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所沢

関東には軍事遺跡という地が多く、現軍事施設もまた多い。ダグラス・マッカーサーが降り立った厚木もそうした地の一つであるし、同じ神奈川県では横須賀、横浜、藤沢、相模原、座間等も何がしかの軍施設が存在する(した)。東京都では立川や福生が、所謂「基地の町」として代表的であり、いずれも戦後はアメリカ軍基地という治外法権地区(事実上「アメリカ」)となった為に、「アメリカ」に接した周囲の「日本」は、一種独特な文化を持つに至る。


近代日本に於いて、見晴らしが良く、平坦で広大な土地の多くは軍施設となるケースが多く、その多くは飛行場や演習場等として使用されてきた。埼玉県の所沢市もまた、日本初の飛行場である「陸軍所沢飛行場」を有する「基地の町」としての過去を持ち、戦後アメリカ軍に周辺施設を含めて接収された後、1978年までに日本に返還されたものの、現在もその跡地の一部に、アメリカ第5空軍374空輸航空団所属の「所沢通信基地」が稼動している。

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飛行場跡地に作られた、贅沢に幅広い並木道を東進した場所に、その展覧会場はある。「日本の航空発祥の地」。今から100年前の1911年4月5日に、徳川好敏大尉(当時)が操縦し、高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒の飛行(≠日本国内初の飛行)を行なったフランス製複葉機アンリ・ファルマン機を模したとされる、地方の三セク鉄道のそれにも似たプロペラ時計の駅舎を出ると、特徴的に甲高い、ロールスロイスターボプロップエンジンの音が思い出される「YS-11」の静態保存機(二度と飛ばない機体)が、駅前モニュメントとして設置されている。彼岸も近く、駅前から出る「所沢聖地霊園」行きのバス停には、線香と花を駅前で買ったご老人の姿が見えた。


30年程の歴史の、独立行政法人都市再生機構が管理する「所沢パークタウン」と、そこに貼り付いた「商店街」を抜け、右手に市役所、警察署、所沢市民文化センター・ミューズを見つつ、さいたま地方法務局所沢支局隣の遊休地フェンスに括り付けられた展覧会の幟を確認し、市立並木小学校、市立中央中学校を通り過ぎたその先、嘗ての陸軍飛行場の東端に、市立中新井小学校と統合する形で、1984年の開校から僅か22年で閉校した市立並木東小学校の跡地を利用した「所沢市生涯学習推進センター」がある。




その「生涯学習センター」の体育館と、その裏手にあるプール及びその更衣室が、展覧会「所沢ビエンナーレ引込線」の第一会場となっている。



プールのすぐ隣には「所沢通信基地」と「中国帰国者定着促進センター」。そして展覧会の第二会場は、そこからユニクロマクドナルド、ガスト、トイザらス、そして雑木林、畑、軍事アンテナ等を抜けて徒歩15分の、「所沢市立第3学校給食センター」と統合する形で閉場され、欠番となった旧「所沢市立第2学校給食センター」だ。




小学校や学校給食センターの統廃合は、当然の事ながら「少子化」が影響している。1980年代の小学校から、2000年代の生涯学習センター(二度と小学校にはならない場所)へ。1970年代の学校給食センターから遺構(二度と学校給食を作らない場所)へ。僅か30〜40年前に再開発した時に見えていた「未来」とは違う「現在」。それもまた「時代」という事だろうし、これはそうした「時代」の展覧会でもあるのかもしれない。それらがバリバリの現役施設であったなら、こうした三週間にも渉る展覧会が入り込める隙も無かっただろう。多かれ少なかれ、それが有休活用の側面を持つ事は確かだ。


給食センター」の入り口の幟を立てた鉄塔が、何やら三里塚な感じに見えたりもするが、そうした記憶は当然若い人には無いだろう。


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「所沢ビエンナーレ『引込線』2011」のどの作品が良かったのか、どの作品が悪かったのかと書く事も悪くはない。しかし展覧会は、最終的にそれがどう自らに帰趣してくるのかという事が重要ではあるだろう。一体、展覧会が「良かった」「悪かった」の「良かった」とは何なのだろうか。「悪かった」とは何なのだろうか。


「展示」の為の専用施設である、美術館やギャラリーとは性格の異なる空間に作品が「展示」されている場合、そこに常に「困難」さを見出してしまうのは「職業病」故なのだろう。正直なところを言えば、第一回、第二回の「西武鉄道旧所沢車両工場」の時もそうだったし、今回の「所沢市生涯学習推進センター」の「体育館」にしても、「所沢市立第2学校給食センター」の「作業棟」にしても、何故にここまで「展示」に「困難」であろう場所を、敢えて選択したのだろうという思いを直ちに払拭出来ない。「オフ・ギャラリー」であっても、そして「所沢市内」に限ってみても、恐らくもっと「容易」な場所はある筈なのだ。ひょっとしたらそれは、殊更な「受難」を自らに課しているのであろうかとすら思ってしまったりもする。時に「受難」は「聖譚」へと接続可能ではあるのだ。


