“The real difficulty here is that simultaneous perception of objects is an unaccustomed way to those used to sequential perception through touch.” We, with a full complement of senses, live in space and time; the blind live in a world of time alone. For the blind build their worlds from sequences of impressions (tactile, auditory, olfactory), and are not capable, as sighted people are, of a simultaneous visual perception, the making of an instantaneous visual scene."
オリバー・サックス「火星の人類学者」(Oliver Sacks: “An Anthropologist on Mars")から「『見えて』いても『見えない』」(“To See and Not See")
(注2)“6.54 Meine Sätze erläutern dadurch, dass sie der, welcher mich versteht, am Ende als unsinnig erkennt, wenn er durch sie – auf ihnen – über sie hinausgestiegen ist. (Er muss sozusagen die Leiter wegwerfen, nachdem er auf ihr hinaufgestiegen ist.) Er muss diese Sätze überwinden, dann sieht er die Welt richtig.”
「崇拝」の「対象」になりがちな所謂「神」に対してすら/であればこそ、時に生じもする「疑い」に脅かされてしまう程度の〈信じる〉――“Gott ist tot"(神は死んだ) は、「自転車に乗る」者からすれば、微笑を以って相対するべき言葉である――では、到底「自転車に乗る」事は出来ない。「信じることができる」の「信じる」は、「崇拝」が生じてしまう平面を遥かに超えたところにあり、「奇跡」と「自分」の「距離」が限りなく「ゼロ」になるところ――或いは「距離」という概念が生じないところ――にこそそれは存在する。「自転車に乗る」というのは、その様な「高次」の「信じる」によって初めて可能になるのだ。
「私」的時間――非番――にあった22歳の暗殺者は、大使がスピーチで引用しようとしたアルカイダのアラビア語による「ジハード」への忠誠を示した歌の歌詞をトルコ語で「繰り返す」。「死だけが私をこの場所からリムーブ出来るだろう(Beni buradan ancak ölüm alır)」。続けて若き暗殺者はカメラのレンズに向けて叫ぶ。“Allahu ekber. Halep'i unutmayın, Suriye'yi unutmayın."(アッラーフ・アクバル=神は偉大なり。アレッポを忘れるな。シリアを忘れるな)。
(注内注)極めて近い将来に「人工知能」によってその手の「美術評論」の仕事はすっかり奪われるだろう。2017年現在では未だに「専門」性を有するとされている――「されている」に過ぎないが――「人間」が行っている「美術評論」の殆どは、早晩「人工知能」による「美術評論」に肩代わりされるのは確実だ。少なくとも僅か数パターン〜数十パターンの「結論」に導く様な「美術評論」であれば、最早「人類」の誰を以ってしても勝利する事が不可能になった Google の “Alpha Go" などよりも遥かに単純な「アルゴリズム」で、今すぐにでもそれは実現可能だろう。「機械」に「評論」される「美術」という「問題」がそこに生まれる。
備品のスタンド式の灰皿(standing ashtray: "Inside the White Cube: cf "The Ideology of the Gallery Space")さえ――大使の死体や怯える人々や暗殺者やその手に持てる拳銃すらも――「美術作品」に見せてしまう、20世紀アメリカ的な非政治性のイメージを具現化した「白い部屋」。「自由主義」(或いは「ナチス・ドイツ体制」)以外の政治体制では構築し得なかっただろう展示装置。
現在に至るまでの「自由主義」的「美術」の「環境」になったその建築的様式を、政治的イデオロギーに基く制度として捉え直し、その政治的制度に「ホワイト・キューブ」という空間的名称を与え、"one of modernism's fatal diseases(モダニズムの致命的な病の一つ)" (注5)と批判したのは、アメリカの美術評論家/美術作家ブライアン・オドハーティ(Brian O'Doherty)だった。
(注5)“A gallery is constructed along laws as rigorous as those for building a medieval church. The outside world must not come in, so windows are usually sealed off. Walls are painted white. The ceiling becomes the source of light. The wooden floor is polished so that you click along clinically, or carpeted so that you pad soundlessly, resting the feet while the eyes have at the wall. The art is free, as the saying used to go, “to take on its own life.” The discreet desk may be the only piece of furniture. In this context a standing ashtray becomes almost a sacred object, just as the firehouse in a modern museum looks not like a firehouse but an aesthetic conundrum. Modernism's transposition of perception from life to formal values is complete. This, of course, is one of modernism's fatal diseases."
