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相模原「渦中」

【幕間】


その駅に降り立つと、そこはペデストリアンデッキになっている。この町には事実上「南」しか存在しない。ペデストリアンデッキは「南」にしか伸びていない。「鹿島神社(現 "SHRINE PARK")」のある広大な「北」に入れるのは、駅から「東」へ数百メートル行った「西門」という交差点からの進入になる。但し、踏切を渡れば、警察官による検問を受けなければならず、結果として「北」に入る資格を有する者しか、そこを通過する事は出来ない。


「北」の名称は「相模総合補給廠」。在日アメリカ陸軍の補給施設であり、アメリカ陸軍、アメリカ空軍、アメリカ海軍、アメリカ海兵隊の各種物資が常時保管されている。時々、色々なものが「検出」されては騒動になるものの、ここは戦後日本人が親しんだ英語の一つである "OFF LIMITS" であり、中に何が保管されているのかは、アメリカのみが知る。とは言えこの「相模総合補給廠」は、この一帯を軍都の中心としたかった旧日本陸軍の「相模陸軍造兵廠」を接収したものであり、仮に第二次世界大戦に日本が勝利していたとしても、ここは軍関係者と女子挺身隊以外は、相変わらず「立入禁止」であっただろうから、その中に何が保管されているかは、軍部のみ知るであっただろう。

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JR線を挟んで「南」側、「相模総合補給廠」の向かいの、飲食店が「マクドナルド」と「ヴィ・ド・フランス」と「サイゼリヤ」という、まるでシャチハタで押した様なテナントしか入っていない、JR東日本系の駅ビル「ナウ(NOW)」にある、政令指定都市相模原市の市民ギャラリーで、「現代美術」の展覧会を見る。ペデストリアンデッキの階層、JR線の連絡階である飲食店のフロアから、1フロア上にエスカレーターで上がる。階下のフロアでは、駅ビルなりの客足が見られたが、一転このフロアでは、自分以外は職員ばかりだろう。「『現代美術』の展覧会」を「独り占め」する。しかしそれは、いつもの事ではないだろうか。一体、ヨコハマビエンナーレの数十万人は何処にいるのだろう。今、この誰もいないフロアで大演説をしても、コンクリート壁に木霊して、文字通り「自分の−声を−聞く(s'entendre-parler)」状態になってしまったりするだけだろう。


エスカレーターの到着場所とは逆の奥の方に、その入り口はある。その導線に特別に意図は無さそうだ。会場入り口には芳名帳があり、その上に企画者のステートメントが掲げられている。


もはや東日本大震災原発事故のことを考えずして表現することはできなくなった。半年を経てようやく復興に向けた少しばかりの明るいニュースが届くようになってきたが、反面、原発による被害は現在も継続中だ。震災前、世界各地で起こる何年かに一度の自由を求めた紛争のニュースを平和ボケした日本の中に在って、さも自分たちも意を共にしていると誤認していた。しかしどこか一方で遠い世界の出来事のように感じられていたことも否めない。一瞬にして渦中の人となった。
2011年3月11日。
震災を体験し津波の被害を伝えるテレビの前で自身の無力さに肩を落としたのはここに集まるアーティストだけではないはずである。
震災後には多数のアーティストたちがボランティアに参加し、復興してゆく被災地の物質的な光景に希望の光を見出しながらも、失われてしまった(いまでも失われ続けている)”目に見えないモノ”の存在にまざまざと触れることとなったのが現実だ。その傷跡は深く、到底癒やすことのできないものだろう。しかしこの状況に在って、いつまでも手を拱いていることはできない。私たちができることはラディカルな場所「自由」がもつ大きな意味と力をもって、そうした目に見えない”失われてしまったモノ”そして”失われてゆくモノ”に対峙し、あの時以来、穴のあいた乾いた心に(そして、これからの未来を創る子供たちに)すこしでも潤いと豊かさをと願い表現を続けてゆくのだ。もちろんここに集まったアーティストの個性はそれぞれ異なる。
また、この展覧会がある一つのポリティカルな方向性を持っている訳ではない。芸術が明確な輪郭を持たない今日だが、あの震災を受難した我々が「今」表現しなければならないことがある。ここに集まったアーティストたちは何を考え、彼らの言葉である「物」で何を「語る」のであろうか。
「今、物語る」


