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青梅「開示」

承前


しかしまた、普通の不穏は、それが普通であるが故に、「目を引く」力に於いて「弱い」と言えてはしまう。自分と一緒に「吉川英治記念館」に入ってきた、「観光(それは「鑑賞」であり「観覧」でもある)」を目的とした年配者の誰一人として、母屋の美術家によるものを「作品」であると認める者はいなかった。彼等「観光(鑑賞、観覧)」者にとって、「これは作品ではない」ではなく、そもそも「作品は無かった」である。彼等にとっては、「日常」的なものの「ずらし」によってもたらされるものだけでは、「特別」なものである以前に、目に入らないものでしかないのだろう。「観光(鑑賞、観覧)」者にとって、彼等が「特別」であると認識出来る形をすっかり整え、ツアーガイドによって説明されない限り、それが「特別」なものとしては見えて来ないのかもしれない。「普通」の中に「特別」を見るには、それ自体「特別」な能力が必要とされるのだろうか。


話題先取になるが、この数日後に行った横浜美術館では、「日常品」で「構成」された「作品」に対して、年配の紳士が吐き捨てる様に、「こんなのは芸術とは言えない」と同行者に告げていた。恐らく「平均」的な「常識」人の善男善女の一人であろう紳士にとっては、「すっかり特別なもの」であるものが「芸術」であるという、或る意味で「普通(デフォルト)」の基準を、ここでも適用したという事だろう。しかし紳士にとって「これは作品ではない」ではあるものの、「作品は無かった」までに至らなかったのは、仮にそこが通常「通路」ではあっても、曲がりなりにも「美術館」の展示空間内であったからだと思われる。


美術家というものは、多かれ少なかれ、「特別」のイノベーターである。簡単に言えば、見た瞬間にそれが「すっかり特別なもの」であると判る様なものを作ろうとする。それがほぼ全ての美術家の仕事の前提だろう。そうした「すっかり特別なもの」を作る為に、美術家は日夜努力をし、その様な「すっかり特別なもの」を作る人材を育てる「教育プログラム」が存在する訳である。そして「すっかり特別なものを作る人」は、しばしば「今迄に見た事の無いものを作る人」、即ち「異形のものを作る人」と解釈されたりもする。「異形のものを作る」というのは、美術家としての極めて「普通」の生き方である。そうした「普通」を、「凡庸」であるとは言わないが、「初期設定」であるとは言えるだろう。「吉川英治記念館母屋」の美術家が、そうした「すっかり特別なもの」を作ろうとする態度と一線を画している事は明白だ。但し、相当広大なカテゴライズからすれば、それもまた「すっかり特別なもの」の内側に入ると言えるのかもしれない。しかしそれは「不必要」な「メタ視点」でもあるだろう。


翻って、「吉川英治記念館記念館母屋」以外の「青梅」の作家達は、程度の差はあれ「すっかり特別なもの」を作る側に属している。同じ「吉川英治記念館」のもう一人の作家も、「すっかり」度はミニマムではあるものの、それでも「こちら側(そちら側)」にいる。樹齢500〜600年の椎の巨樹の作品も、資料展示室の作品も、多目的室の作品も、それらは作品の為に作られた「世界に一つ」という意味での「オリジナル」なものであり、美術的に「節度」あるものである。それを良いとも悪いとも言えないが、それによって「作品(他に使い道の無い)」であるという説明を、幾分かは省ける事ではあるだろう。但し「観光(鑑賞、観覧)」を目的とした年配者の誰一人として、やはりその美術家によるものもまた「作品」であると認める者はいなかった。彼等の「作品」カテゴリーの中にそれはなく、その「異形」は、却って彼等の多くにとっては、「何だろうね、これは」「さあね」を加速させるものであった。彼等は「吉川英治」の「証拠品」を見に来たのであり、「美術」を見に来たのではない。この人達に「世界」は「開示」しなかったのだ。


吉川英治記念館」を出て、「青梅市立美術館」へ。館内の総観客数3名。そこでホワイトキューブに棲息する「すっかり特別なもの」の「工夫」の数々を見る。ホワイトキューブという「家庭内」の問題として、ホワイトキューブに於ける視線の限界を問うものも中にはあったが、しかしそれは「家庭内暴力」に留まるものにも見えた。これも作品です in 美術館。そうした「斜めから見る」構えもまた、美術ではすっかりデフォルトだ。


