待望

承前


それが「善き事」であるとされているからこそ、「近代の超克」という定立はその価値を持つ。「近代の超克」が端的に「悪しき事」、或いは「近代のままで全く構わない」や、「一刻も早く近代になりたい」が支配的な場所では、「近代の超克」という定立が、必ずしもプラスの価値を持つ事は無いだろう。「近代の超克」という定立が「善き事」となるには、その前提として「近代の超克」が望まれていなくてはならない。


最早一世紀近い、「伝統」であるとすら言える「近代の超克」が、それでも一向にその「近代の超克」という定立を提示する必要性が無くなる程には、「近代の超克」にとって「近代」が「超克」されている訳ではない。それ故に原理的に「近代の超克」は、終わりの見えない「近代」に於いて反復され続ける事になる。何故ならば「近代の超克」という、「近代」という歴史性に対する原理的な批判的考察は、それ自体が歴史的考察の対象、即ち「近代」という精神の形の中に閉じ込められているからだ。その様な事をヘーゲルが「叱って」いた気がする。


それはさておき、結果として数多の「近代の超克」が、常に「失敗」続きであったのかどうかの判断は留保するものの、「近代の超克」に対する「願望」の総量は、現実的な「超克」には余りに足りなさ過ぎるのだろう。「仮象」であると指摘されても尚、揺るぎのない「充足」を「市民」にもたらしたブルジョア民主革命以降に於いては、「近代の超克」という「歴史的課題」への「情熱」が圧倒的に欠落しているのだ。だからこそ、それが広く望まれ「善き事」であると自発的に思える様にと、「近代の超克」は「市民」への啓蒙作戦に打って出たりはする。しかしその攻撃力は「超克」を現実のものとするには必ずしも十分であるとは言い難い。啓蒙作戦のその遙か以前に、「馬を水辺に導くことは出来るが、馬にその気がなければ水を飲ませることは出来ない」現実を覆す作戦が、どうしても必要になってくる。


合理的精神が考える程には「世界」は一様では無い。「世界」は、嘗てより一様ならぬものであり、未だ一様ならぬものであり、これから先もまた一様ならぬものであり、従って「世界」は共時的に一様に「近代」である訳ではなく、更に「近代」の中にあってさえ、そうした現実的な「近代」にはグラデーションが存在し、しかもそれは時々刻々変容する。


「近代の超克」が「グローバル」な問題として成立するには、まずは「世界」が共時的に一様に「グローバル」であり、且つ一定の「近代」を共有しているという些か抽象的な前提に立たねばならないが、実際には「この近代の超克」や「その近代の超克」や「あの近代の超克」という形でしか「近代の超克」は命題的に成立し得ない。その意味で「世界史」という語の扱いは慎重の上にも慎重が必要であり、その「世界史」の「世界」と「史」が、それぞれ何を意味するのかに対する十分な批判的視点を持つ事は、「世界史」という語の使用に当たっては不可欠なものになるだろう。当然それは「近代」という語にも当て嵌り、恰もそれがアプリオリなものである様に扱われている様な言説には、常に疑いという形での注意が必要だ。「近代」という定立の条件に対する批判的視点は、精神に於ける危機管理上「備えよ常に」なのである。


昭和17年の「文学界」の『近代の超克』は、その点でそうした一様ならぬ「近代」の限界性を、限界的に「踏まえた」ものではあった。ここが戦後の数多の抽象的「インターナショナリティ」を前提とする「近代の超克」論とは大きく異なっていると言って良いだろう。座談会の参加者である鈴木成高(所謂「京都学派」)による次の様な問題設定は、この座談会の参加者に共有されていたと思われる。曰く、ヨーロッパを中心に喧伝されているところの「近代の超克」は、「今日主として欧洲人たちによつて提起せられてゐる問題であつて、そこには深く欧洲的にして且つ二十世紀的なる思索と感覚とが含蓄せられてゐる」「そしてこの言葉はそれと同じ含蓄をもつて日本及び東亜に対して当嵌るとはいへない」。そして「例へば支那のごときはむしろ如何にして近代をもつかといふ課題を抱いてゐるといふことができる。日本にとつてもまた問題は欧洲の場合とは意味を異にするであらう」。可成の無理を承知で言えば、「近代の超克」メンバーのこうした共通了解は、所謂「マルチ・カルチャリズム」の嚆矢と言えなくもない。諸国間の並行性に目配りしている現実的な精密性も、可成無理に言えば感じられはする。


