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電話画


これは何かの建造物なのだろうか。パーティションで幾つかのユニットに分割され、全体に緩やかに湾曲したそれは、一部にヒンジと思われる構造を持っている。恐らくそこは可動部分であり、この構造体の内部に通じる入口があるのだろう。



こちらはその構造物の別のバリエーションであると思われる。平面図と思しき図像からは、この構造体が小さなユニットを組み合わせる事で、その外形が変化する事を示している。中央に描かれた立方体は、このユニットのエレメントの一つをクローズアップして描いたものだろう。



この絵はその一部分であるとも思えるが、一方で一個の独立した構造体とも考えられる。そのスケールは判然としないが、実際にはかなり大きな構造体である可能性もある。



これもまた同様であるが、こちらの方が大きくも小さくも見える。頂の高さを1000メートルとする事も、1ミリとする事も可能だろう。



この絵は一転して抽象性が高い。左側の図像は家の様にも見えるが、無論そうでない可能性もある。上部から降ろされたブランコ状の曲線や、画面右側の折れを伴った曲線と共に、これらの線は様々なイメージを見る者に喚起させるだろう。


これらの絵の作者を知らない。そしてまたこれらは作品ですらない。様々な場所に置かれた電話の横のメモ置き場。そこからこれらの絵は集められた。


電話を掛けながら意味もなく描いてしまう落書き。あるいは何かの覚え書きとしての図像。ここにある個々の図像が、果たして無意識の内に描かれたものなのか、意識的に描かれたものなのかは判らない。全く関係のない複数の場所から採集したものであるから、これを描いた人間が同一人物ではない事は明らかだ。しかし驚く程に互いは似ている様にも見える。


絵画作品とこれら電話画との差はどこにあるのだろうか。どちらも人の手によって描かれた物である事は共通する。この電話画よりも魅力に乏しい絵画作品も、世の中には少なくない訳であるから、絵画的水準などという評価軸を持ち出す事にも意味がない。あるいはその絵が、その作者名と共に美術作品として出現したかどうかの差なのだろうか。しかしそれでは、レオナルドの手稿の様な存在の説明が付かないだろう。


こうして両者の間に確たる線分を引けぬまま、この電話画をメモ書きの正しい扱い方に則って、丸めて捨てるべきか、或いは額装して飾るべきかどうかを迷っている。


この画像を見たある美術家は、このメモ書きの線が、自分の目指すべき線であると語った。


(2006年05月30日初出の文章に加筆修正)