【承前】
NHK「美の壺」の正式名称は、「鑑賞マニュアル 美の壺」である。本日元旦は、原沙知絵嬢を迎えての「豪華!風流!日本庭園スペシャル」だった。公式サイトの「番組紹介」から引く。
「美の壺」は暮らしの中に隠れたさまざまな美を紹介する、新感覚の美術番組です。
普段使いの器から家具、着物、料理、建築に至るまで、衣食住、人の暮らしを彩ってきた美のアイテムを取り上げていきます。
古今東西の美しいものの魅力を、洒落たジャズとともに、贅沢かつ知的に伝えます。日本人ならではの暮らしの知恵やこだわりは、見る者を豊かな気持ちにしてくれるはずです。
番組ではそれぞれのアイテムの選び方・鑑賞法を、いくつかの「ツボ」に絞ってわかりやすく解説していきます。
目指すは実際に使える「美術の鑑賞マニュアル」。
この番組で紹介したツボを覚えていただければ、これまで敷居の高かった骨董店や美術館でも、ひとかどの「通」として振る舞うことができるかも・・・。
とは言え、NHK には「新日曜美術館」という番組もある。「美の壺」は、「新日曜美術館」と重ならない部分、即ち「美術」以外を扱う「美術番組」であると言える。それは「暮らしの中に隠れたさまざまな美」であり、「普段使いの器から家具、着物、料理、建築に至るまで、衣食住、人の暮らしを彩ってきた美のアイテム」である。「さいたま市大宮盆栽美術館」の様な場所を別にして、いずれも一般的な「美術館」が取り上げないか、取り上げ難いものであると言え、それはまた「風流」の側にあるものばかりだと言える。
谷啓時代の「美の壺」。その"File97(2008年7月19日放送)"は「水石(すいせき)」であった。
東京、明治神宮。
ここでは、毎年6月、水石と呼ばれる石の展覧会が開かれています。愛好家たち自慢の石が100点近く飾られています。
なぜ石がこんなにも人々の心をひき付けているのでしょうか?
自然の石を、その形や紋様などから山水の風景に見立てる。
水石という名は、そこからつけられました。
どんな風に見立てるのか、やってみましょう。
これは、仙台藩伊達家が家宝として受け継いできた石。
一体、何に見えますか?
答えはこちら。鎌倉の風景です。山が平地を囲っているような形が、鎌倉の地形そのものです。
続いてはこちら。
江戸時代の歴史学者、頼山陽(らいさんよう)が愛した石です。細長くしなを作った形、じっと見つめていると神秘的な姿が浮かび上がってきます。
答えは、「観世音菩薩」。
水石は、山水だけでなく、人間や動物などさまざまなものに見立てることができます。石を水石として観賞するようになったのは、鎌倉時代。
その後、日本独自の芸術として花開いていきます。
当時の絵巻物には、盆栽とともに水石が描かれています。
尾張徳川家には、誰もが知る歴史上の人物たちを魅了した名石中の名石が伝わっています。
その究極の逸品がこちら。南北朝時代に後醍醐天皇がめでた石です。
天皇は戦乱のさ中にも、この石を肌身離さず持っていたと伝えられています。
その後、天下人、秀吉、家康の元を経て、尾張徳川家のものとなりました。この石は、その形から橋に見立て、「夢の浮橋(うきはし)」と名付けられました。
見る人が感性や想像力を膨らませてこそ楽しめる水石。
時代を超え、今も見る人の心をひきつけています。
壱のツボ 遠山に始まり、遠山に終わる
京都で会社経営する馬場利一さん。水石に魅せられて50年という筋金入りの愛石家です。
およそ200点もの水石が並ぶ部屋。
実はここ、元々会社の会議室。
趣味が高じて、展示室にしてしまったのです。
飾られている石のほとんどが京都の川で採れたものです。
中でも、自慢なのがこちらの品々。馬場「97年、京都御所に天皇皇后両陛下が2日間お泊まりになった。会見の場所と寝室とに飾らせていただいた石です。
これは茅舎(ぼうしゃ)のような格好ですが、美智子妃殿下がお手に取られて、よく自然にこんなものができますねとたいへん喜んでいただきました。
50年あまり石をやってきて、両陛下からこんな石を見てもらったということは、一生の宝ですよ」
そんな馬場さんのお気に入りがこちら。
山の風景を連想させる『遠山石(とおやまいし)』と呼ばれる形のもの。
水石を深く知る上で、とても重要だと言います。
馬場「何と言っても基本は遠山石。『遠山に始まり、遠山に終わる』といわれます」山の景色を表す遠山石は、見立てやすく、いわば水石の入門編。