“Inside the White Cube: The Ideology of the Gallery Space" Brian O'Doherty(1976)
このテクストが書かれたのは、「自由主義」の「超大国/本場」であり、それ故に「自由精神」の具現である「アート」の「超大国/本場」でもあった20世紀のアメリカが、その一方で「自由」を「守る」為に枯葉剤やナパーム弾を大量投入したベトナム戦争に「敗北」した直後の1976年の事である。それはまた「不可侵」なものと信憑されている「近代」的「自由精神」の現れとしての「作品」――The art is free, as the saying used to go, “to take on its own life.” (Brian O'Doherty)――を可能なものにする、「自由精神」の「枠」について書かれたジャック・デリダの「パレルゴン」(1975年)が書かれた時代でもあった。
ここで4階の「フロア」に立った者は、「クロニクル、クロニクル!」の入口で渡されたコンスタンチン・ツォルコフスキー(Константин Эдуардович Циолковский:1857〜1935)(注13)が1933年に「著」した「宇宙旅行アルバム」(Альбом космических путешествий)中の「1ページ」、《打ち上げ後のロケット内の様子(無重力状態)》をA3サイズに引き伸ばしたカラーコピーに目を落とす事になる。
遅い事で見えて来るものがある。例えば、画像伝送に於けるインターレース技術は、回線速度が遅い者程それを目撃する時間を多く得られる。インターレースの様々な「表現」は、「主役」の「画像」が出る前の「待ち時間」に、「客」に「期待」の「温度」の低下を生じさせない為の「前座」(オープニング・アクト)の「芸」である。2017年現在、Google 画像検索で、回線速度が遅い者程目撃出来るものが、その画像に於ける最も「支配」的な色を、単色のカラータイルとして表示する Google による「前座」の「芸」だ。
「マネキン」の「原型師」としてではなく「彫刻家」としての「大森達郎」の仕事――キュレーターが以前住んでいた金沢の香林坊アトリオ前にも設置されている――は Google 画像検索でも幾つかヒットした。それらは相対的に「マネキン」的ではない「ロダン」的「彫刻」の系譜にある粘土付けをされていて、「大森達郎」の中で「マネキン」と「彫刻」がそれぞれ独立した形で住み分けられていた事を示している。
「人体彫刻」なる「問題」は、或る意味で「誤読」からスタートしているところがある。現在の我々が「人体彫刻」の理念的な「淵源」とされる「ギリシャ彫刻」にイメージするもの――「流行り」のフレーズで言えば、“Learning from Athens" となるのだろうか――は、しかし永年の風化作用や「クリーニング」等の人為によって「着色」が失われた状態のものである(注18)。或る意味で「ギリシャ彫刻」は単純に「ギリシャ人形」的なものだった。それは極めて「マネキン」――立体絵画――等に近いものである一方で、我々の「人体彫刻」――「二次元」表現と「三次元」表現の理念的峻別から始まっている――からは遠いものだった。我々は「製品」になる前の「人形」――「二次元」表現と「三次元」表現の「統合」的形態――の「シュポール」を、「人体彫刻」として見ているのかもしれない。
Tout en introduisant l’enfant dans le monde de l’art, KAPLA stimule la créativité, les capacités de concentration, l’ingéniosité et les facultés d’adaptation que la vie exige de chacun. En construisant, on se construit soi-même. Tom van der Bruggen – Inventor of KAPLA
「斎藤義重の規格サイズ」と言えば、「トム・ファン・デル・ブリューゲンの規格サイズ」(1:3:15 = 8 x 24 x 120mm の1サイズ)であるカプラも同じであり、またそれも「創造と教育の交錯点」にあるものである。「フランス文部科学省推薦教材としてフランスで国の教育システムで使われているペタゴジックトイ」であるカプラが教育に於いて目指すものは、斎藤義重氏が教育に於いて目指していたものと重なるところが多い。
「本当に新しい『ゴジラ』映画」でも「誰も知らない『ゴジラ』映画」でもないと、「製作報告会見」という公式の場でプロデューサーに事実上アナウンスされた「ゴジラ FINAL WARS」の公開直前、「ゴジラ」は「日本人」として早川雪洲、マコ岩松に続く3番目(注2)のハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムとなり、21世紀初頭の代表的なブラウザの一つの名称にも――捩られて――使用される程にメジャーな国際的ブランド/ポップ・アイコンになった。そして永くポップ・アイコンであった為に、同様に永くポップ・アイコンの道を歩むミッキーマウス同様、崩す事の出来ない「伝統」に「ゴジラ」が匿われ「キャラクター」化した結果、その制作現場は「ガイドライン」こそが最重要視される事になる。
