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夏羽織

承前


「僕の事判る?」


そう言って、首都圏郊外のアートイベントで声を掛けてきた写真家。


「随分と痩せちゃったでしょ」


写真家は、現代美術の展覧会を、フィールドワークの様に撮影してきた何人かの一人だ。作家や美術館から求められて撮影する事もあった。Google 検索すれば、美術カタログや美術手帖等の「古書」の中に、撮影者や記事執筆者として、その写真家の名前が、決して多いとは言えないもののヒットする。数年前に東京・駒沢大学のギャラリーで会った時、彼は「『撮影』を止めた」と言っていた。そして首から下げていた、ニコンの最高機種 D3 系ではない、プロのサブ機、或いはハイアマチュア用の、味も素っ気も無いデジイチで、極めてカジュアルに会場や作品を撮影していた。ライカでもなければ、ハッセルでも、ジナーでも、はたまたフェーズワンでもない。ライティングもしない。三脚も使わない。全てズームレンズによる、アベイラブル光の下での手持ち撮影。明るいとは言えない展示室だったが、ズームニッコールに埋め込まれた VR が、その補正性能を遺憾無く発揮していた。D3 系にしなかったのは「軽いから」という理由。「もう重いカメラは持たないの」。あれから数年後、即ち数年分互いに齢を重ね、互いに老いが進行したこの日も、写真家はそのデジイチでカジュアルな撮影をしていた。そのアートイベントの作品は、仮設的なものが多かったが、そんな仮設的な作品にフィットする仮設的な写真を、写真家はFXフォーマットの機械で撮影していた。写真家が「止めた」と言ったのは、「正式な資料」の用に足る、取り澄ました撮影という事だ。そして言う。


「デジタルはね。何も残らないから良いの」


話が急に変わる。


「僕幾つに見える?」


当てずっぽうに、いや大体知ってはいるが、年齢を言ってみる。返ってきたのは、宮仕えの人なら退職してから四半世紀程度経っている数字だった。聞けば大病をしたらしい。痩せたのはそれが原因だと言う。そしてまだ生きていると言って屈託なく笑う。ここでは写真家だが、別の場所では彼は「一人暮らしの老人」と認識されてもいるかもしれない。


写真家は人生の退場の日を見据えている。


「後、長くて5年かな」


この人は「その日」に持ち物が限りなくゼロになる状態を目指している。言わば、有馬稲子氏の「夏羽織一枚を残して死ぬ」生活である。


「夏羽織一枚を残してしぬ」。つまり人の一生はほぼプラスマイナスゼロ、わずかに夏の羽織一枚を残す程度に終えるのが理想だという意味なのだ。
もちろん、いま私はこれを大切な指針としている。


日本経済新聞2010年4月29日朝刊「私の履歴書有馬稲子)。


撮った写真も例外ではない。だからこそ、今は大袈裟な撮影をしている場合ではない。誰もが持てるカメラで、誰もが撮れるポジションから、全く特別な仕掛けをするでもなく撮影する。即ち誰もが撮れる写真を撮る。もしかしたら誰かが既に撮っているだろう写真を撮る。「そんな」写真だから、心置きなく「捨てられる」。それが余り期待出来ない、或いは余り期待するべきではない「他人」の手による「整理」になるのであれば尚更。


アートイベント会場での立ち話は、出品作家に関してのものに移る。出品作家の多くは美術大学で教鞭を執り、大学から個人研究費なども出たりする、そうした「社会的地位」を得ていたりする。そしてまた、それぞれに退官の時期もそれ程遠くはない。畢竟世間的には皆「老人」であると言える。こうした「老人」達の展覧会が、それでも「現代アート」の注目展覧会の一つとなるのは、「現代アート」がまだ幾らかなりともそれなりに「健全」である事の証左ではあるだろう。20代から30代のピチピチボーイにピチピチガール、或いは40代や50代の有名どころによるものだけが「現代アート」ではない。恐らく人口構成的にはこちら(「老人」)の方が「ロングテール」だろう。「現代」は「老人」も含めての「現代」ではあるのだ。但し市場的な将来の値上がり等を期待する向きには、今後大化けをしそうにもないこれらの作家は、視界の外にあるかもしれない。


出品作家の一人である「老人」は、写真家に「昔撮影した自作の写真の色が失われた」と言ったそうだが、それは仕方がない。外式のコダクロームの、例えば第二次世界大戦の米軍記録フィルムの「色」はまだ比較的「残って」はいるが、内式のエクタクロームや、それを真似た国産のフジや旧小西六等のカラーフィルムでは、色もまた確実に「老いる」宿命にある。プロラボと呼ばれる堀内やクリエイトや阪田等による「厳密」な現像処理であっても、遅かれ早かれ写真から「色」情報は無くなるし、「色」が無くなれば、カラーフィルムの場合は同時に「コントラスト」の情報も失われる。結局後に残るのは「グレー」の世界だ。失われた「色」や「コントラスト」を復活するなどというのは、少なくとも「ヒストグラム」の意味するところが判る人間であれば、その可能性がほぼゼロである事を知っているだろう。撮り直せるものはその都度撮り直せば良い。そして撮り直せないものは失われたものと割り切る。


