微妙

こう言ってしまっては何なのだが、「巨匠」の作品が新たに「発見」された場合、残念な事にその多くは「巨匠」の仕事の平均値を下げる傾向にある。新たな発見が「巨匠」の、今までの評価を塗り替える程の、稀に見る「大傑作」であるケースは、それこそ限り無く稀、と言うか程ど皆無だ。


今迄の「巨匠」の高評価を護持し続けたい向きにとって、「巨匠」の仕事としてはかなり「微妙」、或いは大いに「微妙」に見える作品が新たに発見され、しかもそれが、「科学的(飽くまで「的」であるのは、その「運用」をドライブする欲望そのものは科学ではないからだ)」と称する鑑定法を駆使した専門家筋から「真作」であると認定され、その「巨匠」の全仕事に正式に加わってしまう事には、「余計な物が出てきやがって」的に、内心舌打ちしたくなってしまう気持ちもあるだろう。そしてそうした人は、これからも先、それら専門家筋の鑑定能力を密かに根底から疑いつつ、表面は飽くまでも穏やかに、「伝巨匠作品」扱いで、こうした新発見の作品のポジションを定める事になる。要するに「今後ともその作品は、私にとっては存在しないものとします」である。


レオナルド・ダ・ヴィンチは、その仕事の75%が「失われている」とも言われている。その「失われている」とされてきた中から「新発見」が間歇的に姿を表す。そして姿を表せば、或る人は極めて興奮し、また或る人は極めて失望する。最近の「新発見」はこれだ。


【7月12日 AFP】イタリア・ルネサンス期の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の作品であることが新たに特定された絵画が、ロンドン(London)で年内に公開されることが決まった。作品の価値は2億ドル(約160億円)と推計されている。ロンドンのナショナルギャラリー(National Gallery)が発表した。


 この絵画、「Salvator Mundi」(救世主)は1500年ごろの作品で、球体を手に持つキリストが描かれている。筆遣いと使用された絵の具から、ダ・ヴィンチの作品であることが特定された。11月に行われるダ・ヴィンチの展覧会の一部として公開される予定だ。


 英オックスフォード大学(University of Oxford)のマーティン・ケンプ(Martin Kemp)名誉教授(美術史)は、「このような絵を描いた弟子はいないし、ダ・ヴィンチの追随者たちの中にもいない」と語る。「レオナルドの新しい絵だ、センセーショナルだよ。初公開がロンドンで行われるのは喜ばしい」


 この絵画、かつてはイングランド王、チャールズ1世(King Charles I)が所有していたこともある。現在は、米国の美術商組合が所有しているが手放すつもりは全くないという。(c)AFP


http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2812443/7489669?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics


その御尊影はこちらである。" © 2011 Salvator Mundi LLC " 印が付いているので、今回の作品の「正式」な画像という事になる。

http://www.artinfo.com/news/enlarged_image/38084/262877/


英オックスフォード大学のマーティン・ケンプ名誉教授(美術史)は、「このような絵を描いた弟子はいないし、ダ・ヴィンチの追随者たちの中にもいない」とまで言ってしまう大興奮のコメントである。確かに随所にレオナルドらしい特徴があるにはあるだろう。「レオナルドらしい」というのが、何だか良く判らない儘に言ってはみたものの、それは例えば「ラロックの聖母」よりはまだしも「それっぽく」は見える。少なくとも「一刻も早く忘れたい作品」に至るには、微妙な位置で留まっていそうな気がしなくも無い。こちらの記事を読むと、その原状(1900〜1912年に撮影されたモノクロ写真)は相当酷いものであったという事なので、洗浄修復の結果、こうなってしまったという、そういった「事情」を勘案してこの絵を見れば、取り敢えず「保留」の対象にはなるだろう。こちらの「微妙」なレオナルドですら、" National Gallery Of Art, Washington " の、立派な「レオナルドの真作」の収蔵品なのだ。


悪い事に/良い事に、この絵は実は「有名」な絵だったりする。元々はルイ12世からの注文絵画であり、1500年に完成したとされるそれは、完成当時から有名で、多くの弟子や他の画家によって、その複製が描かれていたという事でもあり、後にジョルジョ・ヴァザーリが、あの「美術家列伝」の中で、例によって例の如く、実作を見ずに作品を熱っぽく語るという離れ業が出来たのも、それらのコピーがあったからかもしれない。1650年にはイングランド女王、アンリエッタ・マリーから命を受けたヴェンツェスラウス・ホラーによっても、エッチングでそのコピーが作られている。


しかしその後、数奇な運命を経て、1912年に英国人コレクターの手に渡った時は、その絵の存在はすっかり忘れられ、また分厚いオーバーペイントによって全く別の作品となってしまったそれは、その時には単なる「ミラノの学生作品」であった。1958年のサザビーズでは「レオナルドの優秀な弟子、ボルトラッフィオ作」であった。それからアメリカ人のコレクターに渡り、そして今回の再鑑定に至り、晴れて「レオナルド作」となった訳だ。但し「失われたレオナルド」の中では、これは比較的その来歴がはっきりしていると言える。


このニュースが世界中を駆け巡った時、こちらの図版を使用したものもあった。この作品は、パリの " Marquis de Ganay " の所有になるものだ。こちらの「救世主」は、ニューヨークのそれよりももっと「微妙」に見える。「保留」の位置から、ずり落ちそうになる印象も無いでは無い。しかしこの作品にも、ナトリウムや、赤外線や、紫外線や、X線の「科学」が当てられ、専門家筋による「レオナルドによる真作」の立派なお墨付きがあるのだ。言わば、この二つの「真作」の存在は、専門家対専門家の争いという側面も垣間見えるものの、今回ばかりは、ロンドン・ナショナル・ミュージアムを味方に付けた、ニューヨーク側の政治的勝利になっているとは言えるだろう。


しかし改めて、レオナルドの「失われた作品」が75%なのだ。仮にこうしたレベルの作品が、その75%を構成していて、次から次へと、この様な「微妙」が発見されて、彼の「真作」として次々と正式に認められたとしたら、それは今後の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の「名誉」の為にも、その平均値を落とさない為にも、永遠に発見されない方が良いかもしれないという話にもなる。歴史の中に埋もれるには、埋もれるだけの理由があると言えるのかもしれない。


追記:そう言えば前にもこんな事を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/murrari/20101122/1290444266