http://imamonogataru.dousetsu.com/


関東地方のこの町に、ストロンチウムがどれだけ降下しているのかは定かでない。市中をくまなく線量計で測り倒せば、それは検出されるのかもしれないし、検出されないかもしれない。市中で販売される食料品からは、果たしてどうだろう。この町は「渦中」にあるのだろうか。それとも「渦中」の外にあるのだろうか。或いはまた、仮に「渦中」であったとして、この町の「渦中」度は、東北各被災地や福島、更には「平和ボケした日本の中に在って、さも自分たちも意を共にしていると誤認していた。しかしどこか一方で遠い世界の出来事のように感じられていた」チェルノブイリに比べて果たして如何ばかりだろうか。


その一方で、参加アーティスト達は、一律に「渦中」にあるのだろうか。記述主体が、「渦中」と「渦中の外部」を行き来している様にも見える、このステートメントを読む限りでは、アーティストに関しては、その全てが「渦中」にあると思って差し支えなさそうだ。こうしたステートメントをフライヤーに刷り、公式サイトに載せ、会場入口にまで掲げる様な展覧会に参加した以上、そうしたステートメントから導き出されるであろう認識上のバイアスに晒されるという事をも、アーティストは同時に選択したのだと言える。ステートメントステートメント、でも作品は作品。そうした差し出す側に都合の良い見方が可能なのは、企画者のステートメントのクォリティを吟味し、場合によっては、それを完全無視する事が出来る「美術ファン」だけであろう。ステートメントをこそ、観覧の拠り所とせざるを得ない様な観客は、ステートメントによって与えられたバイアスで作品を見るしか無い。即ち「これは東日本大震災原発事故を、どう『表現』したものだろうか。でもちっとも判らない」などとなる。それが「表現」ではなく、「態度」や「決意」であるとしたところで、少しも変わりはないだろう。ステートメントを発する企画者と、それに連なろうとする者は、展覧会全体に対するあり得べき受容の可能性を、可能な限りインクルードした責任を負う覚悟が最低限必要だ。誰も、ステートメントに対して、個人の「感想文」を期待している訳ではない。


「触ってください」と「触ってはいけません」が混在する会場にあるのは、「311以降」と思えば、「311以降」にも見え、「311以前」と変わりないと思えば、「311以前」と全く変わりの無い作品が並ぶ。しかしステートメントは「311以降」を高らかに謳っているのだから、その目で見る事にするのが、恐らく展覧会の企画者に対する「礼儀」というものであろう。展覧会タイトルの「今、物語る」の「今」は、紛れも無く「311以降」の意味だろうからだ。参加作家の内二名は、それが「311以降」の作品である事を、個人的なステートメントの形で表していた。しかし何処と無く、それらは「渦中」の中心からは、外れたものの様にも見えた。会期中、作家が想定する「『311以降』の観客」の参加によって、その形が変えられていく筈だった作品は、未だにほぼ原形を留めている。このギャラリーを訪れる観客には、「『311以降』の観客」が不在なのか、それとも当該作品が、一向に「『311以降』の観客」の琴線に触れないのかは定かではない。


たった一人の会場で考える。企画者の言うところの「潤いと豊かさ」とされるものは、実際のところ、誰に届くのだろうか。ステートメントの「我々」とは、一体誰の事だろうか。それが「自分の−声を−聞く(s'entendre-parler)」によるものであって欲しくないと思いつつ、下りエスカレーターの人となった。


【幕間了】