第三芸術

"Ars longa, vita brevis, occasio praeceps, experimentum periculosum, judicium difficile."
「アルス・ロンガ、ウィータ・ブレウィス、オッカースィオー・プラエケプス、エクスペリメントゥム・ペリクロースム、ユーディキウム・ディッフィキレ」。


古代ギリシャヒポクラテスアフォリズムだ。「医術(医の技術)は長く、人生は短い。好機はすぐに過ぎ去ってしまい、経験的知識は危うく、判断は難しい」と訳される。言わば「トライ・ハード」的な意味を持つ箴言である。しかし、文中の "ars(アルス=τέχνη;テクネー)" が、いつの間にか「芸術」を意味すると矮小化され、このアフォリズムは、今日の日本では「芸術は長く人生は短し」などという形で訳されている。そして通常「芸術家の生命は短いが、芸術作品は作者の死後も後世に残り、長くその名声や評判を残す」などという、原義からは遠く離れた解釈がされている。確かに"ars"の語には、「芸術(的技術)」も含まれはするが、しかしそれは、現代人に馴染みのある、近代的「芸術」概念とは全く異なるものだ。「芸術」が「永遠性」を持つなどという考え方は、少なくともヒポクラテスの時代には存在しない。しかも、そうした近代的「芸術」概念が生まれてから、まだ「永遠」と呼べるだけの時間は経過していなかったりする。


「医術は長く、人生は短い。好機はすぐに過ぎ去ってしまい、経験的知識は危うく、判断は難しい」が、何故に「芸術家の生命は短いが、芸術作品は作者の死後も後世に残り、長くその名声や評判を残す」などという解釈になってしまうのかの理由は、恐らく"ars"と「芸術」の中間に存在する、翻訳語としての "art" に関係しているのかもしれない。現在でも "art" には「テクネー」の意味はしっかり存在する。しかし "art" =「芸術」の等式しか、世の中には存在しないと考える立場からは、例えば "household art" を「家族芸術」と訳す事しか考えられないだろう。

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「芸術家の生命は短いが、芸術作品は作者の死後も後世に残り、長くその名声や評判を残す」としての「芸術は長く人生は短し」は、近現代芸術を支配する法則の一つになっている。「芸術は永遠の命を持つ」は、今日の「芸術論」に於いて、あたかも最上位の法則の様に君臨し、そこから全ての芸術法則が導き出されているかの様だ。


「芸術は長く人生は短し」の人は、例えば「ギリシャ彫刻」等の「古代芸術」を例に出して「だから芸術は長い」としたいところだろう。しかし「ギリシャ彫刻」が「芸術」であるかと言えば、それは些か勇み足と言わざるを得ない。寧ろそれは、現在の「芸術」のパースペクティブから、遡行的に「芸術」として解釈する事が可能な造形物以上のものではないだろう。「芸術」の誕生と共に「ギリシャ彫刻」は「芸術」として「発見」された。それはアメリカ人であるアーネスト・F・フェノロサが、「明治維新」以前の「日本」に「美術」を「発見」し、そこで「日本・美術」が誕生した如く。そして「日本・美術」の「歴史」が、千数百年であると「発見」された如くだろう。

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仮に「芸術」が「ロマン主義」の申し子であるとして、そうした「ロマン主義」的「芸術の永遠性」は、未だに「永遠」と呼び得るだけの時間を潜り抜けてはいない。「芸術」になってからの「芸術」は、まだ「永遠」であるかどうかが確定されていない。にも拘わらず「芸術は永遠の命を持つ」というのは、実証性を欠いた「願望」以上のものではないだろう。ましてや「現代芸術」にあっては尚。


数年前に買い、一回通読してブックオフ行きになった本の中に、自分の作品を発注する際に、職人に対して千年持たせる様に作ってくれと檄を飛ばしたといった内容が書かれてあった様に記憶する。その檄の根底にあるのもまた、「芸術は永遠の命を持つ」という一種の「通俗」だろう。


千年前と九百年前の百年間では、それ程世界は変化していないかもしれない。しかし百年前と現在とでは、それ以前と比べて冪乗的な幅を持つ変化がある。その冪乗的変化の先にある千年後を想像するだけで目眩がする。現在から千年前までの時間の尺度は、そのままでは千年後には当て嵌められないだろう。


西洋には何千年と続く美術史があり、そこでアーティストがどういった痕跡を残すかが問題であるとする認識は、「美術」になってからの「美術」に則る限りに於いて正しいとも言える。しかしその一方で、「美術」の「歴史」が何千年と続いていると見做す「美術」それ自体の「歴史」はそれ程長くない。「美術」になってからの「美術」、「アーティストが『どういった』痕跡を残すかが問題」となる「美術」を、千年という未だに「美術」が体験した事も無い時間にそのまま当て嵌めようとするのは、それ自体が大いなる賭けだろう。


「作品の永遠性」は、必然ではなく蓋然に留まる。アーティストは、作者の死後も「後世」に残り、「長く」その名声や評判を残す「作品の永遠性」を必然として信じる。しかし同時にそれが常に蓋然である事を知らなければならないだろう。

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千年という数字を見ると、「千年」の「帝国」を構想し、その首都を「ゲルマニア」に改称しようとした人物の事を思い出す。その人物はあるべき「未来」を示す言葉として「第三」の語を用いた。千年先にあるべき「未来」=その時点で構想し得る限りでの「未来」=「第三」。


その人物は「第一(神聖ローマ帝国)」「第二(ドイツ帝国)」の「帝国史」を分析し、その「文脈」を「理解」して、自分自身の「未来(第三)」の「帝国」を、その「帝国史」の「文脈」にどう当て嵌めていこうかと模索した。その分析自体は、その人物の知り得る「帝国史」に於いては誤りではなかったかもしれない。しかしそのスタイルの「帝国」、そのスタイルの「未来」は、それが構想された段階で、オールドファッションになりつつあった。そして実際には、「後世」まで千年続く筈だった「未来の帝国」は、僅か十数年で瓦解してしまった。

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「芸術作品は作者の死後も後世に残り、長くその名声や評判を残す」。「後世」という「未来」へ続く、見通しの良い直線。その見通しを可能にするのが、「芸術史」に基づく「文脈」であるとする信憑。その信憑は、アーティストが苛まれる不安を払拭するかに見える。しかし「人生は短し」である。人生は数十年で終わる。その先、その「文脈」を「後世」に語り継ぐのは、常に想像の範囲外にある「他人」なのだ。


千年先に「印象派」はどう見えるだろうか。「デュシャン」はどう見えるだろうか。千年という途方も無い時間の厚みを飛び越して、それでも今と全く変わらず、「印象派」は「印象派」としての、「デュシャン」は「デュシャン」としての意味(文脈)を保ち得るだろうか。「必然」の「未来」を語る事は可能だが、しかしそれは常に「蓋然」に脅かされている。そして「必然」の多くは「蓋然」の前に敗れ去る。


それもまた「歴史」だ。


【続くかもしれない】