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阿呆の画廊


 ムーレの創造した百貨店は新しい宗教をもたらし、信仰心が衰え次第に人の来なくなった教会の代りを百貨店がつとめ、それ以後空虚な人々の心に入り込んだ。女性は暇な時間をムーレのところにやって来て過ごすようになった。かつてはチャペルの奥で震えおののき不安な時間を過ごしたというのに。


エミール・ゾラ「ボヌール・デ・ダム百貨店」


世界最初のデパートとされているのは、パリのグラン・バザールとも、ボン・マルシェとも、タピ・ルージュとも、ピグマリオンとも、或いはまたニューヨークのマーブル・パレスとも、メーシーとも、または英マンチェスターのケンダル・ミルンとも、 ロンドンのシュールブレッズとも、ダービーのベネッツともされていて、凡そイノベーションの「世界最初」の例に漏れる事無く、それらの他にも多数の「世界最初」のデパートが存在する。そのいずれを「世界最初」のデパートとするかは、デパートの定義如何によるだろう。しかし店舗と売上高の大規模性、多種・大量の扱い商品、部門・売場別の編成、近隣・近郊からの最大多数の集客といった近代デパートの要件を最も満たしたという点からすれば、定説的には(=しち面倒臭い事を考えなければ)、世界最初のデパート=ボン・マルシェという等式に落ち着くのだろう。


アリスティッド・ブシコーとその夫人マルグリットのブシコー夫妻によるボン・マルシェ(良い市場)が、12名の従業員と4つの売場、年間売上高45万2000フランのマガザン・ド・ヌヴォテ(流行品店)から、やがて従業員数数千名、年間売上高1億フランの近代的なグラン・マガザン(デパートメント・ストア=デパート)に急成長し始めた1852年の21年前の1831年に、あのゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、この世を去っている。従ってヘーゲルは、デパートという全く新しい形の博覧的商店を知らない。仮にフランス第二帝政期まで彼が存命していて、「新しい宗教」である商品イメージの博覧施設、消費の殿堂であるパリのグラン・マガザン(ベルリンのヴァーレンハウスでも良いが)を見ていたら、やはり消費社会以前の人である彼はそれを「阿呆の商店」と言っただろうか。

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 (哲学史にかんする俗説で)まず第一に目につくのは、哲学史の役目が時代や民族や個人のばらばらな出来事を、ーー時間的にも内容的にもばらばらな出来事をーーものがたることにあるという説です。時間的なばらばらについては後にふれることにして、ここではまず内容的なばらばらについて、つまり、ばらばらな行動とはどういうものかについて考えてみたい。哲学の内容は、情熱や幸運につきうごかされる外面的な行動や事件ではなく、思想です。ところで、ばらばらな思想とは、あれこれの思いこみにほかならず、哲学的な思いこみとは、哲学のこまごまとした内容や哲学固有の対象、ーーつまり、神や自然や精神、ーーにかんする思いこみということになりましょう。
 さて、わたしたちが最初にぶつかるきわめて通俗的な哲学史にかんする見解は、貯蔵庫におさめられた哲学的な思いこみの一つ一つを、時間的に整理してものがたるのが哲学史の仕事だとするものです。どう好意的に見ても、貯蔵庫におさめられたものは思いこみというしかない。しっかりした判断にもとづいてものをいえる人なら、このような哲学史をおろかさの回廊とさえ名づけるでしょう。少なくとも、たんなる思考、たんなる概念に沈潜した人間のつくりなす迷妄の回廊と名づけるでしょう。ところが、哲学史を思いこみの貯蔵庫だとする見解は、哲学についてなにも知らないと広言する人びとだけが表明しているのではない。(人びとが哲学についてなにも知らないと広言するのは、無知だからといって哲学の根本をめぐる判断がくだせないわけはないと世間一般に考えられているからです。それどころか、哲学についてなにもわかっていなくても、哲学の価値や本質についてはだれでもしっかりと判断できると思われているのです。)そういう門外漢ばかりでなく、哲学史を書こうとする人、書いた人さえも、哲学を思いこみの貯蔵庫だと考えている。さまざまな思いこみをものがたるような哲学史は、とりとめなき好奇心を満足させるもの、もしくは、博識のひけらかしになってしまう。というのも、博識とは、とりわけ、無用なことをたくさん知ること、つまり、それを知っているという以上の内容も興味もないものをたくさん知ることだからです。
 しかしまた、他人のさまざまな思いこみや考えを知ることは有益ではないかと思う人もいるかもしれない。思考力がうごかされ、多くのいい考えにぶつかり、自分でもなにかを思いこむ機縁になるかもしれないというわけです。思いこみから思いこみへとわたりあるくのが学問だというわけです。
 哲学史がたんに思いこみの回廊をしつらえるにすぎないのなら、ーーそれがよしんば神や自然界や精神界の事柄の本質をめぐるものであっても、哲学史はむだで退屈な時間になってしまう。考えのながれや博識から大いに利益をひきだすことができるとしても、そうです。たんなる思いこみの羅列を知ることほど無用なことがあるでしょうか。それほど退屈なことがあるでしょうか。哲学的な理念をたんなる思いこみとして解説し論述するような哲学史は、ちょっと目をとおしただけで、全体がいかにひからびて退屈で興味なきものかがわかります。


ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル「哲学史講義(Vorlesungen über die Geschichte der Philosophie)」


原文


上掲引用文の「おろかさの回廊(原文 Galerie der Narrheiten)」、「思いこみの回廊(原文 Galerie von Meinungen)」は、この河出書房新社長谷川宏訳が出るまでは、日本では専ら「阿呆の画廊」「意見の画廊」(岩波=武市健人訳=基本的に1934年の訳)とされてきた(「迷妄の回廊(「昏迷の画廊」)」は、原文では「回廊(Galerie)」の語が省略されている)。確かに19世紀後半以降のドイツ語ならば「Galerie」を「画廊」と訳せない事も無いだろうが、しかしこれはヘーゲルの時代(=18世紀後半〜19世紀前半)なのである。その時代に「(前近代的)画商」は兎も角「画廊」は、デュラン・リュエル商会(例)やベルネーム=ジューヌ画廊(例)以降の、現在我々がイメージする様なそれとしては、未だ存在はしていない。


ヘーゲルが語ったこの "Galerie" は、即ち例えば、ルーブルの「グランド・ギャラリー(Grande Galerie)」の様な「回廊」と訳すのがやはり妥当だろう。確かに「画が掛かった回廊」を約めて「画=廊」とする事は可能ではある。日本語に於ける「画廊」の語の誕生は、1910年の高村光太郎による「琅玕洞(ろうかんどう)」以後とされている。因みにこの「日本最初」の画廊は所謂ホワイトキューブ空間ではなく、その壁面には「緑色の鮮かな壁紙」が貼られていた。「店で一番よく売れたのは、当時の文壇、画壇諸名家の短冊で、一枚一円で飛ぶような売れ行きであった」らしいが、それはさておき、その「画廊」誕生の1910年以降(1934年)に、「画廊」の誕生以前に書かれたヘーゲルの "Galerie" を「画廊」と訳す事による無用の混乱は、少なからず読者の間で存在するだろうし、実際に存在していただろう。それでも「阿呆の画廊」が、嘗ての「直訳ロック」の「王様」による「宇宙のトラック野郎(Space Truckin' = Deep Purple)」を彷彿とさせる面白い訳であると言えば言えなくもないので、敢えてここでは「Galerie der Narrheiten」の訳に「阿呆の画廊」を当てる事にする。西周が "Verstand" に「悟性」という禅の用語を当てたのも、また永く日本で定訳の扱いを受けていたものも、恐らく何処かで「高速道路の星(Highway Star = Deep Purple:王様)」なのであろう。


この「哲学史講義」の中で、この序論の冒頭部分(講義初日の1816年10月28日?)は、恐らくハイデルベルク大学(或いはイェナ?まあどうでも良い)の学生に対する「つかみ」の役割を果たしているものと思われる。この「哲学史講義」は、基本的には講義を聞いていた学生のノートから起こされたものであり、「阿呆の画廊」や「意見の画廊」や「昏迷の画廊」といった、極めて印象的でキャッチーではあるものの、しかし講義全体を通じてそれぞれ各一回しか登場しない揶揄の語を、一体どの様なニュアンスでヘーゲルが発したかは明らかではないが、例えばそれらは「阿呆の画廊wwww」や「意見の画廊wwww」や「昏迷の画廊wwww」の様な、聴衆の「笑いを取る」キラーワードだったのかもしれない。


