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聖骸

或る日の八王子の美大のゼミ室。その時に東野芳明氏から見せられたのは「瓶乾燥器」だった。これがあの「瓶乾燥器」。しかし同時に決してあれではない「瓶乾燥器」。学生だった自分は、それに対してどう反応すれば良いのかを決め倦ねていた。


一人の友人はとても感心した風を見せていた。「それ本物ですか」。しかし幾ら何でも、この東野ゼミにいて、その質問は無いだろう。また別の友人は、まるで「名画」を鑑賞するが如くに、しげしげとそれを眺めていた。打たれたリベットの一つ一つ、溶接された鉄筋の曲げ具合を見ては、うんうんと頷いていた。「これがファロスを象徴しているんですね」とか何とか言いながら。しかしその熱心な鑑賞の行動も、良く良く考えてみれば、馬鹿馬鹿しい事この上無い。それは作品という「物神」を保証する「芸術家」が作ったものではない。レディ・メイド「瓶乾燥器」は、美術に於けるそうした「物神」的なものの批判として、取るに足らぬ、些かも特別なものではない事こそが、唯一の取り柄のものではないのか。"visual indifference(Cabanne, Pierre (1987). Dialogues with Marcel Duchamp. New York, N.Y.: Da Capo Press. pp. 47–48)"。「視覚的無関心」の対象であるもの。反物神性。勿論、全てのものは「しげしげ」と見る価値のある物神性を有するという価値転倒のアナキズムは、デュシャンのコンセプトとは全く別のところで有り得る話ではあるし、デュシャンがそうした観客の、芸術の「敵」である「良い趣味」に基づく珍妙な反応を引き出す為にこそ、レディ・メイドという方法論を「発明」したとすら考えられなくもない。


結局自分は、それを一瞥だけした。それで十分だと思われた。八王子の美大の地階にある、暗くうらぶれた教室で見せられる「瓶乾燥器」。説明されて初めて、それが見える者には、その有り難き「アウラ」がじわじわと染み出してくる物体。説話性こそが「アウラ」を唯一保証する。或る意味で、芸術の機能に対して素朴だった「ベンヤミン」への反証。当然、何の意外性もそこには感じられなかった。そしてぼんやりと考えた。これ幾らだろう。ハウマッチ。東野氏は「未亡人から貰った」と、バリトンの声で言った。成程それは「特別」だ。金には替えられない。いや実際には替えられるのだが。


「瓶乾燥器」は、半ばアクシデンタルに作られ、作家によって芸術作品として見出された1913年の「自転車の車輪」や「薬局」の様に、作家の「改造」の手が一切加わっていない、何も足さない、何も引かない「完全」なレディ・メイドの第1作目だとされている。1914年に、それはパリ市庁舎のバザーで「作られた」とも、リヴォリ通りを挟んで、その向かいのBHV(Bazar de l'Hôtel de Ville べーアッシュべー)で「作られた」ともされている。「作られた」。要するにそれはレディ・メイド作品に於いては「購入された」を意味する。


この時期のデュシャンの多くのレディ・メイド作品同様、この「瓶乾燥器」の「オリジナル」もまた、その行方は不明となっている。当然100年前の、どこにでもある工業製品なのであるから、ロストしていると考えるのが現実的であろうし、或る意味で、そのコンセプト上、必ずそれはロストしていなければならないだろう。作品から発する「アウラ」など、こればかりもあってはならないのだ。


この「瓶乾燥器」は、デュシャンがニューヨークに活動拠点を移した後、妹のシュザンヌと義姉が、パリのアパートに残されたそれを、その余りのありふれた外観からゴミであると認識し、「自転車の車輪」等と共に、彼女達に処分されてしまったという事にされている。仮にそれらが、その時点でパリ中を震撼とさせる様な、美術的に至極「有名」な存在であり、20世紀後半に至って、日本の美術大学でそれに似たものを勿体ぶって見せられる程に、その「物神」としての存在が重要視されていたならば、或いはそれらは、大切に「保存」されていたかもしれない。しかしそれらのレディ・メイド作品は、後世それが重要視されている程には、幸運にも不運にも、同時代的にはそれ程「有名」でも「事件」でも無かったのだろう。アメリカに渡ったデュシャンは、その後幾つかのレディ・メイド作品を作るものの、しかしレディ・メイドが「美術史」の最前面に躍り出るトピックとなったのは、やはりあの1917年の「泉(噴水 Foutain)」を待たねばならない。