そこから都道5号線、都道29号線で街の中心部に向かうと、青梅駅前の白木屋を過ぎた頃から「レトロ」度が増してくる。「望郷」「俺たちに明日はない」「戦場にかける橋」「大菩薩峠 完結編」「チザム」「お熱いのがお好き」「男はつらいよ フーテンの寅」「カーテンコール」「モダンタイムス」「男度胸のあやめ笠」「アラビアのロレンス」「ある愛の詩」「少年探偵団」「黄金仮面 妖精の美女」「雨月物語」「丹下左膳」…。1937年の「望郷」から、1970年の「ある愛の詩」まで横一線。唯一のキュレーション基準は「懐かしさ」のみ。「映画看板」風であるが、「映画看板」全盛期とは違い、最も重要な上映館の情報は省かれている。これらの映画をリアルタイムにどこかで上映している訳ではないし、そもそも現在青梅には映画館は一軒も無い。青梅市民が、手っ取り早くこれらの映画を見るには、隣町の羽村市まで行き TSUTAYA 羽村店で借りる事になる(品揃えにあれば)だろう。


移動の途中に「異形」の電話ボックスがあった。その「異形」故に、それを「アート」とする向きもあるだろう。「異形」は「アート」の条件であり、「アート」の呼称は受け入れ可能な「異形」の条件である。


「映画看板」が一段落すると、そこに今回の「青梅」の作品の一つが、私有地の中にある。作品は「結界」を作るが、私有地はより「結界」を作る。私有地に無断で入れば「違法行為」になるからだ。しかも訪れた時には、作品の全体像を見られる敷地の開口部には、業者名がドアに書かれたワンボックス車が2台みっしりと止まっていて、現実的に敷地内に入る事を拒んでいる。



ここで「作品が見えないじゃないか」と怒り出すのは、お門違いというものである。ここでの美術は、それぞれの生活を営む「他人の家」に「間借り」しているのだ。本来なら、彫刻がオキュパイしているその場所に、これらのワンボックス車は収まっているのかもしれない。青いワンボックス車とブロック塀の間の僅かな隙間から覗くと、大理石彫刻作品の前では、敷地の持ち主の木工仕事が展開されていて、彫刻はその作業に埋もれていた。しかし幸い、道路と私有地を分かつブロック塀には穴が開いている。そこから覗けば良いという事だし、作品の高さからして、作家はそれを意図していただろう。



しかしこれもまた「ここに美術作品があります」という情報の存在が前提となる。そうでなければ、その覗き行為自体が「職務質問」に問われそうだからだ。ここでは作品の内容がどうのこうのよりも、場所とその所有の問題、そして作品を成立させる条件としての情報の問題を考える切っ掛けになった。


青梅「最後」の会場は、「青梅織物工業協同組合」の付帯施設である「BOX KI-O-KU」と「SAKURA FACTORY」になる。「美術館」程にはホワイトキューブではなく、「記念館」程には「見られる」施設として稼動していない。それでも「BOX KI-O-KU」の方は、幾らか展示スペースの趣があるが、「SAKURA FACTORY」は「展示」の為に設えられた建物ではない。ここもまた「間借り」感がある所だ。



「BOX KI-O-KU」に戻る。



愛知県犬山市の「明治村」にあっても違和感の無い建物。そこに数人の作家が、それぞれ一部屋を与えられ、「個展」形式の展示になっている。それぞれが、そのままホワイトキューブ青梅市立美術館にコンバートしても、十分に成立する作品の様に思えた。


恐らく耐震強度を増す為なのだろう。建物の鉄骨が、窓に掛かるという不穏な位置にあり、それが「後付」である事を示している。従って建物の床はオリジナルではないだろう。南洋材の合板が貼られていて、鉄骨周りはそれを通す為の細工がされている。



ふとその鉄骨の足元を見ると、魅力的なものが存在していた。近付いてみる。



一瞬「須田悦弘は出ていなかった筈だが」と思ったものの、果たしてそれは鉄骨と床の間に僅かに開いた隙間から「伸びてきた」ものであった。




青梅の「芸術祭」の最後の最後に、「世界」は見事に「開示」した。


と、そこで綺麗にオチる筈だったのだが、どんでん返しというものは往々にしてある。来た時には気付かなかったそれが、「青梅織物工業協同組合」の外壁にあるのを見て、そこで始めて「青梅」が完結したのだった。



【「青梅」の項了。「横浜」に続く】