果たしてヘーゲルは、「阿呆の画廊」「意見の画廊」「昏迷の画廊」をどの様なものとしてイメージしていたのだろうか。或いは実際に、ヘーゲルは「阿呆の画廊」「意見の画廊」「昏迷の画廊」としか言い様の無い、彼の目からすればどうしようも無い、つまり「時間的にも内容的にもばらばらな出来事」、「貯蔵庫におさめられた…思いこみの一つ一つを、時間的に整理してものがたる」、「とりとめなき好奇心を満足させるもの、もしくは、博識のひけらかし」である様な「阿呆」極まりない「画廊」での展示を見て、それと「哲学史」の「惨状」と重ね合わせたのだろうか。或いはまた、当時「阿呆の画廊」として巷間広く知られていた存在があり、ヘーゲルは「枕」の「つかみ」で、そうした時事ネタを出したのであろうか。

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フランス語の "Galerie" には「アーケード街」「屋根付き商店街」の意味もあり、その "Galerie" を冠した "Galeries Lafayette(ギャラリー・ラファイエット)" という百貨店(グラン・マガザン)もある。 "Galerie der Narrheiten" や "Galerie von Meinungen" を、「阿呆の商店街」や「昏迷の商店街」と訳する事は、前後の文脈を全く無視すれば可能な話ではあるだろうが、しかし一方でそうした揶揄は些かの意味をも持たないと言える。何故ならば、商店街という存在こそ、それ自体がヘーゲル的には「阿呆」であり「意見」であり「昏迷」である様なものだからだ。即ち商店街こそは「ばらばらな思想」によって構成されているものであり、その商店街に博覧的な分り易い外形を与えたのが、百貨店という商店の形式だと言えるだろう。


こうした博覧的性格は、当然現在のデパート(→ショッピング・モール)の要件でもある。何百万円もする宝飾品や着物や骨董から、肉まんやコロッケやレトルトカレーまで、一つの「店舗」内で扱うのが百貨店だ。誤解を恐れずに言えば、消費の殿堂、消費の博覧である百貨店内に於いては、何百万円もする宝飾品や着物や骨董は、肉まんやコロッケやレトルトカレー「並」であり、一方で肉まんやコロッケやレトルトカレーは、何百万円もする宝飾品や着物や骨董「並」である。美術画廊の絵画の新作は、地階の惣菜の新作「並」である。その美術部門の人は、惣菜部門とは接点が無いと思っていて、他方惣菜部門の人は美術部門とは接点が無いと思っている。されど、同じ時間に、美術部門の人と、惣菜部門の人は、同じタイムカードを押して店外に出る。その際、美術部門の人の手はコロッケを、惣菜部門の人の手は展覧会カタログを持っているかもしれず、また百貨店の客は客で、人によってはダイヤモンドの入った高級そうな手提げ袋と、柿安ダイニングのマカロニサラダの入ったレジ袋を一緒に持ち帰っているかもしれない。ダイヤモンドに対する消費の欲望自体と、マカロニサラダの消費の欲望自体の間に質的な差は無い。どちらが勝り、どちらが劣るという事も無い。それこそが百貨店以降の消費の在り方だ。

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凡そアートフェアというのは、画廊の時限的な百貨店と思えば良いのだろうか。アートフェアには様々な画廊が集まるが、それらを統括するキュレーターというものは事実上不在だ。言わば通常の百貨店と同様の、内在的論理の不在がそこにはある。ケースによっては、百貨店の中のテナントに相当する各画廊の選定をディレクションする者はいるだろう。しかしそれでも、ディレクションの彼等は、出品作品や出品作家の選定にまで口を出す訳ではなく、それらは専らテナントである画廊の自主判断に任される。アートフェアーとは、「美術」のエンチクロペディー、というよりはカタログであろう。


敢えて自称リーセントな「現代美術」のみで構成された「専門店」の如きアートフェアも存在するが、その一方で、骨董から団体展系から現代美術までを全て「網羅」した、恰も反物からエスニック雑貨からモダン家具までを全て「網羅」したかの様なグラン・マガザン=百科全書的アートフェアもある。そうした「グラン・マガザン」に対して、「ポスト・モダン」の名を与える事も可能ではあるだろう。そして「グラン・マガザン」に対して、批評(思想)の不在を見、嘆く事もまた可能ではあるだろう。即ちそれを約めて言えば、「阿呆の画廊」のヴァリアントという事になる。