但し「日本」に於いては問題は複雑化する。鈴木は言う。「然し乍ら我国においてヨーロッパ文明が既に単なる外来文明といふ以上に深く内在化せしめられ最早や一部分われわれ自身のものとなつていゐる今日においては、この問題はわれわれ自身に関するものである。即ち、超克すべき近代は欧洲のみならずわれわれ自身の中にも存在する」。ここでの「近代の超克」は、抽象的な「近代の超克」ではなく、「近代日本の超克」であり、また「近代東亜の超克」である。当然「日本である」事の、「東亜である」事の視点から、「日本の近代」、「東亜の近代」が捉えられる事になる。


その「超克」の先にあるもの、それは「世界新秩序の樹立と大東亜の建設(西谷啓治)」即ち「正義の秩序の樹立(同)」であり、その為には「国家総力の集中、とりわけ強度な道徳的エネルギーが現在必要とされる(同)」。確かにそうであれば、「近代の超克」の攻撃力は、通常の啓蒙による自発的なものを待つよりも、遙かに増す事は確かだとは言えるだろう。現実的に「近代の超克」に対する「願望」の総量が桁違いだからだ。だからこそ「知的戦慄(河上徹太郎)」としての事態の急変、或いは急変の事態、即ち平時の秩序をいとも簡単に覆す事が可能な「非常事」が、力を持とうとする「超克」の立場からは待たれるところとなる。そうした「非常事」は、仮象的に「歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した(竹内好)」と思わせてくれる。真珠湾攻撃を伝える「臨時ニュース」が、「世界新秩序の樹立と大東亜の建設」という「近代の超克」の夢を一気に引き寄せてくれる気にさせてくれる。座して「超克」の時を待つ事を良しとしない者にとって、そして今まで「超克」の至らなさに内心業を煮やしていた者にとって、こうした「非常事」の到来はその好餌となり得る。「非常事」が大きければ大きい程、即ち「未曾有」であればある程、それを折線として、「全体」、即ち「世界」を折り畳む事が可能になり、一挙に「近代」に終わりを告げられるかに思えるからだ。それは、「脱近代」による「世界支配」の実現を、「近代」に成り代わって「政権交代」しようとする欲望に基づいている。「近代の超克」は単なる知的営為の段階を脱し、「世界史」的な実践の段階に至るとされる。莫大な生命や財産と引き換えにされる「未曾有」到来への渇望。そしてそうした「未曾有」が一旦起きれば、「近代の超克」の好機であると内心舌舐めずりし、「今こそ我々は求められている」と言いつつ、「『世界史』的実践」を畳み掛けようとする野蛮がそこにはある。


み‐ぞ‐う【未曾有】
《「未(いま)だ曾(かつ)て有らず」の意》
1今までに一度もなかったこと。また、非常に珍しいこと。希有(けう)。みぞうう。「―の大地震
2十二分経の一。仏•菩薩(ぼさつ)による奇跡を記した経典。
→ 前代未聞•空前•画期的


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例文として「―の大地震」が示されているのは全くの偶然だろうが、それもまたさておき、「未曾有」は語源的には「奇跡」である。そして確かに「近代の超克」を謳う者にとって、「未曾有」は自らのイデオロギーを後押しする「奇跡」として現れる。近代市民社会に於いて、自らが「無力」である事を、所謂「思想」や所謂「芸術」は僅かながらも自覚している。時に「無力」であり「無益」である事こそが、思想や芸術の最大の美徳であると自己正当化されたりもする。しかし一旦「未曾有」が起きれば「思想」や「芸術」は落ち着きを無くし、隠されていた「力への意志」を顕わにする。結局「思想」や「芸術」は、その建前とは異なり、常に「有益」でありたいのだ。但しその「有益」は、町内清掃程度の「有益」ではなく、「未曾有」以後の「新秩序」の中心に自らを定位させて権力化し、その上で初めて「有益」でありたいのだ。であるからこそ、「今こそ言葉を」や、「今こそ思想を」や、「今こそ芸術を」等は、「今こそ町内清掃を」の意味ではなく、「今こそ軍拡を」や、「今こそ改憲を」や、「今こそ玉砕を」に似たものになってくるのである。未曾有以後、詩を書くことは野蛮である。未曾有以後、超克を言うことは野蛮である。


今少し、昭和17年の「ザ・近代の超克」に即して精査したいところではあるが、またしても長くなりそうなので、この続きは別稿に委ねる事にする。


【続く】