「泉(噴水)」への「反発」は、決して「偶然」の産物ではない。デュシャンとその周囲の人間による、かなり周到な計画によって、それは「事件」化されている。もう少し踏み込んで言えば、それは約100年前の1910年代の「炎上マーケティング」であるとすら言えるかもしれない。デュシャンは、それまでの4年間のレディ・メイド作品に不足していた「事件」を欲していたのだろう。「瓶乾燥器」でも「絵葉書」でも「帽子掛け」でも「雪掻きスコップ」でも駄目なのだ。もっとスキャンダラスな何か。もっとスキャンダラスに何か。


1917年、ニューヨークのデュシャンは、「ニューヨーク・ダダ」のアーティスト、ジョセフ・ステラと、デュシャンのコレクターでもあった評論家で詩人のウォルター・アレンズバーグを伴って、マンハッタン・チェルシー、5番街118番地の J. L. Mott Iron Works に行き、そこで、スタンダード・ベッドフォードシャー・モデルの男子用小便器を購入した。そして、33 西67ストリートの自らのスタジオにそれを持ち帰り、そこで "R. Mutt 1917"の署名を入れ、90度倒立させて作品の完成とした。


アメリカ独立芸術家協会(Society of Independent Artists)の役員でもあったデュシャンは、その問題の、問題となるべき「泉(噴水)」を、無審査のアメリカ独立芸術家協会展(通称「ニューヨーク・アンデパンダン展(日本語)」)に、デュシャンとは縁も縁も無い匿名作家 "Richard Mutt" 名で出品する。果たして幸運にも彼等の計画通り、それが芸術であるか否かが、役員間で「問題」となる。加えてその計画自体が、デュシャン本人と、限られた仲間で秘密裏に行われたものであり、従ってそれを議論した協会の主要メンバーの中に、 "Richard Mutt" 氏がデュシャンと同一人物である事を知る者は少なかった。結局、展覧会期中にそれが展示される事は無く、仕切り壁の後ろに留め置かれた状態でそれは放置され、観客の目からはそれを見る事は出来なかった。観客は誰もそれを見ていないのだ。この20世紀最大の美術に於けるスキャンダルとされる「事件」は、後世の余りの過大な評価に比べて、それ自体は「関係者」の中だけでの慎ましい「コップの中の嵐」であった。


当然それが広汎な意味での「事件」となるには、そのスキャンダルが広く公開されねばならない。協会役員であったデュシャンは、稀代の傑作である "Richard Mutt" 氏の作品(「泉(噴水)」)の展示拒否を批判する評論文を新聞に発表し、併せてデュシャンとアレンズバーグは、「抗議」の意味を込めてアメリカ独立芸術家協会の委員を辞任する。同時に「泉(噴水)」は、5番街291番地にあったアルフレッド・スティーグリッツの291ギャラリーに運ばれ、マースデン・ハートレーの「戦士」というタブローをバックに作品写真が撮られる。やがてそのスティーグリッツの写真は、デュシャンが編集に関わり、その編集局が自身のスタジオ(33 西67ストリート)内にある雑誌、「THE BLIND MAN」の第2号誌上に於いて掲載され、併せて、"The Richad Mutt Case(リチャード・マット氏の事例)"として、無署名の社説が掲載される。それを書いたのは、デュシャンであるとも、ベアトリス・ウッドであるとも言われている。


The Richard Mutt Case


They say any artist paying six dollars may exhibit.
Mr. Richard Mutt sent in a fountain. Without discussion this article disappeared and
never was exhibited.
What were the grounds for refusing Mr. Mutt's fountain:-
1. Some contended it was immoral, vulgar.
2. Others, it was plagiarism, a plain piece of plumbing.
Now Mr. Mutt's fountain is not immoral, that is absurd, no more than a bathtub is
immoral. It is a fixture that you see every day in plumbers' show windows. Whether Mr. Mutt
with his own hands made the fountain or not has no importance. He CHOSE it. He took an
ordinary article of life, placed it so that its useful significance disappeared under the new title
and point of view—created a new thought for that object.
As for plumbing, that is absurd. The only works of art America has given are her
plumbing and her bridges.


