場所と施設

承前


一昨日の朝、「仮面ライダーフォーゼ」を見ていたら、「カネゴン」が出てきた。いや「カネゴン」ではなく、それは「リブラ・ゾディアーツ」なのだが、しかしこれに関わった関係者が、「カネゴン」を全く想起しなかったとは言わせない程の「カネゴン」振りである。「カネゴン」のデザインモチーフは、「貝(貨幣の原形の一つ)」と、「金入れ(財布)」と、「レジスター」といった、「商売」のツールのコラージュであるが、一方の「リブラ・ゾディアーツ」の設定もまた、「商売」のツールである「天秤(座)」であるというところが、もう何だか万事休すに「カネゴン」なのである。


オリジナル版「ウルトラQ」の第15話は、「カネゴンの繭」(1966年放映)だった。登場「怪獣」は「カネゴン」。「ガキ大将」で「守銭奴」の加根田金男(かねだかねお)少年が、或る朝「カネゴン」に変身するという、カフカな話である。プロットの詳細はこちらを参照願いたい。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8D%E3%82%B4%E3%83%B3#.E3.82.AB.E3.83.8D.E3.82.B4.E3.83.B3.E3.81.AE.E7.B9.AD


ドラマの冒頭は、鶏のクローズアップから始まる。そこから卵に手を掛けるカットが入り、ケージから卵を盗み出す少年二人が、養鶏場から逃走するカットへと繋がる。続いて土砂を落とす油圧ショベルのバケットのクローズアップが入り、斜面の上からブルドーザーの排土板が現れるカットに続く。場面は切り替わり、右から左へと、画面一杯に移動するブルドーザーが去ると、そこに先程の少年達が現れる。背後には切り崩され、その断面を見せた、赤茶けた関東ローム層の丘がポツリと残る「造成地」。それは、仮面ライダー1号が、ショッカーと戦った「東京都稲城市百村」周辺造成地(旧「南山スポーツ広場」付近)の風景にも似ている。但し、仮面ライダーの「造成地」が、只の「バトルフィールド」に留まるのと異なり、「カネゴンの繭」のそれは、そこが「造成地」である事にこそ意味がある。


その「造成地」では、子供達が持ち寄ってきたものを並べて売る、子供相手の「バザー」が開かれている。自転車、柱時計、プラモデル…。中には八卦見の看板もあったりする。その全てが「拾得物」か「盗品」であろう。それらの「商品」は結構「いい値段」だ。「バザー」の背景の丘(「アパッチ砦」)上には、高圧鉄塔が見える。これは現在「東京都多摩市聖ヶ丘1丁目21」と呼ばれている場所に立つ「境八王子線」の鉄塔の一つである。昨日も、都道18号線(多摩センター通り)の、「東京トヨペット 多摩ニュータウン店」の向かいにあるそれを左手に見やりながら「通勤」をしていた。子供達が「バザー」を開いていた場所は、現在「聖ヶ丘病院」が建っている周辺とされている。「聖ヶ丘病院」サイトの紹介文には、「東京都多摩市の緑の中にあります」とあるが、「僅か」四十数年前(1965年撮影)は、そこは「カネゴンの繭」の中のビチャビチャでドロドロの赤茶けた土と水溜まりばかりの「新開地」だった。それから「僅か」半世紀で、恰も古(いにしえ)から存在しているかの様な、「緑」の「街」や「地形」や「自然」に「改造」していったのである。「カネゴンの繭」の「地形」と、現在のものとでは、同じ土地とは思えない程に全く異なっている。「多摩ニュータウン」の丘の「地形」や「自然」は、「開発」のブルドーザーによってこそ作り上げられたものだ。「鉄塔」の「位置」だけが当時と同じであり、他はその全てが異なっている。


