京都「妖怪」

‘I have never seen angels. Show me an angel and I will paint one.’


"The Oxford Dictionary of Art" から引いてみた。ギュスターヴ・クールベの、有名過ぎる言葉だ。「私は天使を見た事が無い。天使を見せてくれれば、私はそれを描く」。


見た事の無いものでも、それでも「絵」はそれを、文字通り「絵空事」として描く事が出来てしまう。「天使」はその一つだ。だからこそ、このクールベの突っ張りは、突っ張りとしての意味を成す。では「天使」を「写真」に収める事は可能だろうか。Google で検索してみると、幾つかの「天使」の「実在」を「証明」する「写真」がヒットする。




それらの「写真」を見ると、伝統的に「絵」に描かれた「天使」と、外形イメージが極めて「同じ」ものである事が判る。この一事から、古今の画家の「天使」に対する想像力の正確性を結論付ける事が、可能なものだろうか。但し数々の「天使」の「写真」から推察するに、「実在」の「天使」の多くは、ガス状の存在であるところが、「絵」とは大いに異なる。ガス状であるならば、クールベを始めとして、人がそれをなかなか見られないのは当然だ。「条件」が整いさえすえば、それは撮影可能なのかもしれないが、しかしそうした「条件」は滅多に整わないのだろう。それでも「人魚」が「ジュゴン」である様なイメージ上の落差は、こと「天使」に関しては無さそうだ。恐らく「ジュゴン」の顔をした「天使」は存在しない。果たして、クールベにこうした「天使」の「写真」を見せれば、彼は納得して、教会の求めに応じて、その「写真」を見ながら、「写真」の「天使」を克明に描いただろうか。


「妖怪」もまた「写真」に収める事の可否が問われるだろう。「妖怪」の中には、「UMA(Unidentified Mysterious Animal)」的なものもある。「河童」はその一つだ。「河童」の「ミイラ」の写真は幾らでも存在する。しかし「河童」の生態を撮ったものはほぼ存在しない。しかしそれが「UMA」であるならば、「ネッシー」や「イエティ」の様に、いつかは「(不鮮明な)写真」に収められてしまうだろう。それを撮影するには、それに遭遇する機会をひたすら待ち続ければ良い。それが10年後なのか、100年後なのか、1000年後なのか、或いは何万年も後なのかは判らないが、いずれにしても、そうした「UMA」は、頻繁に目撃されてはならない。毎週月曜日の燃えるゴミの収集日に、決まってゴミ袋を漁りに来るツチノコ、釣り糸を垂れれば、常に針に引っ掛かるダボハゼの様な河童、動物園のケージの中で、だらだらと寝てばかりいるイエティ等、そんなものは絶対にいてはならない。その時点でそれらは「UMA」失格である。「UMA」は、永遠にそれを見る事を遅延させる存在であるからこその「UMA」であり、従って理想的には「写真」になど撮られてはならず、常にそれらは痕跡的なものでなければならない。これだけ「UMA」の目撃例や撮影例が無いというのは、恐らく「UMA」界では、「決して、人間に目撃されたり、写真に撮られてはならない」という取り決めがされているが故なのかもしれない。ならば、人間に目撃されたり、写真に撮られたりする様な「UMA」は、「UMA」的にはとことん粗忽者であるに違いない。恐らくそうした「UMA」である事に無自覚である事を、「UMA」仲間から糾弾、総括されているだろう。それは「天使」とて同じ事だ。本当の「天使」は、下掲の「写真」の様にあらねばならない。そして寧ろ、ここには「見えない」無数の「天使」が写っているのだ。



それでは「唐傘小僧」や「一反木綿」等、或いは「猫又」の様な「付喪神九十九神、つくもがみ)」の場合はどうだろうか。


付喪神(つくもがみ)とは、日本の民間信仰における観念で、長い年月を経て古くなったり、長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に、神や霊魂などが宿ったものの総称で、荒ぶれば(荒ぶる神・九尾の狐など)禍を齎し、和ぎれば(和ぎる神・お狐様など)幸を齎すとされる。


Wikipedia付喪神

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9E


付喪神」は、「UMA」よりはまだ「写真」に収め易いだろう。最も手っ取り早い方法として、「唐傘小僧」を「写真」に収めるには「唐傘」を撮れば良いし、「一反木綿」を「写真」に収めるには「晒し木綿」を撮れば良いし、「猫又」を「写真」に収めるには「猫」を撮れば良い。それらが「神や霊魂などが宿った」状態であれば、それでもう「付喪神」は撮影完了なのである。


但し、「付喪神」を「写真にする」には、それらに対して、ただシャッターを押せば良いという訳ではない。唐傘をそのまま撮影して、これは唐傘小僧であると言ったとしても、「神や霊魂などが宿った」状態(唐傘小僧)と、そうでない状態(唐傘)は、外見上は恐らく何も変わってはいないからだ。では、事物に「神や霊魂などが宿った」状態を、どうやったら観る者に「見せる」事が可能になるだろうか。土佐光信鳥山石燕、或いは伊藤若冲の様な人が写真家であり、その彼等が「百鬼夜行写真集」や「付喪神写真集」を作るとすれば、彼等はフォームラテックスや、シリコン、ゼラチン、パテ、義眼等を使って目鼻を付け、手足を足し、怪異な形をすっかり創り上げてからそれを撮影し、Photoshop で炎まで合成するかもしれない。