仮に他ならぬこの「困難」な場所で、仮に自分が展示するという事になってしまった場合(当然展示しないという選択もある訳だが)自分は何をしたくなるだろう。何が出来ると思うだろう。誰に何をどう伝えようとするだろう。そしてこの「困難」と対決の形で対峙するのか、それともそこに隠れたり依存しようとするのか、「困難」さに全面降伏するのか、或いは端から「困難」など存在しないとするのか、その「困難」さをこそ見せようとするのか。更にはまた、この「困難」ではありながら、そこにも存在する「困難」さのグラデーションの中で、より「容易」そうな場所を選ぶだろうか、それともより「困難」な場所を選ぶだろうか、或いは「困難」な場所を「容易」そうに改造するだろうか。そんな事を考えてしまうのもまた「職業病」故である。すると、それぞれの作家が、それぞれの場所を選んだ理由が朧気ながら想像出来、またそこに至るまでの駆け引きすらも見えたりもするのは、恐らく見る者の勝手なファンタズムであろう。しかし勝手なファンタズム程、楽しいものも無いとも言えるのは業である。


魅力的な、魅力的過ぎる空間。それはまた魅力の魔力でもあり、そうした魅力もまた「困難」である。そこで短時間での「現状復帰」が要請されるならば、出来得る事はそれ程には無い。「備品」や「構造」を、「作品」の「展示」に邪魔だと思い、それらを全て片付けて「ホワイトキューブ」を作るという選択は当然あり得る訳だが、しかしそれは、この「作品論」と「展示論」と「制度論」が組み合わさった展覧会に於いては、どこかで「倫理」的に禁じられ、批判もされ、また現実的でも無いだろう。果たして自分はここでどういう展示が出来るだろう。近いアプローチをするかもしれないと思った作品はあった。この「困難」な場所に於いての、それに「適した」場所も無いでは無かった。そしてそこでシミュレートしてみる。脳内で「作品」は出来た。しかしそれでも違和感は残る。


正直に言えば、ここはボルト一本持ってきて、それを設備や備品のどこかの穴に差し込んで、「ここに作品はある」と明示さえすれば、それでも「作品」が成立してしまう「困難/容易」な場所なのである。実際その様な作品も幾つか見られる訳で、それはボルト一本でも良いのだとも言える。仮にそれが余りに普通過ぎるボルトであるが故に難詰されるのであれば、純金やダイヤモンド削り出しのM6ボルトか何かを特注すれば済む話なのかもしれない。即ち、金無垢ダイヤモンドボルト一本の「作品」の「効果」と、それなりに巨大な「作品」の「効果」を計る天秤は、どこかで釣り合ってしまうどころか、ボルト一本の方が重くなってしまったりもするかもしれないという逆転も、ここではあり得てしまう訳だ。いや、ホワイトキューブでもそれはあるのだが。


「展覧会」にこそ用事のある者は、そこまでのアクセスは「道程」でしかない。認知地図的に言えば、駅前からいきなり展覧会場がある様なものだ。駅〜(略:含「ランドマーク」)〜第一会場〜(略:含「ランドマーク」)〜第二会場といった様に。



しかし実際に歩いてみれば、或いは Googleストリートビューで、西武鉄道航空公園駅からシミュレートして「歩いて」みれば直ちに判るが、それは様々に輻輳した社会的空間、即ち「美術」的にこれっぽっちも保証されている訳ではない、それ自体が「『困難』な空間」の中に、それぞれの「展覧会場」があるという実際がある。そして「展覧会」での認知地図は、その「場所」の持つ「困難」を排除した形で「作品」が認知的に相対的に大きく、恰もそこには「作品」しか無いかの様に描かれる。



しかし実際の「見え方」は、こういう状態なのであり、観客はそこで「作品」をまずクエストしなければならない。正確には「作品」の「外縁」と、その「及ぶところ」をクエストし、確定しなければならないのだ。



それを踏まえた上で、尚「作品とは何か」という問いが可能であるとするならば、それはこうした何重もの「認知地図」的な「図(意識)」と「地(無意識)」の上に築かれている問いであるという「限界」を、それぞれの頭の隅に置くべきではあるだろうと思われてならない。


「展覧会」や「作品」は、「見えていなかったもの」を「見せる」ようにはする。しかしその一方で、「見えているもの」を「見えないようにする」事もあれば、「見えていなかったもの」をより「見えないようにする」事もあるのだ。


「所沢ビエンナーレ『引込線』2011」という、恰も「パレルゴン」が無いかの如き相貌を持つ、しかし実際には「パレルゴン」でガチガチに守られたもので見たもの。それは意外な事に「美術」の「敷居の低さ」である。「『美術』プロパー」でない、幟やポスターによって引き寄せられてしまった「一般人」が、そこで見たものは一体何だったのだろうか。その方が余程興味がある。並木東小学校の卒業生かもしれないその人達にとって、「美術」の「認知地図」チップを脳内に埋め込まれ、どの作品が「良かった」「悪かった」等の、所謂「『美術』プロパー」の感想、批評には、全く興味が無いと言えば言えなくも無い。少なくともその人達は、「自分にとって、これはどういう意味があるのだろう」という視点から、これらを見ていたと思われてならない。


で、改めて、展覧会の「良かった」とは何なのだろうか、「悪かった」とは何なのだろうか。その何が「良い」であり、何が「悪い」であるのか。そして、その自らが持つ「何」自体に対する考察の視座はあるのだろうか。