劇中のブルドーザーには「西武」の文字とマークが見えるが、これは当時の「西武グループ」が、「西武多摩川線」を、是政駅から先、多摩センターから相模原市(橋本、城山)まで延伸しようと計画・開発していた頃のものだからだ。この後、武蔵境から先の、都心へのルートを自社で持たない西武の鉄道敷設免許申請が取り下げられ、結果、西武グループ多摩ニュータウン開発から手を引く事になり、京王電鉄小田急電鉄の二社がそこに残る事になる。西武が途中で投げ出した「カネゴンの繭」のアパッチ砦周辺の開発は、他のデベロッパーに引き継がれる。当時、ここには地権者による開発抵抗運動もあったと言われ、また「カネゴンの繭」のアパッチ砦から数百メートル離れた鉄塔付近にある、京王バス「聖ヶ丘橋」停留所の傍らには、「狸」の彫刻と「聖ヶ丘地区 むじながいり想像之図」のプレートがあり、ここが「多摩ニュータウン」開発に抵抗した「狸」をテーマにした「平成狸合戦ぽんぽこ」の地である事を伺わせる。「カネゴンの繭」もまた、「ニュータウン開発」に対する、少年達による抵抗のドラマと見る事も十分に可能だ。


参考:http://members.jcom.home.ne.jp/qqq7/seito.htm

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21日公開の「ALWAYS 三丁目の夕日」が、今度は「1964年(昭和39年)」をテーマにするそうだ。トレーラーでは、朝鮮戦争のライバルであったMiG-15と同じ後退翼を持つ、ブルーインパルスF86Fセイバーが、ペラペラの CG 機体(搭乗しているのは「人間」ではなく「人形」だろう)となって、東京オリンピック開会式の、晴天の空に描かれたものに似た CG の五輪のスモークから飛び去って行くシーンが見える。


http://www.always3.jp/


ALWAYS 三丁目の夕日」の仮想的な「下町」は、港区愛宕町界隈とも言われ、確かに「東京タワー」から目と鼻の先に「鈴木オート」はある。「鈴木オート」の周辺は、「カネゴンの繭」の「郊外」に比べれば、相対的に「古層」の街ではある。前作がそうであり、今作もそうだろうが、如何な昭和30年代であるとは言え、それでも「カネゴンの繭」の少年達が親しんだ様な、近世の「新田開発」にも似た、近代の「造成地」という「郊外」の空間が、この映画に出てくる事はまず無いだろう。「三丁目」が既にそこに存在している地と、「三丁目」をこれから作り上げようとしている地の違いがそこにはある。「造成地」という(子供にとっては)「何にも属さない(かの様に見える)場所」、「誰にも属さない(かの様に見える)場所」、「自分達に既に与えられている(かの様に見える)場所」というのは、「ALWAYS 三丁目の夕日」の東京の「下町」的には、「路地裏」に相当する事になるのだろう。


カネゴンの繭」の「造成地」はまた、自分自身の幼少時の環境の一部であった。ここまでの丘陵では無かったが、それでも家の周囲には、「何にも属さない(かの様に見える)場所」、「誰にも属さない(かの様に見える)場所」、「自分達に既に与えられている(かの様に見える)場所」としての「空き地」が多く存在していた。それはまた自分達にとっては多孔質な「可塑」の土地であり、従ってそこは何にでもなり得た。或る時は「秘密基地(隠れ家、倉庫)」であり、或る時は「戦争ごっこ」の「砦、塹壕、兵站、兵器工場」であり、或る時は「野球(辛うじて三角ベースではない)」の「球場」であったりする場所だった。同じ「窪み」が、或る時は「倉庫」であり、或る時は「塹壕」であり、或る時は「そこにボールが入ったら得点のチャンス」である様なものに「可塑」する。それはまさしく「見立て」の機制によるものであろうし、また子供にとってはそうした「可塑」的な「見立て」こそが、最大の愉悦であっただろう。