六弗を支払えば作家は誰れでも出品することができることになっている。リチャード・マット氏は泉という作品を搬入した。 ところがなんら討議されることもなく、作品は姿を消し、ついに展示されなかったのである。
マット氏の泉が拒絶された根拠は
1それが非道徳で俗悪なものだと一部の委員が主張したこと。
2またそれは剽窃であり、ただの鉛管工事の部品にすぎないという他の主張。
ところでマット氏の泉が非道徳だというのは、浴槽が非道徳的であるというのと 同じくばかげている。それは諸君が鉛管屋のショーウィンドーで毎日見かける部品である。マット氏が自分の手でこの泉を作ったかどうかということは重要なことではない。彼はそれを選んだのである。彼はありふれた生活用品をとりあげ、新しい標題と観点のもとに、その実用の意味が消えてしまうようにそれを置いたのだ。つまり、その物質のために新しい思想を創り出したのだ。
鉛管工事云々についてもばかげている。アメリカの生んだ唯一の芸術作品はその鉛管工事と橋なのである。


瀧口修造


こうして「事件」の引き金となる「役目」を終えた "Richard Mutt" 氏の「作品」は、再び "J. L. Mott Iron Works" の「製品」に戻り、何時の間にか何処かに消えてしまう事で、「視覚的無関心」であるレディ・メイドとして完璧なものとなる。因みに、評論家カルヴァントムキンスは、スティーグリッツによって、デュシャンの初期レディ・メイドの「伝統」に則って、それはゴミの様に捨てられたのではないかと推測している。斯くして「物神」に陥る事を回避出来たそれは、しかしそれと引き換えに、「失われたもの」が醸成する「神話」性を否応無く帯びてしまう。換言すれば、「便器」とその「事件」に「神話」を見る事を欲望する人間を、次から次へと産み出してしまう。その「神話」が「現代美術史」のゼロキロポストとなる。「現代美術史」とは、デュシャンによる「創世記」以降の、数々の「神話」を消費する事を愉悦とする一連の言説群だ。何よりもデュシャンその人こそが、そうした「神話」創出に腐心していたと言えるだろう。「デュシャン」の「歴史」とは、「神話」創出に明け暮れた「歴史」だ。


「神話」は繰り返されてはならない。「反復」的でないものこそが「神話」だ。「反復」を前提とした「覚悟(仏語)」や「観想(仏語)」といった様なものでないものが「神話」だ。「天地創造」という対象性は、最初の一回、「始源」だけに限定されなければならない。工業製品を購入して、そのまま美術品として展示する。それはデュシャン以降、見事に「封じ手」となった。現代美術は、それ自体そうした「始源」たる「偶像」の存在と、それへの「崇拝」を前提とした宗教の形であり、そうした宗教の形を持つ文化のものなのだ。場合によっては、それを「聖」なるものであると認識する為に、或る種の「改宗」を迫られる事もある。


そして「神話」は、やはり礼拝対象としての「物神」を必要とする。数々の「泉(噴水)」のレプリカ(「物神」)が作られ、或いはデュシャンによって「ライセンス認証」される。その最初は、1950年のニューヨークでの展示の為にリプロダクトされたものに「デュシャン」の「お墨付き」が与えられ、1953年と1963年にも同様にリプロダクトされた後、1964年にはデュシャン自身によって、「泉(噴水)」のマルチプルがエディション8で作られる(その年のレプリカは、他にデュシャン自身、アーテューロ・シュヴァルツのコレクションと、博物館展示の為の2個を加えて、計12個)。勿論それらの「物神」は、美術の宗教施設である世界各地の美術館へ「重要なパブリックコレクション」として収まる。インディアナ大学美術館、サンフランシスコ近代美術館、フィラデルフィア美術館、カナダ国立美術館、ポンピドゥー・センター、テート・モダン。残りの3個は、ディナ・ヴィエルニ財団、後にサザビーズに出品されたもの、そして1個が行方不明となっている。その焼成は慎重の上にも慎重に、釉薬掛けも慎重の上にも慎重に、そして "R.Mutt 1917" のシグネチャも慎重の上にも慎重に。それは大量生産品ではなく「手作り」による、あのスティーグリッツの写真をベースにした、考古学的に完璧な、 ”glazed cast ceramic with black paint, 14 by 19 5/16 by 24 5/8 inches" のスペックを誇る「文化財」だ。


結局「泉(噴水)」は、ロダンの「考える人」など足元にも及ばない程に、その公式の複製が全世界に数百点あるとも言われている。その中でも「由緒正しい」1964年の8個のレプリカの内の一つ、エディション5は、1999年11月17日のニューヨーク、サザビーズで、1,762,500ドル(当時のレートで1億8千万円強)で落札されている。結局、我々が現在、デュシャンの「泉(噴水)」から学べてしまう事は、「美術」の因業過ぎる程の「不死」振り(それは「デュシャン」の完敗とも言える)と、何にでも「神話」を付帯し、それで一稼ぎするその「錬金術」なのだ。


あの「瓶乾燥器」は幾らなんだろう。


【続く】