論付けられるのは、「鉄道車輌」の中は「劇場」や「美術館」並みであり、また「劇場」や「美術館」は「鉄道車輌」並みであるという事だ。そのどちらも、「公共空間」がキーワードになるのであろう。


確かに「劇場」や「美術館」は、それぞれが提供する「芸術」をこそ見て貰いたい。この一連の記事の最初に引いた「電車の中すごい。三十代以下はほとんど全員ケータイ見てる。三十代以上はほとんど目を閉じてる。ほとんど誰も現実見てない。」というツイートに倣えば、「劇場」や「美術館」は、「ケータイ見てる」的なアプローチこそが推奨される場であり、決してこのツイートで言われるところの「現実」を見る場所ではない。「劇場」でスクリーンや舞台を見る時、或いは「美術館」で作品を見る時に、誰もそこにいる他の観客の実際の振る舞いや、周囲の空間の諸相(=「現実」)など見はしない。そうした「現実」は、そうした場所では、時に「遠さ」的な表れをする「余興」よりも遥かにつまらないものだと思われている。「劇場」や「美術館」では「チケット」で買える(売られている)「芸術」こそが見るべきものなのであり、従ってそれらの場所では「誰も現実(「近さ」)見てない」のである。


「オフ・シアター」や「オフ・ミュージアム」の試みは、こうした「劇場」や「美術館」での「現実見てない」、即ち「芸術」の手前にある「近さ」の「遠さ」を「誰」も見ていない事に対するアンチテーゼではあるだろう。確かにそれら「劇場」や「美術館」といった空間内で、「芸術」と名乗りさえすれば、カタログ化された「京都」位の「遠さ」は得られる。勿論カタログ化された「京都」程度に「遠い」ものであるから、「自己」と「芸術」の間の、最も近い「他者」が介在する「近さ」を、「侮蔑的にも通り過ぎ、無益な見世物としてしか与えないその間の空間」とする事もあるだろう。「芸術」を見て、その示すところを「到着地」や「目的地」としようとする見方からは、恐らく「芸術」の「パサージュ」すらも存在し得ないだろう。それは鉄道の様に、或いはオスマンのブルヴァールの様に「一直線」なのだ。「アウラの喪失」は、どこかで「遠さ」を殺す鉄道と関係しているのかもしれない。


【続く】