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「展評:インタラクティブ」

今から30数年前の事。自分の現代美術の「展覧会デビュー」は、映像作品の個展だった。但し、ここで言う「展覧会デビュー」とは、「ギャラリー巡り」の意味である。その最初の展覧会の作品の詳細な内容は、忘れようとしても思い出せないのだが、その作家は、当時の日本の「映像作家」の「代表格」であった人物だった。

70年代の・現代美術の・映像作品である。エンタテイメント的な意味で「面白い」筈はない。所謂「考えオチ」という奴で、そのオチもまた、例えば「世界の重層性」や「映像と通信」みたいなところに落ち着いたりする「実験室」的作品であった。

そこそこの広さのギャラリースペースは、Pタイルの床が波打ち、しかも処々それが剥がれている。その部屋の真ん中に、ホームセンターで買ってきた様な安物の組み立て棚が設えられていて、その最上段に「チューナー」が内臓された20インチの「テレビ」が置かれている。当時はまだ、ソニーの「プロフィール」の登場までには随分と間があり、所謂「モニタ」という機器が一般的ではなかった時代だった。その「テレビ」の丸まっちい「ブラウン管」には、「Uマチック」で録画された映像がモノクロで流れていた。観客はその映像を、「テレビ」の前に10脚程用意された折り畳み椅子にちんまりと座って見るという寸法である。それが日本の映像作品の「最先端」だった訳だが、正直なところ、当時でさえその設えは「貧乏」たらしく見えたものだった。映像で見る戦後の「街頭テレビ」の設えの方が、まだしもそれよりはゴージャスに見えた。

作品はひたすら「退屈」だった。その「退屈」から何かを感じてくれと言わんばかりだ。世界の実相は確かに「退屈」であるかもしれないが、それでもそれは編集如何で10秒で表現出来る内容だと思ったし、その方が「公案」として格段に効果的になるとも思われた。

それ程長い時間、折り畳み椅子に座っていないのに、尻が浮き始めていた。しかし映像作品は、最後の最後に「どんでん返し」があるかもしれない。この永遠に続くと思われる「退屈」と、その後の「どんでん返し」の落差で「チャンチャン」というオチなのかもしれない。それがこの作家の「新展開」なのかもしれない。しかしその結末を確かめるのを待つ程に我慢強くもない。「これは60分テープか…」。可能性としては、この「退屈」が60分続くという事になる。

今ならば考えられない事だが、その映像作品の展示はビデオデッキが剥き出しだった。それを覆って隠さなかった理由は判らないが、折り畳み椅子に座る自分に正対して光る、Uマチックビデオデッキの「FF」ボタンが極めて魅力的に映ってしまった。会場には自分以外誰もいない。

兎に角こちらは「展覧会デビュー」である。ギャラリーに於けるマナーが良く判っていない。観客に対して無防備に露出した剥き出しの操作ボタンは、観客にその操作を委ねているという事ではないのか。それが「双方向」ではないのか。そう勝手に思い込んで「FF」ボタンに手を掛ける。

慌てたギャラリースタッフが登場。「何やってるんですか」。バツが悪いという事もあるが、これ以上この作品に付き合う気も失せていたから、「謝罪」もそこそこにその場をとっとと離れた。従ってその作品の結末は未だに判らないが、判ろうとする為に割く時間は今後とも無さそうではある。そしてその一件で、ギャラリーのマナーというものを「知る」のであった。

「注意書き」の形で明文化されていなくても、それが「観客」の自由になる形で無防備に露出していようとも、「してはならない」という暗黙のルールが「展覧会」には存在する一方で、「何々をしてくれ」という指示ばかりで成立するのが、所謂「インタラクティブアート」である。

曰く「靴を脱いでくれ」「ここに座ってくれ」「この機器を装着してくれ」「リラックスしてくれ」「このボタンを押してくれ」…。それは例の「西洋料理店 山猫軒」を想起させる。

「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」(略)
「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」(略)
「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落してください。」(略)
「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」(略)
「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」(略)
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください。」(略)
「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」(略)
「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」(略)
「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」(略)
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」(略)
「いや、わざわざご苦労です。大へん結構にできました。さあさあおなかにおはいりください。」

宮沢賢治注文の多い料理店」より

作中の「二人の若い紳士」は、この「注文の多い料理店」を「西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、(山猫が)食べてやる家」と規定している。その顰みに倣えば、所謂「インタラクティブアート」とは、数々の「注文」を出して、それに従わせる事でアーティストの手の内とした挙句、「来た人をアートにして、(アーティストが)食べてやる展示」とも言えるかもしれない。

「前段」が非常に長くなった。

都内某所で、或るアーティストが「観客参加型」の作品を自らの個展に出品していた。そのアーティストは、所謂「インタラクティブアート」の「指示」が持つ、「作者」と「観客」の間に横たわる「権利」の「非対称性」にかねがね「疑問」を持っていた。そのアーティストが、何故に「観客参加型」の作品を展示するに至ったのかは良く判らないが、或いはアーティストは、ここで「観客」に「作品」と「関わらせる」事で、「美術」そのものが持つ、そうした「非対称性」をどこかで「解消」出来ると思ったのかもしれない。

アーティストの作品は、「観客」が「参加」せずとも、それだけで「鑑賞」の対象として「見応え」がある様に作られていた。しかしその一方で、その作品は「可動」する様にも作られていた。そしてそれを「可動」させる事を、アーティストは「観客」の手に全面的に委ねた。それがそのアーティストなりの「権利」の「非対称性」の「解消」の形だったのだろう。その一方で、「観客参加型」ではあるものの、会場内にその「参加」の方法論の「指示」を明示しなかった。それもまた「権利」の「非対称性」を避けるが為だ。

「観客」が「自発的」に作品に手を掛け、そして作品を「可動」させる。すると「可動」させる事で感じられる「物理的抵抗感」と同時に、作品の「見え姿」も変化する。それを「観客」がリアルタイムに「体験」して欲しい。というのがアーティストの書いた美し過ぎるシナリオだっただろう。

しかしそうはなかなかならなかった。何故ならば、「参加」の「指示書」が存在しない作品は、単に「してはならない」という「展覧会」一般の暗黙のルールによって、それに手を触れる事無く、粛々と「鑑賞」されねばならないと「観客」は「教育」されている。通常、展覧会会場で作品に手を掛ければ、自分の「展覧会デビュー」同様、慌てたギャラリースタッフが「何やってるんですか」と飛び出して来るのは、極めて「常識」的な対応である。可憐なアーティストが想定する理想的な「観客」は、どこにもいなかったのだ。

結局その作家の採った解決法は、作品の傍らに常に立ち、或いはギャラリーのスタッフにそれを代行させ、「何々をしてくれ」と、観客に一々声掛けするというものになった。それが格好良いのか格好悪いのかは判らないが、取り敢えず所謂「インタラクティブアート」の文法に則っているとは言える。そして或る意味で、そのアーティストは、「権利」の「非対称性」としてしか存在し得ない「美術」の前に、敢え無く「敗北」した。

恐らく「スマート」な「参加型」とは、それと気付かれない様な「罠」を仕掛け、「騙し討ち」の様に始まり、否応なく「観客」がそこに巻き込まれる形で「強制参加」させるか、「観客」の「参加」は、あたかも「魚釣り」の如くに、常に蓋然的な可能性に留まるという「諦念」を持つかのどちらかなのだろう。

それにしたところで、果たして「観客」の「参加」は、作者の「表現」の「一部」として語られるべきかどうかという問題は依然として残るのだが。