それでいながら、知れば知るほど、奥が深い石なのです。水石鑑賞、最初のツボは、
「遠山に始まり、遠山に終わる」
遠山と言って、私たち日本人が真っ先に思い浮かべるのは富士山。
遠山石の基本は、富士山のような形だといいます。
その鑑賞法を日本水石協会の松浦有成さんに教えてもらいましょう。
松浦「三面の法というのがあります・・・」
良い石を見極める際に重要なのは、バランス。
360度、どこから見ても均整のとれた美しさが求められます。
遠山石には、中国の絶景をイメージさせるものもあります。
一方こちらは調和がとれた二つの峰を頂く、遠山石。
また険しい峰が連なり、連山となっているものなど、さまざまな山の姿があります。
すべて自然が作りだした造形。
人の手は一切加わっていません。先ほどの馬場さん。遠山に人生を学んできたと言います。
馬場「自分は我を通してこうあって欲しい、あああって欲しいと要求しても無理でしょ、石は。自然のままで、あるがままがいいと、これは石に学んできたことです」
見る人の心によって、石は雄大な山を頂く大自然に姿を変えます。
水石は「遠山に始まり、遠山に終わる」といわれるゆえんはまさにここにあるのです。
弐のツボ 時がはぐくんだ風合いを味わう
名石は一日にしてならず。
東京青梅市で盆栽店を営む小松修さんの家の庭です。たくさんの石が台の上に並べられています。
一体、なぜなのでしょうか?
小松「これから長い年月を掛けて養石をしていく。外に置いて雨風にあてたり、日にあてたりして、石の表面が古くなっていくのを待つわけです。時代がつくとか味が出るとかいいますが、それを養石といいます」
そう、自然の石を水石と呼べる芸術品にするには、天日に干したり、水をかけたりして、風化させなければなりません。
こうすることで、石肌に深い味わいが現われます。水石鑑賞二つ目のツボは、
「時がはぐくんだ風合いを味わう」どんな名石でも、初めは河原に転がるただの石。
自分の足で良い石を探し出すことも、愛石家の楽しみの一つです。
小松「1日いても1つも見つからずに帰るなんてあたりまえ!だからこそ、良いものを見つけたときの喜びは大きい」
鑑賞に値する石を探すことを探石(たんせき)といいます。
探石は、どこでもできるのですが川の中流で行うのがベスト。
適度に角が取れ、面白い表情の石が見つかるそうです。
早速、小松さんが石を手にとりました。
いかがですか?小松「こういうデコボコしたのは面白いんですけどね。この半分くらいの厚さだったらいいかもしれないですね」
こうして集められた石には、まだ趣はありません。
長い年月をかけ養石(ようせき)すると、どうなるのでしょうか?
小松「これは養石して40年経っている・・・」
風合いが生まれた石をより美しく引き立てるのが台座。
鈴木広二さんは、台座を作り続けて30年の名人です。鈴木「石だけだと単なる石ころ。それをいかに芸術品にするかは台座次第!」
鈴木さんの手がけた台座です。
堅く、磨けばつやが出る黒檀の木を使い、険しい山の風景を際立たせています。
長い年月をかけ、育てられた石は、深い味わいを持つ芸術品です。
参のツボ 石が見せる四季の彩り
黒い石に赤く浮かび上がる模様はつばきの花。
春先の情景を思わせます。
水石は、飾り方によってさまざまな季節感を演出することができます。
基本は床の間に飾ること。
そこには、どんなコツがあるのでしょうか?松浦「水石は、季節感を単体で出しにくい。掛け軸や草物、盆栽と合わせて飾ります」
床の間は、客人への心遣いを表す場所。
季節感が感じられる飾りは、訪れる人の心をも満たしてくれます。水石鑑賞、最後のツボは、
「石が見せる四季の彩り」まずは、夏の飾り方を教えていただきましょう。
涼しさを演出するために、砂が敷かれた水盤(すいばん)を使います。
砂は水を表し、清涼感を与えてくれます。
そこに滝に見立てた滝石をじかに据えます。
そして、砂をきれいに整え、霧吹きで水を打ちます。
二段に落ちる滝の飛まつを浴びて、湿った岩肌が涼しげです。
掛け軸には、夕暮れの月。
夏の飾りの出来上がりです。
月明かりの元、松が張り出した崖の上から滝が落ちています。
松浦「滝石に打った水が乾いてくると色が変わり趣がある。日本人独特の楽しみ方」
春の飾りです。
掛け軸は、つばきの絵。
台座に飾られた雄大な遠山。
すそ野の先には、みずみずしい青草が春の訪れを感じさせてくれます。
続いて、秋。
熟した山柿の実が落ち、その反動で枝に残った実がはずんでいます。
