Web メルカトル図法に於ける最大の特徴は、地図が表す世界全体を256✕256 pixel(注3)の正方形と設定した点にある。その結果、正方形の上下、即ち北緯/南緯85.051129度より高緯度の地域はカットされてしまう事になるが、しかしそこには人間が住んでいないが故にニーズが極端に少ないという理由で「世界の外部」と見做している。即ちネット上の地図サービスの図法は、或る意味で紀元前の地図の再現となっているのだ。
これは地球上の任意の点を極点(初期画面はボストン)にして、それを射軸メルカトル図法で表すものだ。開発者の説明に “whereas others avoid the distortion, we embrace it."(他の人が歪みを避けるのに対し、我々はそれを喜んで受け入れる)とある様に、歪みが極まった極点、即ち本来黙殺の対象である「世界の外部」を画面の右側に極大化し、敢えて歪みを歪みとして表示する地図である(注5)。
「メルカトル:エクストリーム」の開発者による解説を再び引けば、それは “... all the way from the human scale, to the global scale... It really creates this "center of the universe" feeling"(人間のスケールから地球規模に至るまで、それは正真正銘『宇宙の中心』の感覚を作り出す)のである。そしてあの “THE NEW YORKER" 1976年3月29日号の、ソール・スタインバーグ(Saul Steinberg)による、ニューヨーカーの独善性を皮肉ったとも評される表紙絵、“View of the World from 9th Avenue"(9番街から見た世界)が引き起こす感覚の数学的具現化(mathematical embodiment of the sentiment)とも言っている。
開発者は冗談交じりにこうも言う。“the extreme Mercator is an excellent way to visualize long-distance driving routes"(エクストリーム・メルカトルは長距離の運転ルートを視覚化する優れた方法だ)と。確かにカーナビやポケモンGO 等の画面にはこの図法が最も適しているかもしれない。それを見る極点としてのドライバーやプレイヤーという主体は、「中心」であると同時に、極大化した歪みを持つ世界の「辺境」なのである。ヘカタイオスやエラトステネスやプトレマイオスがそうだった様に。
3D ペンと称される「絵具を空間上に置く」玩具が販売されているが、2次元クリエーターも3次元クリエーターも、この玩具が示している両次元の交錯点からキャラクターを見直すという事があっても良い。2次元と3次元の交錯点からこそ発想されるキャラクターの可能性。乙うたろう氏の「つぼ美」はその一つになり得る。凡庸なクリエーターは、そこに於いてすら従来のキャラ絵やフィギュアの再現を試みてしまうだろうが、それは既存の「政治」に馴致されてしまった者の限界を示すばかりだ。
“The real difficulty here is that simultaneous perception of objects is an unaccustomed way to those used to sequential perception through touch.” We, with a full complement of senses, live in space and time; the blind live in a world of time alone. For the blind build their worlds from sequences of impressions (tactile, auditory, olfactory), and are not capable, as sighted people are, of a simultaneous visual perception, the making of an instantaneous visual scene."
オリバー・サックス「火星の人類学者」(Oliver Sacks: “An Anthropologist on Mars")から「『見えて』いても『見えない』」(“To See and Not See")
(注2)“6.54 Meine Sätze erläutern dadurch, dass sie der, welcher mich versteht, am Ende als unsinnig erkennt, wenn er durch sie – auf ihnen – über sie hinausgestiegen ist. (Er muss sozusagen die Leiter wegwerfen, nachdem er auf ihr hinaufgestiegen ist.) Er muss diese Sätze überwinden, dann sieht er die Welt richtig.”