「デジタルだってね。フォーマットの問題があるし、大体年月の経ったデジタルなんて見ないよ」


確かにデジタルの「データ」は不滅かもしれないが、例えば今、カシオ QV-10 の画像を見直す事はしない。それは、一旦高精細に慣れた目が、それまで受け入れていた走査線数525本の映像を、見られたものではないと思ってしまう様なものだ。


別の出品作家の話になる。この「老人」の出品作家は「妻子持ち」だ。幸い「定収入」はある。最近その「妻」から「死後」の事を言われた。「少しは死んだ後の事も考えて欲しい」。大意はこういう事だ。「売れない様なものを、これ以上作るのは止めてくれ。後に残された者が本当に困る」。ここで問題とされているのは、作家不在に至った時に不可避となる、その作品の「処理」である。「老人」の作るものは大抵大きい。その多くは注目され、評論の対象にもなる。但しジャーナリズムや評論は、作品の身元引受まではしない。そこまでの「責任」は、それらには無い。


その材料は、物質的にそれ程安定している訳ではない。物が物だけに、右から左へと売れる訳でもない。結果、それらは恐らく現段階ですら「ごっそり」と未来の「遺族」の元に残る。そう正に「ごっそり」といった感じで。「老人」の、1970年代からの全ての仕事の「総量」を頭の中で計算してみれば、それはチャールズ・フォスター・ケーン氏の残したものと体積比にして遜色ないだろう。とは言え、その「老人」が得ている「定収入」は、注目される作品を作り続ける美術家という前提あってのものであるとも言えるからこそ、家族にもディレンマがあるだろうと想像される。


以前記事に書いたこれを思い出していた。建畠哲氏による「社団法人 日本美術家連盟」の会報誌「連盟ニュース」2009年4月号(通巻430号)のエッセイ「作品を壊す・・・」だ。



数多くの作品がアトリエや倉庫にあふれ返っており、残された家族の方は、あちこちの美術館に寄贈するなど、後始末に悩まされてきた。


(略)


日本の美術館の多くは作品購入予算はゼロにまで削減され、収蔵庫にもあまり余裕はない。アーティスト本人や遺族からの寄贈の申し入れにも十分には応えられないのだ。(略)それに、もしすべてのアーティストのすべての作品を残さなければならないとなると、早晩、美術館ばかりではなく、巷の建物や広場は絵画や彫刻で埋め尽くされてしまうことになるだろう。スクラップ・アンド・ビルドのシビアーさは、美術においても不可避的なのだ。(略)当事者の一人としては極力良心的に対応しているつもりだが、それにも限界があるということは、美術家連盟の諸氏にもご理解いただくしかない。


建畠氏をして「『後始末』に『悩まされてきた』」という言葉が出て来る現実がある。作者の死後、「作品」はいきなり「ごっそり」とした「体積」になる。「作品」に「値段」が付いていれば、それは「税金」の対象ともなる。それが「いい値段」であれば、「いい税金」になる。これが美術で「禄」を食んだり、美術に「理解」があったりする訳ではない者が向きあう事にもなれば、それらは一体どうなるだろうか。

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先月末、叔母が亡くなっていた。知らされたのは家族葬が終わり、納骨が済んでからだった。まだ叔母が存命中だった昨年、隣町の叔母の家に行くと、随分と家の中が片付き、リフォームされていた。方丈と言うのは些か大袈裟だが、それ程に家には物が無かった。そして庭にあった自分の作品も「処理」されていた。


叔母に求められての作品設置だったが、その「処理」は「織り込み済み」だった。「この作品をいらないと思ったら、その時には捨てて貰って結構」。叔母夫婦は、それをそのまま実行しただけだ。多くの家具類やリフォームで出た廃棄物と同時に、それもまた「処理」されたのだろう。ならばこちらの気も楽というものだ。そしてすっきりとしたその家で、叔母は療養生活を送った。


一方自分の方はと言えば、まだ両親の「遺品整理」が終わっていない。既に千時間以上の時間と、ミリオン桁の処理代を注ぎ込んではいるが、まだまだ終わる気配は無い。ダンプ何台分もの「コレクション」を廃棄したが、それでようやく全体の1/3から半分といったところだろうが、前述美術家の「遺族」や、建畠氏のそれに比べれば、それでも少ない方ではあるだろう。

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いずれ自分の持っているもの、作ったは良いが自分の手元に残っているもの、そしてそれなりの「コレクション」。これらの「それ」以降に結論を下さなければならない日は必ず来る。それは明日かもしれない。


アーティストは、多かれ少なかれ、そうしたものをどこかで「他人」に委ねようとしているところがある。「他人」を当てにしているところがある。自分が死んだら「誰か」がやってくれる。やってくれる「筈」だ。だからこその制作ペースであるとも言えるだろう。その「誰か」は誰だろうか。


夏羽織。一枚の夏羽織の様な作品。


【了】