しかしそうした「空き地」には、やがて柵が巡らされ、その土地の「利用方法」が明らかにされ、その土地の「所有者名」が示され、「可塑」的であった場所に「名前」が付けられ「固定化」される事で、そこは「法律」の対象となる。「カネゴンの繭」で、「キルゴア中佐」の「ワルキューレの騎行」の如き「進軍ラッパ」をラップしながら子供達を掃討する、「敵役」の「ヒゲオヤジ(中松工事監督 渡辺文雄)」とその部下(二瓶正也=次作「ウルトラマン」のイデ隊員)は、しかし法的には何ら「悪」ではなく、寧ろ「正」の側にいるとさえ言え、一方「私有地」を勝手にスクウォッターしている子供達の方が「不法」ですらある。21世紀の駐車場は、そこに駐車している個人財産(即ちクルマ)を毀損する危険性が大きい子供の遊びを禁止する。クルマのボディに傷が付けば、駐車場の所有者ではなく保護者の責任となる。また万が一、土地内で子供に事故が生じた時には、子供を立ち入れる様にしていたその土地の所有者が法的責任を問われる為に、その多くは法的瑕疵を問われない様に厳重な柵を巡らせる。「ALWAYS 三丁目の夕日」の路地裏は、交通事故の懸念が常に払拭出来ない為に、そこで子供が遊ばない様にと「教育」される。


多摩ニュータウン」開発デベロッパーの関係者である、カイゼル髭の「ヒゲオヤジ」達が、ブルドーザーで不法占拠者(子供)を蹴散らすのは法的に「正しく」、恐らく敷地内に持ち込まれた「所有者不明」の物品をブルドーザーで破壊する行為にも、法的瑕疵は無さそうだ。寧ろ彼等は、近い将来に「ニュータウン」内に出来るであろう、様々に「面白い遊具」や「楽しい絵本」が豊富に揃った、子供に「安全」な「公園」や「児童館」や「コミュニティセンター」を作ってくれる「子供の為を思って日夜働く、優しいおじさん」ですらあるのだ。「カネゴンの繭」に登場する、「牛乳」を買うのに鍋を持参する子供がいた時代の「遊具」であった「コンクリート土管」は、やがて地中に埋められ、今も「ニュータウン」の生活を下支えしている事であろう。

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土地の「利用」や、「所有」や「名前」の存在を明らかにし、「法律」がカバーする「世界」の全てには、一切の例外が存在しない事を理解させる一方で、子供に対しては子供が「安全」に遊べる様に仕立てられた、「利用」と「所有」と「名前」を持つ、「場所」ならぬ「施設」を与える。しかしそこにあるのは、「遊ばせる」事に合目的化した、「名前」があるものばかりであり、愉悦的な「見立て」の生じる「不定形」で「可塑」的な「場所」は存在しなかったりする。前記事に書いた、 James Mollison の写真集 "Where Children Sleep" には、そうしたものの「利用」と「所有」と「名前」の、生活に於ける「浸透」の差もまた、写されていた様に思える。


カネゴンの繭」の、「不定形」で「可塑」的な「場所」は、こうして都市の「郊外」からは消滅した。それに代わって出来た「公園」や「児童館」や「コミュニティセンター」に、遠路はるばる、縁(えん)も縁(ゆかり)もない「子供の為を思って」いる「優しいおじさん(おにいさん)」や「優しいおばさん(おねえさん)」がやってきて、「ワークショップ」と称し、「親切」にも子供に「遊び」の方法論や、「遊び」そのものを「教えて」くれたりもする。「遊びの『天才』」相手に「遊び」を説く。そこでは、まるで「ワークショップ」が無ければ、子供は「遊び」を「発見」する事すら覚束無いと、「優しい」人達が思っているかの様にも見えるケースもあったりする。


しかし「ワークショップ」のその場所は、子供の「遊び」の「発見」の「場所」を奪う事で出来た「施設」であったりするかもしれない。「ワークショップ」を頻繁に行う、各地に存在する「美術館」もまた、そこが建つ前には、「不定形」で「可塑」的な子供の「遊び場」だったかもしれない。「カネゴンの繭」の「造成地」が、その管理上、極めて厳格に子供の立ち入りを禁じ、結果として子供の遊ぶ場所が、「公園」や「児童館」や「コミュニティセンター」しか無いとしたら。果たして「美術館」で「遊ぶ」事こそが、「最上」のものであるとされていたら。そしてそれで十分に満足出来る様に子供が教育されていたら。確かにそうなれば、「カネゴンの繭」の「ガキ連中」の「卵泥棒」も、「バザー」も、他人の土地を「勝手」に「スクウォッター」する事も、全て根絶される事であろう。しかし子供とは、そうした「利用」と「所有」と「名前」のものの隙間を常に見付け出し、そこから逸脱しようとするものだったりもするのだ。