「崇拝」の「対象」になりがちな所謂「神」に対してすら/であればこそ、時に生じもする「疑い」に脅かされてしまう程度の〈信じる〉――“Gott ist tot"(神は死んだ) は、「自転車に乗る」者からすれば、微笑を以って相対するべき言葉である――では、到底「自転車に乗る」事は出来ない。「信じることができる」の「信じる」は、「崇拝」が生じてしまう平面を遥かに超えたところにあり、「奇跡」と「自分」の「距離」が限りなく「ゼロ」になるところ――或いは「距離」という概念が生じないところ――にこそそれは存在する。「自転車に乗る」というのは、その様な「高次」の「信じる」によって初めて可能になるのだ。
「私」的時間――非番――にあった22歳の暗殺者は、大使がスピーチで引用しようとしたアルカイダのアラビア語による「ジハード」への忠誠を示した歌の歌詞をトルコ語で「繰り返す」。「死だけが私をこの場所からリムーブ出来るだろう(Beni buradan ancak ölüm alır)」。続けて若き暗殺者はカメラのレンズに向けて叫ぶ。“Allahu ekber. Halep'i unutmayın, Suriye'yi unutmayın."(アッラーフ・アクバル=神は偉大なり。アレッポを忘れるな。シリアを忘れるな)。
(注内注)極めて近い将来に「人工知能」によってその手の「美術評論」の仕事はすっかり奪われるだろう。2017年現在では未だに「専門」性を有するとされている――「されている」に過ぎないが――「人間」が行っている「美術評論」の殆どは、早晩「人工知能」による「美術評論」に肩代わりされるのは確実だ。少なくとも僅か数パターン〜数十パターンの「結論」に導く様な「美術評論」であれば、最早「人類」の誰を以ってしても勝利する事が不可能になった Google の “Alpha Go" などよりも遥かに単純な「アルゴリズム」で、今すぐにでもそれは実現可能だろう。「機械」に「評論」される「美術」という「問題」がそこに生まれる。
備品のスタンド式の灰皿(standing ashtray: "Inside the White Cube: cf "The Ideology of the Gallery Space")さえ――大使の死体や怯える人々や暗殺者やその手に持てる拳銃すらも――「美術作品」に見せてしまう、20世紀アメリカ的な非政治性のイメージを具現化した「白い部屋」。「自由主義」(或いは「ナチス・ドイツ体制」)以外の政治体制では構築し得なかっただろう展示装置。
現在に至るまでの「自由主義」的「美術」の「環境」になったその建築的様式を、政治的イデオロギーに基く制度として捉え直し、その政治的制度に「ホワイト・キューブ」という空間的名称を与え、"one of modernism's fatal diseases(モダニズムの致命的な病の一つ)" (注5)と批判したのは、アメリカの美術評論家/美術作家ブライアン・オドハーティ(Brian O'Doherty)だった。
(注5)“A gallery is constructed along laws as rigorous as those for building a medieval church. The outside world must not come in, so windows are usually sealed off. Walls are painted white. The ceiling becomes the source of light. The wooden floor is polished so that you click along clinically, or carpeted so that you pad soundlessly, resting the feet while the eyes have at the wall. The art is free, as the saying used to go, “to take on its own life.” The discreet desk may be the only piece of furniture. In this context a standing ashtray becomes almost a sacred object, just as the firehouse in a modern museum looks not like a firehouse but an aesthetic conundrum. Modernism's transposition of perception from life to formal values is complete. This, of course, is one of modernism's fatal diseases."
“Inside the White Cube: The Ideology of the Gallery Space" Brian O'Doherty(1976)
このテクストが書かれたのは、「自由主義」の「超大国/本場」であり、それ故に「自由精神」の具現である「アート」の「超大国/本場」でもあった20世紀のアメリカが、その一方で「自由」を「守る」為に枯葉剤やナパーム弾を大量投入したベトナム戦争に「敗北」した直後の1976年の事である。それはまた「不可侵」なものと信憑されている「近代」的「自由精神」の現れとしての「作品」――The art is free, as the saying used to go, “to take on its own life.” (Brian O'Doherty)――を可能なものにする、「自由精神」の「枠」について書かれたジャック・デリダの「パレルゴン」(1975年)が書かれた時代でもあった。
