七色矮星


東京は野放図に夜が明るい街だ。暗いのと明るいのと、どちらが良いかと問われれば、多くの現代日本人は「明るい方」と即座に答えるだろう。


一昔前、クリスマスに向けての12月の夜を、ゴージャスに明るくしようと、住宅地規模でのクリスマス・イルミネーションが流行した事があった。「あった」と過去形で書いたのは、少なくとも東京に関して言えば、住宅地規模では、数年以上前から下火になり始めているからである。


無論、相変わらず何かに取り憑かれた様に、クリスマス・イルミネーションを、年々エスカレートさせている家は個別的には存在する。出入り口を塞ぐ程の巨大サンタクロース、フェンスに光るトナカイ、建物の稜線や窓枠に走るLEDによるストリームライン、屋根から降りる光の梯子、クリスマスを象徴する数々のアイコン。2010年現在の住宅イルミネーション・スタンダードは、LED普及以前のバルブ時代であれば、確実に電気代月額10万円超コースになっているだろう。しかし往時の様に、住宅街全体がエレクトリカル・タウン化するという現象は、住宅イルミネーションブームの先駆けとなった東京郊外の住宅地に限っては、今は見る影もない。


東京の仕事場の裏手にある「横浜市」の「M住宅」は、10年程前まではそんなエレクトリカル・タウンだった。「M住宅」は、東京西南部の2都県4市6区に跨る約5000ヘクタールの「多摩田園都市」に、引っ掛かるか引っ掛からないかの位置に存在する。「田園都市」と言えば「エべネザー・ハワード」のコミューン的とも言える構想を思い出すが、日本の場合は、それを輸入し換骨奪胎した「渋沢栄一渋沢秀雄田園都市会社」的な郊外ベッドタウンを意味する。


東京市といふ大工場に通勤される知識階級(田園都市会社「田園都市案内」パンフレットより)」の為に開発された「田園調布」に始まり、「田園コロシアム」、「田園都市線」等と続く一連の「田園」シリーズ。そしてそれに呼応する様に発展した目黒蒲田電鉄(現東急電鉄)。その東急電鉄の「田園都市線」沿線に、1970年代〜1980年代に突如として出現したのが「多摩田園都市」である。そして、1983年のTBSドラマ「金曜日の妻たちへ」で、セレブな住宅地として全国的に有名になったのが、まさしくこの「多摩田園都市」であった。


「多摩田園都市」の端にあるとも言える「M住宅」もまた、金妻的オシャレ&セレブ感を売り物に、1985年に分譲を開始した、田園(山の中)の中の新興住宅地である。電気などのインフラを地下埋設し、地上から電柱を排除してヨーロッパの如き景観を実現したと自称した。売り出し当初の分譲価格は「1億円」を超していたとも言われ、田園(山の中)の一角は一躍高級住宅地として知られる様になった。「1億円」の住民は「周囲とは人種が違う」と、自ら言っていたものだった。


現在の様な大規模な住宅イルミネーションが、いつどこでどの様に始まったかは定かではない。アメリカがそのルーツであるとも言われるが、いずれにしても、「M住宅」では、1990年代の中頃には、既にそれが隆盛であったと記憶する。東京ディズニーランドTDL)のエレクトリカル・パレードのスタートが、「M住宅」の分譲開始と同じ1985年であり、それが日本に於ける住宅のイルミネーション化に、少なからず影響を与えたであろう事は想像に難くない。


ところで、なぜ住宅イルミネーションをするのか、という問いに対する「イルミネーター」の「公式見解」の多くは、「通る人たちに楽しんでもらいたい」というものだ。その「公式見解」を鵜呑みにすれば、これは一種の「ホスピタリティ」だろう。「ホスピタリティ」のキーワードは「好意と誠意」であり、言わば「性善説」に基づいている。そしてそれは、エレクトリカル・パレードのTDLを経営するOLC(オリエンタルランドグループ)の社是でもある。しかし尚、疑問は残る。一体何の為の「おもてなし」だというのだろう。


1990年代後半から2000年代初頭に掛けての「M住宅」は、この季節ともなれば、連日マスコミに取り上げられ、観光バスまでが立ち寄る「東京の新名所」であった。「イルミネーションをする為に、この街に引っ越してきました」と、テレビのインタビューに対して嬉々として答えていた住民もいた。


しかしその結果、見ず知らずの「観光客」で住宅街は溢れ、その「観光客」による大渋滞や違法駐車が頻発し、来る日も来る日も家は覗かれ、不法投棄されたゴミが増えるという「治安の悪化」が進行した。「M住宅」の住民は、怯える様に夜間の外出を控え、窓という窓のカーテンやシャッターを閉め、夜が明けるまで家の中でひっそりと、しかし「おもてなし」のイルミネーションを明々と点けながら暮らす事になる。やがて「M住宅」の自治会は、イルミネーションの開始時期を12月以降、点灯時間を22時までと取り決める。「営業時間」が短くなったエレクトリカル・タウンから「観光客」の足は遠のく。こうして嘗ての東京の一大「観光地」であった「M住宅」のイルミネーションは徐々に衰退する事になる。


「ホスピタリティ」に徹底したTDL的に言えば、住宅街のイルミネーションを「楽しみ」に訪れる「観光客」は「ゲスト」であり、従って「住民」は「キャスト」であるが、結局住宅街の住民は、「ホスピタリティ」を標榜したものの、「ホスピタリティ」に生きることは出来なかった。そして「ホスピタリティ」を成立させる「性善説」に生きる事も出来なかった。


「M住宅」関連の情報をネットで調べていたら、気になる記述を見つけた。他でもない「M住宅」住民のブログである。住宅イルミネーションは、長期低落傾向にある「M住宅」の資産価値を上昇させるファクターになり得るのではないかという記述がそこにはあった。そう言えば、当初1億円だった分譲価格が、現在では半分以下だ。住宅イルミネーションが、実際に資産価値を上げるかどうかは別にして、少なくともイルミネーションは、住宅や街の「価値を上げる」と目されてはいる。


新興住宅地の寿命は、一世代の人間の寿命に等しい。成長した入植第二世代が、生まれ育った「ニュータウン」に住む事を敬遠するケースが多いからだ。従って、「ニュータウン」を始めとする新興住宅地の住民の平均年齢は上がり続け、結果的に街の活力は失われ、やがて過疎化し限界集落化する。最早1970年代の街である「多摩センター」は、その一生を終えつつあるが、金妻的オシャレ&セレブ感の「M住宅」もまた、住宅地としては「老境」に入り掛けている。スーパーで買い物をするのは老人ばかりで、子供の姿は殆ど見られない。


アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。


太宰治「右大臣実朝」


そしてイルミネーションで一瞬だけ七色に輝いた後、やがて黒色矮星化していくのだろう。


(2005年12月12日初出の文章に加筆修正)