確かにそうした方法論で「見えないもの」を「見えるもの」にする写真表現はある。そうした「異形」な「クリーチャー」的な「イメージ」こそを、「怖いもの」として恐れる態勢にある人もまだ多くいるだろうし、そうした「恐怖の表現」が社会の全般に渉って有効だった時代もあるだろう。しかしそれは現在、大抵キャラクター化されて、安っぽい携帯ストラップや、アニメのサブキャラか何かになる様な、瞬時に消費される「記号」でしか無いだろう。今日では「妖怪」とは、そうした「恐怖の表現」による「記号」群をしか意味しない。


そもそもが「長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に、神や霊魂などが宿った」状態とは、「不穏」や「気配」によって察せられるものであろう。それを察知出来る鋭敏なセンサーにとっては、何もわざわざ御丁寧にも、角が生えたり、目を開けたり、牙を向いたり、手足が出て歩き出したり、火を吐いたりしてまで「異形」にならずとも良いのだ。「付喪神」の場合、鍋は鍋のままで、琴は琴のままで、五徳は五徳のままで十分に「妖怪」である。実際、「付喪神」のパレードである「百鬼夜行図」ではない「付喪神絵巻」には、そうした器物のままを描いたものが多くある。従って「付喪神」を撮影するには、そうした「不穏」や「気配」こそを、画面に表出出来る「技術」が必要になる。

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京都は妖怪の町だ。「妖怪ストリート」なるものもある。一条大路がそうだとされている


http://www.kyotohyakki.com/web_0317/top.html


妖怪ストリート」サイト、トップページの左袖、「妖怪ストリートの由来」をクリックすれば、「古道具の百鬼夜行 妖怪ストリートの由来と、大将軍商店街、百鬼事業部概要」として、「付喪神」のコンパクトな解説もある。そこに興味深い記述がある。


付喪神が出現し始めたのは、ちょうど製造技術が発展し、新たな道具類が大量に生産され、これまで使われてきた道具類が不要になり始め、それ以前に比べると大量消費的な時代に入ったからだと言われております。(参考:『憑霊信仰論』小松和彦著)


http://www.kyotohyakki.com/web_0317/hyakkiyakou02.html


工業と流通が発達した室町時代に、大量生産品(大量廃棄品)に「妖怪」を見る機制が誕生したという。「付喪神」は、「自然」や「(外界としての)異界」のものではないのだ。いずれにしても、今ではそうしたセンシティブな機制の能力はすっかり退化し、少量多品種生産という、記号の大量生産(大量廃棄)の大奔流の中に「妖怪」を見る事も無くなった。そして妖怪アニメや、妖怪フィギュアや、妖怪展や、妖怪祭等といった予め設えられたもので、これ以上無い程に身も蓋もなく、鈍磨したセンサーでも見える様なもの、即ち「『天使』の『写真』」の如き「いつかどこかで見たようなもの」を、「大量」に生産・消費するのである。

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周囲に「念珠屋」や「法衣屋」が軒を連ねる渉成園を出て、両本願寺に手向ける生花商が軒を連ねていた事に由来するとされる(新)花屋町通を西進する。このまま進めば島原だ。この界隈にも当然「妖怪」はいただろう。船岡山の後ろに群拠し、都へ出ては悪さをする「付喪神」のパレードは「一条大路」だったかもしれないが、しかし、大量生産時代の「妖怪」である「付喪神」は、既に「京」のどの家々にも、器物そのままの形で、「不穏」にも「気配」を発して「いた」訳である。


西洞院通と交差する。嘗てここには「六条蒸」という「蒸屋」が存在した。京友禅に欠かせない「蒸屋」の仕事、「蒸」「化学精洗」「水元」等については「六条蒸」とは別の「蒸屋」のサイトを参照願いたい。但し、京都を代表するとされたこの「蒸屋」もまた、今夏に廃業している。この一事に、京友禅界は騒然としているが、しかしそれは、遅かれ早かれの「想定内」ではあった。


いち早く廃業した「六条蒸」のその跡地に、居抜きの形で東京から二つのコマーシャル・ギャラリーが入った。京友禅から現代美術へ。その「ギャラリー・ショップ」の「TKGエディションズ京都」で開かれている「福居伸宏」氏の「写真」の展覧会を見る。


恐らくこれらの「写真」には、「妖怪」が写っているのではないか。その撮影時間の多くも、「妖怪」が好みそうな時間帯だ。「写真」の中のコンクリート建築からも、アスファルト路面からも、「妖怪」の「属性」である「不穏」と「気配」が漂っている。これらは、その様な「属性」をこそ、「写真」に収める事に成功している様に思える。


ギャラリーのサイトから引く。


「見えているのに見えていないもの、存在するのに存在しないかのように扱われているものを可視化したり考察すること」



http://www.tomiokoyamagallery.com/exhibitions/nobuhiro-fukui-exhibition-undercurrent-2011/


「不可視属性」を「不可視属性」のまま可視的にするかの様な「写真」。当然、その「写真」に「天使」は写っていなかった。コンクリート建築には「目鼻」が付いていなかった。アスファルトからは「火炎」が上がっていなかった。何故だかほっとした。


ギャラリーの建物を出る。再び新花屋町通を東進する。ふと思う。「六条蒸」の、永年働き詰めだった数々の機械もまた「付喪神」となったのではないだろうかと。


【「京都」了】