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誘導

承前


事故評価引き上げ レベル7へ


東京電力福島第一原子力発電所で相次いで起きている事故について、経済産業省原子力安全・保安院は、広い範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されているとして、国際的な基準に基づく事故の評価を、最悪の「レベル7」に引き上げることを決めました。「レベル7」は、旧ソビエトで起きたチェルノブイリ原発事故と同じ評価になります。原子力安全・保安院は、12日、原子力安全委員会とともに記者会見し、評価の内容を公表することにしています。


NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110412/k10015249911000.html


当然レベル7は「あの」チェルノブイリのクラス。事実上「フクシマチェルノブイリとイコール」という「レッテル」が貼られた。哀しいかな、人は「レッテル」によって思考し行動するという現実が存在する。自分はそれをしていないなどとして、自らをその例外側に退避させようとするのは、極めて悪質な自己欺瞞だ。その人物は「チェルノブイリ」という単語を、象徴的な意味合いを込めて今まで一度も使用しなかったとでも言うのだろうか。そしてその「事実上」の「レッテル」の意味するところは、今まで我々日本人が、「チェルノブイリ」という「レッテル」に対して、何を思い感じてきたのかの反転にあるだろう。


チェルノブイリ」に対して、「人類史」上稀に見る「世論」が沸騰し、「言論」が活気付いて様々な「提言」が提出された25年間。それでも「チェルノブイリ」で何が起こっていたのかを、事実上スルーしてきた「日本人」の25年間。喉元過ぎた「他人」から「フクシマ」がスルーされるという可能性は、「日本人」が「チェルノブイリ」を事実上スルーし、「でんこちゃん」の恩恵に最大限与ってきた25年間の現実を踏襲するだろうか。それとも今回は「人類史」上初めての例外となるだろうか。


でんこちゃん」に「プルトくん」。「キャラクター」の持つ抜き難い政治性。これは「キャラクター」の肯定側にあった「ゼロ年代のアート」とやらに突き付けられた「問題」でもある。「アニメ」や「キャラクター」は、それ自体が「戦争画」に十分に成り得る。否「キャラクター」自体が、多かれ少なかれ、「政治」的「誘導」の産物ではある。「キャラクター」化するという事は、それだけで大小を問わずそうした「政治」的「誘導」の欲望に支えられている。


「政治」的「誘導」の形として、「キャラクター」の底は露出した。「誘導」の産物、そして「誘導」の先兵にも十分に成り得る「キャラクター」という存在への徹底的な批判的視点が「(「日本」の)10年代のアート」とやらには希求されるかもしれない。


【続く】