ここで4階の「フロア」に立った者は、「クロニクル、クロニクル!」の入口で渡されたコンスタンチン・ツォルコフスキー(Константин Эдуардович Циолковский:1857〜1935)(注13)が1933年に「著」した「宇宙旅行アルバム」(Альбом космических путешествий)中の「1ページ」、《打ち上げ後のロケット内の様子(無重力状態)》をA3サイズに引き伸ばしたカラーコピーに目を落とす事になる。
遅い事で見えて来るものがある。例えば、画像伝送に於けるインターレース技術は、回線速度が遅い者程それを目撃する時間を多く得られる。インターレースの様々な「表現」は、「主役」の「画像」が出る前の「待ち時間」に、「客」に「期待」の「温度」の低下を生じさせない為の「前座」(オープニング・アクト)の「芸」である。2017年現在、Google 画像検索で、回線速度が遅い者程目撃出来るものが、その画像に於ける最も「支配」的な色を、単色のカラータイルとして表示する Google による「前座」の「芸」だ。
「マネキン」の「原型師」としてではなく「彫刻家」としての「大森達郎」の仕事――キュレーターが以前住んでいた金沢の香林坊アトリオ前にも設置されている――は Google 画像検索でも幾つかヒットした。それらは相対的に「マネキン」的ではない「ロダン」的「彫刻」の系譜にある粘土付けをされていて、「大森達郎」の中で「マネキン」と「彫刻」がそれぞれ独立した形で住み分けられていた事を示している。
「人体彫刻」なる「問題」は、或る意味で「誤読」からスタートしているところがある。現在の我々が「人体彫刻」の理念的な「淵源」とされる「ギリシャ彫刻」にイメージするもの――「流行り」のフレーズで言えば、“Learning from Athens" となるのだろうか――は、しかし永年の風化作用や「クリーニング」等の人為によって「着色」が失われた状態のものである(注18)。或る意味で「ギリシャ彫刻」は単純に「ギリシャ人形」的なものだった。それは極めて「マネキン」――立体絵画――等に近いものである一方で、我々の「人体彫刻」――「二次元」表現と「三次元」表現の理念的峻別から始まっている――からは遠いものだった。我々は「製品」になる前の「人形」――「二次元」表現と「三次元」表現の「統合」的形態――の「シュポール」を、「人体彫刻」として見ているのかもしれない。
Tout en introduisant l’enfant dans le monde de l’art, KAPLA stimule la créativité, les capacités de concentration, l’ingéniosité et les facultés d’adaptation que la vie exige de chacun. En construisant, on se construit soi-même. Tom van der Bruggen – Inventor of KAPLA
「斎藤義重の規格サイズ」と言えば、「トム・ファン・デル・ブリューゲンの規格サイズ」(1:3:15 = 8 x 24 x 120mm の1サイズ)であるカプラも同じであり、またそれも「創造と教育の交錯点」にあるものである。「フランス文部科学省推薦教材としてフランスで国の教育システムで使われているペタゴジックトイ」であるカプラが教育に於いて目指すものは、斎藤義重氏が教育に於いて目指していたものと重なるところが多い。
「本当に新しい『ゴジラ』映画」でも「誰も知らない『ゴジラ』映画」でもないと、「製作報告会見」という公式の場でプロデューサーに事実上アナウンスされた「ゴジラ FINAL WARS」の公開直前、「ゴジラ」は「日本人」として早川雪洲、マコ岩松に続く3番目(注2)のハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムとなり、21世紀初頭の代表的なブラウザの一つの名称にも――捩られて――使用される程にメジャーな国際的ブランド/ポップ・アイコンになった。そして永くポップ・アイコンであった為に、同様に永くポップ・アイコンの道を歩むミッキーマウス同様、崩す事の出来ない「伝統」に「ゴジラ」が匿われ「キャラクター」化した結果、その制作現場は「ガイドライン」こそが最重要視される事になる。
[...} “We got approached with Godzilla," he remembers, “and Dean(注5)was really in favor. I said, 'Are you crazy? Have you seen a Godzilla film? How does the monster look? They put a guy in there.'" With no great fealty to Toho's famous monster, and no expectation of pitching successfully, Emmerich had asked designer Patrick Tatopoulos to create a sleek, fast-moving Gojira when the Japanese studio handed him its 75-page dossier of 'dos' and 'don'ts'. The monster had to be the spawn of nuclear testing. It must have three rows of dorsal fins on its spine and four claws on each of its scaly appendages. It