[...} “We got approached with Godzilla," he remembers, “and Dean(注5)was really in favor. I said, 'Are you crazy? Have you seen a Godzilla film? How does the monster look? They put a guy in there.'" With no great fealty to Toho's famous monster, and no expectation of pitching successfully, Emmerich had asked designer Patrick Tatopoulos to create a sleek, fast-moving Gojira when the Japanese studio handed him its 75-page dossier of 'dos' and 'don'ts'. The monster had to be the spawn of nuclear testing. It must have three rows of dorsal fins on its spine and four claws on each of its scaly appendages. It couldn't eat people. Most troubling of all, it couldn't die at the end. Whatever ideas Toho's top brass had for the film's end -- and a quiet retirement in a Brooklyn brownstone seemed unlikely -- they had had the chance to volunteer them before Emmerich and Devlin had called their bluff with their newly streamlined beast. “When we unveiled the new Godzilla, these 12 Japanese guys looked at it and said, 'Okay, we'll give you our decision tomorrow. '“Sure enough, the phone rang. “I was so sure they would say no, but they said, 'Okay, you make new Godzilla; we keep old Godzilla.' I thought, 'Oh shit!'“
しかしディーン・デヴリンはデヴリンで、「ファースト」の隠し様も無い「インスパイア」元であるレイ・ハリーハウゼンの “The Beast from 20,000 Fathoms" のリメイクを考えていたものの、それをレイ・ハリーハウゼンの同作のリメイクとせず、「世界」的なポップ・アイコンである「ゴジラ」のリメイクであるとすれば、資金の調達が桁違いに容易になる事を知っていたともされる(注6)。
いずれにせよ、直前まで「ゴジラ」などより遥かに大きな質量の巨大隕石がもたらす、ハルマゲドン的な破壊規模の映画で頭が一杯だった彼等がリスペクトしていたのは、「ゴジラ」に先行する真の「オリジナル」である “The Beast from 20,000 Fathoms" や “It Came from Beneath the Sea"(「水爆と深海の怪物」1955年)であり、 “God-" が冠せられた「キャラクター」ではなかった。そしてエメリッヒが自らの「ゴジラ」に与えた設定もまた「怪獣がいない世界」(注7)だった。
東宝からエメリッヒやクリーチャー・デザイナーのパトリック・タトプロスに渡された75ページの「ガイドライン」の「ゴジラは人間を食べられない」(“It couldn't eat people")は、 “The Beast from 20,000 Fathoms" で「リドサウルス」上陸後、警官が食べられてしまったシーンを「リメイク」する事へ釘を差したと思える(注8)。そしてエメリッヒ「ゴジラ」は後の「ゴジラ FINAL WARS」で、“God-" を抜かれた “Zilla" と「改名」され、日本人顔のX星人の「やっぱりマグロ食ってる様なのは駄目だな」という当て擦りに繋がる。
エメリッヒは “12 Japanese guys"(日本の12人)から「オッケー、貴方は新しいゴジラを作ってくれ。我々は古いゴジラを守っていくから」との「承認」を受けるものの、公開後の「炎上」に対して「『承認』を出した者」の「責任」が問われる事は無い。「シェー」や「加山雄三」を通した者の責任が問われなかった様に。
これはハリーハウゼンの “It Came from Beneath the Sea" の、モンスターのサンフランシスコ初登場シーンだ(注9)。この直後にサンフランシスコ湾を南北に横断するゴールデンゲートブリッジをこの「巨大水生生物」が破壊するのだが、これは「シン・ゴジラ」を見た者なら、誰もがその時点で水生生物(第1形態)だった「巨大不明生物」が東京湾を東西に横断するアクアラインを破壊して、東京湾に初登場するシーンを思い浮かべるだろう。
(注9)この状態しか見えていない段階で、それを閣僚の一人が「尻尾」と認識するのは、些かサービスの過ぎるフライングと言えるだろう。因みに “It Came from Beneath the Sea" のこれは「足」である。同様に「肺魚」段階での「巨大生物の上陸はありません」首相記者会見の手話通訳嬢の、「見ようによってはお化けの手にも見える」ものの存在を前提とした表現もまたフライングと言えるかもしれない。
第2形態が呑川を遡上し、陸上に上がって道路一杯の乗り捨てられた車を破壊しながら進むシーンは、「ファースト」よりもより “The Beast from 20,000 Fathoms" に近い印象がある。