遠くに見える山の頂には早くも雪が積もり始めています。
冬の到来を感じさせる晩秋の風景です。
そして冬は、正月の飾りつけ。
松が描かれた扇が、竹に掛けられています。
飾られた石は、梅花石。
「海ゆり」という生物の化石が梅の模様を作っています。
松竹梅のおめでたい演出。水石で四季を表す。
日本ならではの心の芸術です。
「遠山に人生を学んできた」、即ち「石に人生を学んできた」という訳だ。「風流」恐るべしである。
Wikipediaで「水石」を検索すると、以下の様な薄い解説が得られる。
水石
水石(すいせき)は、室内で石を鑑賞する日本の文化、趣味である。自然石を台座、または水盤に砂をしいて配置して鑑賞する。
水石という呼称には、水盤に入れた石に水をふりかけると色が濃くなり、美しく見えるからであるという説と、古来、日本の公家社会・武家社会の茶席などで、床の間を飾る置物として、山水景を感じとれる石として重用された「山水石」もしくは「山水景石」が省略されたものであるという説がある。明治以前の鑑賞石はそのほとんどが山水石であったとされる
概要
中国の南宋時代から始まった愛石趣味が日本に伝わったことに始まる。後醍醐天皇の愛石で中国から伝来した『夢の浮橋』が徳川美術館に収蔵されている。盆の中に山水景観を表現する盆石、盆景の中に自然石を置くことや、奇石の収集・鑑賞趣味として現在に伝わっている。
有名な愛石家に江戸時代の頼山陽、明治時代の岩崎弥之助がいる。1961年に日本水石協会が設立され、第1回展覧会が三越で開催された。昭和40年頃に日本では石ブームが全国に湧き起こり、好まれる石は多種多様になった。
鑑賞される石は例えば、山景や海上の岩の姿を模した、山形石、遠山石、岩潟石、滝石などや、菊花石や虎石などの模様の珍しい紋石や、形の面白い姿石、色彩の美しい石などである。日本における名石の産地には加茂川、瀬田川、揖斐川、佐治川、などがある。
「水石」の話をすると「ああ『無能の人』ね」という反応が返ってきたりするのだが、まあ大体そういう事である。無論「石売り」という商売は実在する。
http://tinbox.exblog.jp/6634954/
勿論「美の壺」で紹介されたりする歴とした「趣味」なのである。いや「道楽」と言うべきか。「道楽」もまた、「風流」の一側面を形成する。間違っても「美術」を「道楽」とは言わないし、言ってはならないともされている。「美術(文化)」は、「道楽」よりも、もっと「崇高」なものである。「道楽」で勲章を貰った者はほぼ皆無であるが、「文化」では掃いて捨てる程に存在する。
日本最大の「水石団体」である「日本水石協会」はこちらだ。
http://www.suiseki-assn.gr.jp/
「鑑賞に値する」石を探す「探石」は勿論のこと、拾ってきた原石をそこから何十年も掛けて「育てる(養石)」のである。そうした「育てる」点で、「水石」は「盆栽」や「蘭鋳」等に近い世界だ。様々な風化テクニックを使って「養石」は行われる。しかし決して「鑿」や「グラインダ」等を使って「表現」してはならない。 それが人による「表現」となったと同時に、それは「見立て」である「水石」失格となるのだ。 「水石」は「収集趣味」であると同時に、「鑑賞趣味」でもある。それは「作る技術」を競うものではなく、「見る技術」を競うものであり、所謂「表現」の対極にそれはある。
珍しいものがある。箱書に「忘却 岡本太郎」と書かれている揖斐川石だ。
あの「太陽の塔」をも彷彿とさせる、「石の中に顔があっても良いじゃないか」な石だが、勿論、岡本太郎氏がこれを「彫った」上に「塗った」訳ではない。箱書は昭和40年代の初め(「石ブーム」があったとされる。「無能の人」も同時期)に書かれたと見られる。岡本太郎氏は、これを所持せず、箱書のみを記すに留まった。「表現」の上にも「表現」の人である岡本太郎氏。「縄文」に「表現」の「源流」を見た岡本太郎氏。果たして彼は「水石」には何を見ただろうか。それともそれは、やはり自分には関係の無いものとして見たのだろうか。「太陽の塔」はこの石からインスピレーションを得ているという見方も無いではない。しかしそうであったとしても、この「水石」と「太陽の塔」は、全く異なるものであり、寧ろ対極にあるとすら言えるだろう。岡本太郎氏は、やはり「風流」の側の人ではない。「風流」のラディカリズムよりも、「文化」のラディカリズムの人なのだ。
【続く】