couldn't eat people. Most troubling of all, it couldn't die at the end. Whatever ideas Toho's top brass had for the film's end -- and a quiet retirement in a Brooklyn brownstone seemed unlikely -- they had had the chance to volunteer them before Emmerich and Devlin had called their bluff with their newly streamlined beast. “When we unveiled the new Godzilla, these 12 Japanese guys looked at it and said, 'Okay, we'll give you our decision tomorrow. '“Sure enough, the phone rang. “I was so sure they would say no, but they said, 'Okay, you make new Godzilla; we keep old Godzilla.' I thought, 'Oh shit!'“
しかしディーン・デヴリンはデヴリンで、「ファースト」の隠し様も無い「インスパイア」元であるレイ・ハリーハウゼンの “The Beast from 20,000 Fathoms" のリメイクを考えていたものの、それをレイ・ハリーハウゼンの同作のリメイクとせず、「世界」的なポップ・アイコンである「ゴジラ」のリメイクであるとすれば、資金の調達が桁違いに容易になる事を知っていたともされる(注6)。
いずれにせよ、直前まで「ゴジラ」などより遥かに大きな質量の巨大隕石がもたらす、ハルマゲドン的な破壊規模の映画で頭が一杯だった彼等がリスペクトしていたのは、「ゴジラ」に先行する真の「オリジナル」である “The Beast from 20,000 Fathoms" や “It Came from Beneath the Sea"(「水爆と深海の怪物」1955年)であり、 “God-" が冠せられた「キャラクター」ではなかった。そしてエメリッヒが自らの「ゴジラ」に与えた設定もまた「怪獣がいない世界」(注7)だった。
東宝からエメリッヒやクリーチャー・デザイナーのパトリック・タトプロスに渡された75ページの「ガイドライン」の「ゴジラは人間を食べられない」(“It couldn't eat people")は、 “The Beast from 20,000 Fathoms" で「リドサウルス」上陸後、警官が食べられてしまったシーンを「リメイク」する事へ釘を差したと思える(注8)。そしてエメリッヒ「ゴジラ」は後の「ゴジラ FINAL WARS」で、“God-" を抜かれた “Zilla" と「改名」され、日本人顔のX星人の「やっぱりマグロ食ってる様なのは駄目だな」という当て擦りに繋がる。
エメリッヒは “12 Japanese guys"(日本の12人)から「オッケー、貴方は新しいゴジラを作ってくれ。我々は古いゴジラを守っていくから」との「承認」を受けるものの、公開後の「炎上」に対して「『承認』を出した者」の「責任」が問われる事は無い。「シェー」や「加山雄三」を通した者の責任が問われなかった様に。
これはハリーハウゼンの “It Came from Beneath the Sea" の、モンスターのサンフランシスコ初登場シーンだ(注9)。この直後にサンフランシスコ湾を南北に横断するゴールデンゲートブリッジをこの「巨大水生生物」が破壊するのだが、これは「シン・ゴジラ」を見た者なら、誰もがその時点で水生生物(第1形態)だった「巨大不明生物」が東京湾を東西に横断するアクアラインを破壊して、東京湾に初登場するシーンを思い浮かべるだろう。
(注9)この状態しか見えていない段階で、それを閣僚の一人が「尻尾」と認識するのは、些かサービスの過ぎるフライングと言えるだろう。因みに “It Came from Beneath the Sea" のこれは「足」である。同様に「肺魚」段階での「巨大生物の上陸はありません」首相記者会見の手話通訳嬢の、「見ようによってはお化けの手にも見える」ものの存在を前提とした表現もまたフライングと言えるかもしれない。
第2形態が呑川を遡上し、陸上に上がって道路一杯の乗り捨てられた車を破壊しながら進むシーンは、「ファースト」よりもより “The Beast from 20,000 Fathoms" に近い印象がある。
後に大カタストロフが起きる新橋4丁目交差点付近にカメラを向けた空撮に乗せて、「Early morning from Tokyo (short)/報道1」が流れたところから、もう一つの別の映画が始まる。敢えて言えば、ここからが「ゴジラ」映画になるとも言える。「前半」は「巨大不明生物」であったものが、「後半」になってそれが「呉爾羅」から “Godzilla"(ガッジーラ) を経由して「ゴジラ」と「命名」されるという「儀式」によって。第2形態や第3形態に「ゴジラ」フリークが感じた違和感は、第4形態が江ノ島に現れる事によって「回収」される。
Hulu で「ゴジラ」映画28作中の数本を見た。小学生の時に親戚に連れられて見た何作目かの「ゴジラ」映画――その余りの子供騙し(子供はこんなものだと安く値踏みされている)振りに小学生は辟易した――は再見しなかった。Hulu で見たその数本の中には嘗て自分が関わったものも含まれていた。初めて見る映画。そのエンドロールには、自分の名前はもとより50代男性の会社の名前も無かった。