後に大カタストロフが起きる新橋4丁目交差点付近にカメラを向けた空撮に乗せて、「Early morning from Tokyo (short)/報道1」が流れたところから、もう一つの別の映画が始まる。敢えて言えば、ここからが「ゴジラ」映画になるとも言える。「前半」は「巨大不明生物」であったものが、「後半」になってそれが「呉爾羅」から “Godzilla"(ガッジーラ) を経由して「ゴジラ」と「命名」されるという「儀式」によって。第2形態や第3形態に「ゴジラ」フリークが感じた違和感は、第4形態が江ノ島に現れる事によって「回収」される。
Hulu で「ゴジラ」映画28作中の数本を見た。小学生の時に親戚に連れられて見た何作目かの「ゴジラ」映画――その余りの子供騙し(子供はこんなものだと安く値踏みされている)振りに小学生は辟易した――は再見しなかった。Hulu で見たその数本の中には嘗て自分が関わったものも含まれていた。初めて見る映画。そのエンドロールには、自分の名前はもとより50代男性の会社の名前も無かった。
日本動物薬品株式会社(英名:JAPAN PET DESIGN CO.,LTD.。以下「ニチドウ」)という企業がある。観賞魚を飼育した経験を持つ者には、「グリーンF」「グリーンFゴールド」「メチレンブルー」等といった「観賞魚用治療薬」を製造販売しているメーカーとして、極めて馴染み深い名称だ。
江戸時代の金魚売りに起源を持つ、動物飼育観察に関する商品開発に長けたニチドウが、2005年に発売したのが、「アリ伝説」(THE LEGEND of ANTS)という子供向け――パッケージには「KiDs」の表記がある――のアリの飼育/観察セット(2005年 JPPMA AWARD 最優秀賞受賞)である。
勿論「西山研修道場」で「朗読」するのは、ジョルジョ・アガンペン(Giorgio Agamben)の「到来する共同体(La comunità che viene)」ではなく、國旗揭揚、宮城遙拜、皇大神宮遙拜、君が代齊唱と共にされる明治天皇の「教育(ニ関スル)勅語」であったりした。社会問題を「考える」時間――「西山研修道場」の道場生活日課には、思想問題、時事問題常識、研究、懇談等の時間が一日数時間ある――は、「平塚らいてう」「ブルーストッキングス・ソサイエティ」「ジャンヌ・ドロワンの選挙立候補」「ハルハウス」「富山の女一揆米騒動」「日本生活協同組合連合会」「第五福竜丸事件をうけての原水爆禁止署名運動」「グリーナムコモン基地の包囲行動」「小平市住民投票におけるどんぐりの会」「3.11以降の脱原発社会運動」ではなく、「日本精神國體究明」だった。
因みに同「宣言文」の参照元と書かれている Werner Herzog の “24 pieces of life advice" とは
1. Always take the initiative. 2. There is nothing wrong with spending a night in jail if it means getting the shot you need. 3. Send out all your dogs and one might return with prey. 4. Never wallow in your troubles; despair must be kept private and brief. 5. Learn to live with your mistakes. 6. Expand your knowledge and understanding of music and literature, old and modern. 7. That roll of unexposed celluloid you have in your hand might be the last in existence, so do something impressive with it. 8. There is never an excuse not to finish a film. 9. Carry bolt cutters everywhere. 10. Thwart institutional cowardice. 11. Ask for forgiveness, not permission. 12. Take your fate into your own hands. 13. Learn to read the inner essence of a landscape. 14. Ignite the fire within and explore unknown territory. 15. Walk straight ahead, never detour. 16. Manoeuvre and mislead, but always deliver. 17. Don't be fearful of rejection. 18. Develop your own voice. 19. Day one is the point of no return. 20. A badge of honor is to fail a film theory class. 21. Chance is the lifeblood of cinema. 22. Guerrilla tactics are best. 23. Take revenge if need be. 24. Get used to the bear behind you.
その一方で「美術館」(乃至は「美術」)相手に「戦っている」人達の方はと言えば、4月21日段階では「抽象直接行動198の方法(仮)のリスト」のペーパーは床に積まれていた。但し「ロサンゼルス」までそれを持って帰るのが難儀なので手には取らなかった。4月21日を前に、「抽象直接行動198の方法(仮)のリスト」の PDF を見てはいた。