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一般人

承前


アーティストやアート関係者は「一般人」という言葉を好んで使いたがる。面倒臭い説明を省略すれば、これは単純に、「一般人」と名指されている対象に対する、「美術人」の話す「美術語」に於ける明確な侮蔑語である。


例えば Google の検索窓に、「アート 一般人」や「美術 一般人」と入れてみれば即座に判る様に、「美術語」の「一般人」には、「遅れた者」や「劣った者」という含意が多かれ少なかれ込められている。「art」+「common people」でググっても、その結果は似た様なものだ。凡そ世界中の「美術語」に於いて、「美術人」>「一般人」という不等式は幾らでも存在するが、「美術人」≧「一般人」、「美術人」<「一般人」、「美術人」≦「一般人」という不等式や、「美術人」=「一般人」、「美術人」≒「一般人」という等式は限りなく存在しない。


「一般人」が侮蔑語であるならば、「一般人」とは言わず、単に「遅れた者」や「劣った者」を表す「愚衆」や「愚民」等の単語が他に幾らでも存在する訳だが、良く知られているそれらを使えば、それは少しも含意にはならず、またそうした身も蓋もない侮蔑語を使用する事で、場の空気が刺々しくなったり、寒々しくなったりするが故に、「美術語」では「一般人」という、どうとでも取れる、一般的にはまだ侮蔑語として十分には認識されていない表現を多用して、批判の矛先を躱したりする。


「美術人」からサイレント・マジョリティとして想定措定される「一般人」は、「美術人」視点からすれば、「美術人」に比べて「遅れた者」や「劣った者」であるから、それは「進化」の途中にある者であり、従っていつかは「進化」した「先行者」の位置に追い付かなければならないのが「美術」に於ける「進化論」の考えだ。そしてこの場合の「先行者」は、当然「美術人」を指す。


しかし「一般人」が「美術館」や「ギャラリー」に足を運ぶのは、決して「美術人」そのものに対する憧憬からではない。いつかは「美術人」になりたいが為に、「一般人」はそこに行っている訳ではない。寧ろそこには動物園に「パンダ」や「コアラ」といった「珍獣」を観に行くかの如く、「珍しい物」を観に行くというのが正確なところだろう。「珍しい物」であるからこそ、それは「珍重」される。


気を付けるべきは、「珍重」は「尊重」とは似て非なるものだという事だが、往々にして「美術人」は「珍重」と「尊重」の区別が付かない。「美術人」は可憐にも、「珍重」されているから「尊重」されていると思い込んだりもする。しかし殆どの「一般人」は、自分達の「進化」の先に「美術人」が位置しているとは決して思っていないし、場合によっては「美術人」の方が、自分達よりも劣っているとすら思っていたりもする。


例えば、通常、「一般人」の銀行の融資係はアーティストには金を融資しない。アーティストは「一般人」程にはローンの審査が通らない。「一般人」の不動産屋も、アーティストには「一般人」と同じ様な物件を紹介し難い。「一般人」の親が、娘を嫁がせたくない職業のトップには、常にアーティストが君臨する。友人のアーティストは、息子の保育園の送り迎えの際に、「一般人」のお母様達やお子様達から「プータロー」と悪し様に言われたりもする。「一般人」の、「あの人は芸術家だから」という言辞には、「あの人は変わり者だから」という含意が込められている。そうした「変わり者」であるアーティストとは、実生活に於いては深く関わり合いたくはないが、それを動物園の「珍獣」に対するが如くに、安全な場所から観察するのは、気晴らしとしては悪くないと思っている。


美術館では、ガラス張りの部屋(飼育檻=額縁=パレルゴン)を用意して、そこにアーティストを放り込み、その生息している環境を再現して、その生態を逐一観察するという、旭山動物園に代表される「生態展示」や「行動展示」の方法論そのものである「公開制作」なる展示を行う事もある。実際に自分もそうした「公開制作」の経験が何度かあるが、ガラス張り(ビニール張りだった事もある)の外の、不特定多数の観客から好奇の目で観察されるそれは、全く以て「動物園の動物」になった気分だった。


訪れる「一般人」は、ガラス(ビニール)の向こうにアーティストらしいアーティスト、即ち「珍獣」ならぬ「珍人」の生態を求める。そしてアーティストはアーティストで、「一般人」が期待する様な「珍人」を演じたりもする。アイディアに悩んでみせたり、制作に詰まってみせたり、色々と試行錯誤してみせたり、何かに取り憑かれた様に作品に没入してみせたりして、決して寝そべってばかりいる、動物園やサファリパークのシロクマやライオンにはならない様に気を配ったりもする。どちらかと言えば、サル山のサルの如き、アーティストによる活発なサル的振る舞い(モンキー・ビジネス)が、美術館の観客には最も喜ばれるのだ。


