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位相ー大地

【プロローグ】


神戸ビエンナーレ2011」で、「現代美術ファン」の関心を引きそうなのは、恐らく「関根伸夫『位相―大地』 再制作プロジェクト2011」という事になるだろう。神戸ビエンナーレの会期そのものは11月23日までだが、この「位相ー大地」のみ10月14日までの「会期」となっている様だ。一体何度目の「再制作」になるのかは知らないが、神戸では1968年の「第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」以来、「関根伸夫オフィシャル」としては43年ぶりであるという。関根伸夫氏が、神戸芸術工科大学大学院の客員教授である事から、神戸芸術工科大学キャンパス内の扇形広場に、「立入禁止」の単管パイプの防護柵と共に「復元」されるという、そうした事の様だ。



これもまた果たして「前回」になるのかどうか判らないが、「40年ぶり」に「関根伸夫オフィシャル」な形での「位相ー大地」の再制作とされているのは、2008年の「多摩川アートラインプロジェクト」で、「田園調布せせらぎ公園」の「草っぱらひろば」に、時限的に、やはり単管パイプの防護柵と、見張りのガードマン付きで再現されたものだった。




40年の月日は、様々な点で「位相ー大地」を巡る環境を変化させた。防護柵の有無もそうだが、制作の方法も随分と変わった。


http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/11/nobuo-sekine-phase-mother-earth-reborn.html



「初代」の「位相ー大地」のサイズ決定は、型枠となるベニヤ板から、「必然的」に算出されたものだろう。高さの270センチはベニヤ板(恐らく「曲げベニヤ」使用)3枚分(短辺)、直径220センチはベニヤ板4枚分(長辺)の円周から得られる。「初代」の「ポジ」側の円筒に見られる横三本筋は、そのベニヤ板の繋ぎ目になる。21世紀に入ってから作られた「再制作」は、そうした「初代」の工法とは全く異なる為に、横方向に筋が入っていない「綺麗」なものだ。その「再制作」からは、作品サイズの「必然性」は見出し難い。関根氏を含むノーヘルメットの若者5人が、須磨離宮公園の管理事務所からスコップを借りて、一週間掛かりでひたすら人力で穴を掘り、それを円筒形のベニヤ製の型枠に積み入れて足で踏み固めるという、殆ど「コスト」の掛かっていない「初代」から比べると、2008年の「二代目」では、重機が入り、特注の鉄製の型枠が入り、セメントパウダーが土に混ぜられ、「建設会社の土工(TABでの表現)」を何人も使えるだけの、それなりに潤沢な資金がある。それでも「工期」は、養生期間も含めて5日も掛かってはいるのだが。ノウハウが蓄積された「三代目」も、「二代目」に準じたものだろう。型枠も流用したかもしれない。いずれにしても、その大きな差というのは、この作品の、「美術」界に於ける「身分」の変化に伴うところがある。つまり、「位相ー大地」は、「作品」として極めて「サクセス」したのだ。


兎に角「初代」は「伝説」だ。その実物が、実際に地上(地下)に姿を表していたのは、「第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」の会期中という、ほんの僅かな時間である。従って「位相ー大地」に関する殆どの言説は、それを実見した者によるものよりも、あの村井修氏による「有名過ぎる写真」や、二次情報を見てのそれになる。「多摩川アートラインプロジェクト」のフライヤーやポスターに使用されたのも、この「有名過ぎる写真」を Photoshop 加工したものだ。


Google で「位相ー大地」の画像検索をしてみると、トリミングされる以前のこの写真の原版は、恐らくスクウェア・フォーマットになっているという事が推測される。若干の広角レンズを使用する事で、手前の穴は「実際」の印象よりもドラマティックに大きく写っていて、これが「位相ー大地」の「伝説」化に、少なからず寄与する形ともなっている。レンズの位置は、円筒の下から一つ目の横筋(高さ90センチ)よりも若干下、60〜70センチ位であり、この事から、これを撮ったカメラが「ウエストレベルファインダー」装着機であった事が判る。ハッセルブラッドローライフレックスか、はたまたゼンザブロニカヤシカフレックスかは判らない。こうした写真は、現在主流の「アイレベルファインダー」では難しい。「アイレベルファインダー」では、レンズが2つ目の線の高さ(180センチ)になってしまい、結果として、随分とスケール感に乏しい平板な写真しか撮れないだろう。現在の売れ筋のカメラでは、しゃがまないと「有名過ぎる写真」と同じ様には撮れないのだ。この「有名過ぎる写真」の印象が強いものであるが故に、「再制作」された「実物」に対して、「意外と小さい」という声が聞こえたりもする。「有名過ぎる写真」から察せられるサイズは、その倍位の印象があるからだろう。


その「伝説」が最初に地上(地下)に現れたのは、先述した様に1968年の「第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」である。それが決して「関根伸夫展」ではない所に留意すべきだろう。「第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」という名称で判る様に、あの「伝説」の傍らには、1968年レベルで前衛的な「彫刻」が幾つも存在していた。「伝説」の「伝説的」な「有名過ぎる写真」は、「第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」の、そうした「難点」を免れる唯一の場所にカメラを据えている。恐らく他の作家にしてみれば、自作の撮影に際して邪魔になったのは「位相ー大地」の方だろう。あの「有名過ぎる写真」は、トリミングの上にもトリミングされ、そのトリミングの結果が、あの「伝説」となったのである。


この「伝説」は、「歴史」の「整形」作用によって、しばしば「もの派」の「原点」とされている。しかし「位相ー大地」というタイトルにも見られる様に、寧ろ作家の専らの関心は「位相幾何学」にあった。作家の真髄は、寧ろ1970年ヴェネチア・ビエンナーレに出品された「空相ー大地」の様な作品にあり、恰も空中に岩が浮かんでいるかの如く見える、ミラー処理されたステンレス柱を、「平気」で使えるところが「関根伸夫」なのだとも言える。従って「位相ー大地」もまた、そういう系列の中にある作品であると言えば言えなくもなく、実際に「多摩川アートラインプロジェクト」で、その「意外と小さい」大きさの「再制作」を見た時には、それが「意外と小さい」が故に、発表当時に言われていた、「トリックス・アンド・ヴィジョン」的な限界の中にあるものであるという批判が、或る意味で正当なものであるという印象を持った。


しかしその一方で、李禹煥氏の言う「それが、須磨の関根さんのそれをぱっと見た時に、これはトリックであるかもしれないけど、ある意味では現実なんだと。まさしく、トリックを利用して、トリックから出る、超えるという、一種のコペルニクス的展開ということを感じた」という「政治性やあらゆるものをひっくるめた行為(李禹煥)」としてのファンクションは、再制作からもそれなりに感じられるものだ。


しかし、ここで書きたいのは、作品「位相ー大地」についてではない。「美術」と「職能」の関係についての話なのだ。


【続く】