しかし「グラン・マガザン」という現象自体は、「ポスト・モダン」ではなく、極めて優れて/劣って博覧的「モダン」の産物だ。寧ろそうした「モダン」の、百科全書的博覧による横断性の視点が、ピカソにアフリカを近付けさせ、ポロックネイティブ・アメリカンを近付けさせたとも言えるだろう。ピカソにしても、ポロックにしても、それらは少なくとも「万国博覧会(世界のカタログ化)」以降の現象だ。彼等のアフリカや、ネイティブ・アメリカンは、世界のカタログ化(百貨化)を通過したそれらだ。「万国博覧会」が「アヴァンギャルド」の実験場としての意味を持っていた(過去完了形)という視点に一定の意味があるにしても、それは他方で「アヴァンギャルド」もまた、「万国博覧会」では博覧的視点の内側、即ち百貨店に於ける「売場」の位置にある事をも意味する。


因みに "TOKYO ART BEAT" のサイトと、百貨店のサイト、例えばプランタン銀座のサイト松屋銀座のサイト京王百貨店サイト等を見比べてみれば、その作りに極めて近似性がある事が判るだろう。百科全書的なアートフェアを批判する視点を持つ事は或いは可能だが、"TOKYO ART BEAT" な、既に常にそこに存在してしまっている百貨的な、即ち「阿呆の画廊」的な「状況」自体を批判する事は、批評的には不可能であろう。


そうした狭義の批評(以後括弧付き「批評」)が依拠したがっている「モダン」は、「批評」が「モダン」としておきたいもの以外の百貨の存在を、敢えて「見ない(無視する)」事で成立する様な、「批評」の視界に留まる「モダン」であると言えるだろう。それは百貨な状況から、恣意的に選択されたものとしての「モダン」である。当然「グリーンバーグ」の時代にも、「グリーンバーグ」ではないものは幾らでも存在していたし、そうした「グリーンバーグ」の時代にあってさえ、既に常に世界は百貨店だった。それを恰も、「当時」の世界には「グリーンバーグ」しか無かったかの様に語るのは、少なくとも知的誠実さに欠けた態度と言えるだろう。


それはさておき、「批評」の凋落が言われる現在、「批評」の回復は、実は極めて容易い話なのである。即ち、同じ「百貨店」の中の他の「売場」の存在を無視すれば良いだけなのだ。一階のブランドショップが、地階の惣菜部門を無視する様に。「批評」はそうした「百貨店」の中の、一つの「売場」の専属になり、「売場」の中の事さえ話していれば良い。百貨店の商品全体を包括可能な「批評」を紡ごうなどと考えようとするからこそ、極めて困難にもなろうというものだ。


その上で「当店(当売場)のお客様は、物の価値の良く判ってらっしゃる方ばかりで」といった様な意味の事を、「批評」が「売場」の中で言う。しかしそれこそは、広く百貨店の店員の常套句なのではある。そしてそうした「一つ上」の生活を目指したい「階層」に対して発せられるそうした常套句もまた、ボン・マルシェのブシコー夫妻に代表されるグラン・マガザン(デパート)が発明したものではあるのだ。「選ばれたお客様」「物の価値が判ってらっしゃるお客様」という語は、優れて/劣って「百貨店」登場以降のものなのであり、要するにそれは、多かれ少なかれ「ブルジョア階層(とその成れの果て)」に属する「客」を「その気」にさせて、そうした「一つ上」の生活を目指し、「努力次第」では、そうした「一つ上」の「階層」に到達する事が可能であると夢想する様な、産業革命以降に誕生した、常に物欲しげにしている「階層」に属する「客」に対して、「商品」を「売り付ける」為に発せられる言葉なのである。「階層」の発見とその解消。それは「階級闘争」の近代ではなく、「階層闘争」の近代だろう。そしてそれは、例えば「グリーンバーグ」という「商人(店員)」が、「美術」と称されている「百貨店」に於いて、一体「誰(階層)」に対して「何」を「売り付け」ようとしているのかという事をよくよく考えてみれば、自ずと見えてくる事ではあるのだ。