そうした「公開制作」はまた、あの「学術人類館」同様の発想に基づいていると言えるだろう。


http://photozou.jp/photo/photo_only/193609/28656931


学術人類館(人類館事件)」を Wikipedia から引く。


人類館事件(じんるいかんじけん、「学術人類館事件」、「大阪博覧会事件」とも)は、1903年に大阪天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」において、アイヌ・台湾高砂族(生蕃)・沖縄県・朝鮮(大韓帝国)・支那(清国)・インド・ジャワ・バルガリー(ベンガル)・トルコ・アフリカなど合計32名の人々が、民族衣装姿で一定の区域内に住みながら日常生活を見せる展示を行ったところ、沖縄県と清国が自分たちの展示に抗議し、問題となった事件である。


(略)


大阪博覧会において、「人間の展示」は民間業者主催の学術人類館というパビリオンでなされた。当時の資料によれば学術人類館は以下のようなものであった。


■『風俗画報』269号(1903年)


内地に近き異人種を集め、其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さんとの趣向にて、北海道のアイヌ五名、台湾生蕃四名、琉球二名、朝鮮二名、支那三名、印度三名、同キリン人種七名、ジャワ三名、バルガリー一名、トルコ一名、アフリカ一名、都合三十二名の男女が、各其国の住所に模したる一定の区域内に団欒しつつ、日常の起居動作を見するにあり(以降、大阪朝日新聞「博覧会附録 場外余興」とほぼ同じ内容)


大阪朝日新聞「博覧会附録 場外余興」(1903年3月1日)


○人類館 斜に正門に対して其建物あり。準備の都合にて開館は来る五日頃となるべく夜間開館の事は未定なりと云へば当分は昼間のみならん。内地に近き異人種を聚め其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さんとの趣向にて北海道アイヌ五名、台湾生蕃四名、琉球二名、朝鮮二名、支那三名、印度三名、瓜哇一名、バルガリー一名、都合二十一名の男女が各其国の住所に摸したる一定の区画内に団欒しつゝ日常に起居動作を見すにあり。亦場内別に舞台如きものを設け其処にて替はる/\自国の歌舞音曲を演奏せしむる由にて観客入場の口は表にありて出口は裏にあり。通券は普通十銭、特等三十銭にして特等には土人等の写真及び別席にて薄茶を呈すとの事。


一方台湾館は、極彩色の楼門及び翼楼をもった建築物であり、中では台湾に関し15部門(農業・園芸から習俗まで)の展示が行われた。これは当時日本の植民地となってすでに9年が経過していた台湾の実情を内外に知らしめるために設けられたのである。この台湾館は、その後の博覧会でも常に設けられるようになり、また植民地の拡大とともに増設されていった樺太館や滿洲館・拓殖館・朝鮮館といった「植民地パビリオン」のモデルとなった。


(略)


沖縄県


沖縄県からつれてきた遊女を「琉球婦人」として展示されていることに対し、地元では抗議の声があがった。たとえば当時の『琉球新報』(明治36年4月11日)では「我を生蕃アイヌ視したるものなり」という理由から、激しい抗議キャンペーンが展開されたのである。特に、沖縄県出身の言論人太田朝敷(おおた・ちょうふ)が、


陳列されたる二人の本県婦人は正しく辻遊廓の娼妓にして、当初本人又は家族への交渉は大阪に行ては別に六ヶ敷事もさせず、勿論顔晒す様なことなく、只品物を売り又は客に茶を出す位ひの事なり云々と、種々甘言を以て誘ひ出したるのみか、斯の婦人を指して琉球の貴婦人と云ふに至りては如何に善意を以て解釈するも、学術の美名を藉りて以て、利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり。我輩は日本帝国に斯る冷酷なる貪欲の国民あるを恥つるなり。彼等が他府県に於ける異様な風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや


であると抗議し、沖縄県全体に非難の声が広がり、県出身者の展覧を止めさせた。


当時の世情として太田朝敷や沖縄県民は、大日本帝国の一員であり本土出身者と同じ日本民族だとの意識が広まりつつあったため、他の民族と同列に扱うことへの抗議でもあった。


清国


清国側からも同様に激しい抗議がいくつか寄せられた。まず宣伝によって事前に、学術人類館に漢民族の展示が予定されていることを知った在日留学生や清国在神戸領事館員から抗議をうけて、日本政府はその展示を取りやめた。博覧会開催前に清国の皇族や高官を招待していたため、すぐに外交問題となったためであった。その学術人類館に「展示」される予定だったのは、阿片吸引の男性と纏足の女性であった。 清国人の展示が中止された後、今度は人類館に出演している台湾女性が実際には中国湖南省の人ではないか、という疑いが清国留学生からかけられた。しかし、その留学生が自分で確かめたところ、台湾女性は本当に台湾出身であることが判明し、一件落着となった。


「異人種を集め、其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さんとの趣向」である美術館の「公開制作」。一枚のガラスを隔てて、外側(一般人)の、内側の異人種(アーティスト)に対する好奇(蔑視)の視線。そして内側(アーティスト)の、外側の異人種(一般人)に対する蔑視(好奇)の視線。それは互いを互いに「学術人類館」的な意味での「人類」と見る、差別の象徴的な合わせ鏡だ。そしてその好奇と蔑視の反転的合わせ鏡の累乗的反復のドライブが、「一般人」と「美術人」という「区別」を双方から補完し続け、その「区別」を永遠のものであると錯覚させ続けるのだろう。


【続くかもしれない】